第3章 たなびく雲のたえ間より

  「何を考えていらっしゃるのですか」

   窓辺に座って頬杖をついていた私に、侍女のほうが声をかけた。つくんと何か責めるように。わかってるけどさ、何を言いたいんだか。

  「さあね。なんだと思う?」

   私はほんの一瞬、蓬の子供のような顔を視界の端にいれると、また頬杖をついて窓の外を見る。

   「かの地のことを考えていたのでしょう?今夜は、かの地への道が開ける夜ですから。もうお諦めになったらいかがです?」

   つくんつくんと突き刺さる声。かわいい顔して、口調は全然かわいくない。

   「人間あきらめないのが肝心よ」

   私はさらりと言い返す。

   「そうですね、人間は諦めが悪いですから。愚かなこと。短い命のくせに」

   蓬がふんと鼻をならす。そして続けた。

   「わかっているのですか?あれからもう五十年も経っているのですよ」

   「だからどうしたの?」

   「人間の一生は短いのです。五十年も経てば、もう誰も生きてはいないでしょう。少なくとも、昔のようには」

   「さあ、どうかしら?」

    私はぼんやりと言った。遠い日のことを思いながら。

    あのとき、山から立ち上った煙は確かに、細すぎたわ。みんな焼いてしまったのなら、あんなに細いはずがない。

  「何にしても、今夜は無理ですよ。厚い雲がかかっていますから」

  「そうね、今日行くのは危険よね」

   風もあるようだしね、と私は小さくため息をついた。視界に入る雲の群れは、時々風に流されて切れ間を作っている。

  「そうですよ。お諦めなさい」

  「…そうね…仕方がないわね。今夜はもう寝るわ。お休みなさい」

  「お休みなさいませ」

   蓬は静かに部屋を出て行った。私はそっと明かりを消す。

  「人間、あきらめないのが肝心よ。そして、挑戦することね」

   あれからずっと、機会をうかがっていた。けれど、私のたくらみなんか、とっくにばれていて、とても逃げ出すことはできなかった。

   時が経つにつれ、見張りは次第にゆるくなっていったけれど、蓬の目だけは、いつまでたっても、鋭い光を弱めることは無かった。

   けれど、今さらこんな危険な夜に出るなんて、蓬も思ってはいなかったようね。

   私はまっ暗な部屋から、窓の外に身を乗り出す。


   かの地へ降り立つ方法はふたつ。


   一つは罪を得て流されること。

   そしてもう一つは……


   「もうこれ以上待つ気はないわ!」

   もう一つは、身を投げること。

   私の体は一瞬宙に浮かび、それから真下へ向けて風を切る。分厚い雲に覆われた、かの地への道。それが風の気まぐれでひらけることを願って。

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