ある夏の話

来栖

ある夏の話


もう何年も前のある夏の日のことだった。

 記録的な猛暑が列島を襲ったその年は、まだ六月だというのにセミ達がちらほらと羽化し輪唱していた。

 ニュース番組は連日、どこそこで最高気温を更新したと報道し訳知り顔のタレントが地球温暖化の影響だと自論を展開している。

 俺の住んでいたK県では特に大きな問題は無く熱中症で何人か緊急搬送されたとローカルニュースが注意を呼び掛けるに留まったが、他県では貯水ダムが枯渇し水道に使用制限がかかったらしい。

 とにかく、暑い年だった。

 道端の雑草も、近付くだけで吠え散らかす近所の犬も、普段は園児達の元気な声が五月蝿い位な保育園でさえ全てが乾いて萎びていた。

 当時、大学生二年生だった俺は、あまりの酷暑に休講が続出した事で転がり込んできた望外の暇を、ただただ家で寝転ぶことに費やしていた。

 なにせ外に出れば茹だるような暑さだ。初めは夏休みが前倒しになったような連休に、友達と遊びに行こうかとか久しぶりに纏まった読書をしてみようだとか一夏の出会いを求めて海に繰り出そうか等と考えていたが、なにせこの暑さである。

 必然、家から出ようなんていう思考はニュース番組が囃し立てるこの異常気象の前に粉砕され、早々に廃棄された。

 「暇だ…」

 ぽつりと落とした独り言。

 「暇で暇で仕方ない」

 当初、教授を恨むほどに出された休講振替の課題達もすっかり片付いてしまい、我が六畳一間の狭き家には俺の暇を消費できる物は何も無かった。

 動画を見るためというより時間を潰すために、スマートフォンからアプリを立ち上げ、ショート動画を再生する。

 この時間泥棒に任せればある程度纏まった時間、何も考えずにすむだろう。

 そうして、俺は特に興味も無い、海外のmeme、動物の可愛いシーン集、時折流れてくる脱毛の広告、いったい何処で役立つのか分からない豆知識、そんな十把一絡げの動画をツイツイとスワイプしていた。

 はたと、指が止まる。

 画面の動画は、某大手掲示板サイトのまとめ動画をオマージュしたような形式のもので“ひとりかくれんぼ”の体験談を流していた。

 “ひとりかくれんぼ”。

 最早、説明不要と言える程有名な怪談噺だろう。

 ふと外を見れば、とっぷりと日は沈み真っ暗な夜空が窓ガラス越しに広がっている。

 確か、最寄りの百均は歩いて十分弱だったろうか、時計を確認すればまだ七時半過ぎである、閉店時間は十時であったはずだ。

 ――ちょうどいい

 そう思った。

 流行ったのが一昔前というのもあって実践した事はない。

 ふつふつと興味が湧いてくる。

 寝巻きのまま、財布だけを持って百均に向かう。

 道中、夜だというのに蒸し暑く途中の自販機で冷たい麦茶を買うなどしたから、到着は八時になった。

 自動ドアが開いた瞬間に吐き出されるよく冷えた空気が心地良い。

 天井から吊るされた看板を目安におもちゃコーナーに向かい、ぬいぐるみ達が陳列された棚の前に立つ。

 ぬいぐるみと言っても百均の物だ、どれも小さくて手の平サイズといったところだ。

 さすがに丸っきり人間をモチーフにしてるものを使うのは躊躇われたから、茶色い毛とぽっこりとしたお腹が目に付いたテディベアを選んだ。

 その他の必要な物は家にあるので、さっさとレジに向かう。

 自動化が進んでいて助かった、夜中の八時過ぎにテディベアを買いに来る男なんて、それこそ怪談みたいなものだ。と考えながら、底の薄いビーチサンダルをぺたぺた鳴らし家に帰った。


「さてと」

 ものは揃った。

 あとは実践有るのみだ。

 カチカチとカッターナイフを繰り出し、ズブリとテディベアの背中に突き立てる。グッと力を込めると、彼の背中がパックリと割れ、真っ白な中綿が顔を出す。

 中綿を取り出したら入れ替える様にもち米をぎゅむぎゅむと押し入れる。手足と頭の先端までしっかりと詰まったことを確認してから、

「イッ…ツぅー」

 カッターナイフで指先をさっくりと切り、予想以上に滴り出てくる血液に少し焦りながらもち米に吸わせる。

 粗方染み込ませたら最後の仕上げに赤い糸で背中を縫合してやって、準備は整った。

 時刻は十時を過ぎた頃だ。

 始めるのには少し早い気もするが、こういうのは勢いが大事だ。

 作業と並行して水を張っておいたおいた浴槽にテディベアを沈めようとして、ふと気付く。

「名前、何にしようか」

 あれこれと考える内に、脳内にアイデアが浮かんだ。

「お前の名前はルーズベルト、お前の名前はルーズベルト、お前の名前はルーズベルト」

 いささかに不謹慎な名前を付け、ルーズベルトを浴槽に沈める。

「最初の鬼は俺だから、最初の鬼は俺だから、最初の鬼は俺だから」

 きっかり三回唱え、風呂場を出てリビングに向かう。

 ザァーと音を鳴らすテレビも、雨戸を閉めて真っ暗にした室内も、なかなか雰囲気がある。

「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十」

 十秒数え、カッターナイフを片手に浴室へ向かう。

 雰囲気とはここまで力強いのかと、体感だが幾分かひんやりとした室内で独り言ちる。

 真っ暗な室内には裸足で歩くぺたぺたという足音と砂嵐の音。

 他は締め切った雨戸で遮断され、独特な気味の悪さを演出している

 浴槽を覗き込み、先程と寸分違わぬ様子で入水しているルーズベルトに、

「ルーズベルト見つけた」

 そう言ってカッターナイフを突き立てた。

 ジャリジャリとふやけたもち米を掻き分ける何とも嫌な感覚が手に伝う。

 どこか物憂げな表情のルーズベルトに、

「次はルーズベルトが鬼だから、次はルーズベルトが鬼だから、次はルーズベルトが鬼だから」

 三回唱え、ルーズベルトと一緒にカッターナイフを浴槽に沈め、塩水を入れたペットボトルを冷蔵庫から取り出してから押し入れへと向かった。

 ワンルームの宿命と言うべきか、やはりひとりかくれんぼには向いていないな。と考えながら窮屈な押し入れの中で楽な体勢を見つけようとモゾモゾと動く。

 身動ぎする度にペットボトルがチャポチャポと鳴る。

 

 チャポン


 水音がした

 ペットボトルからでない


 ベチャッ


 ぞわりと背中に悪寒が走る。

 水を吸わせた雑巾を、床に落としたらあんな音になるだろう。


 カチ カチ


 カッターナイフを繰り出す音が砂嵐の音に混ざって聞こえた。

――成功だ

 声には出さなかった。それはひとりかくれんぼにおける“禁忌”だと知っていたから。

薄い襖を一枚隔てて、リビングを徘徊するカッターナイフを持ったルーズベルト。

 その姿がありありと脳裏に浮かぶ。

 フラフラとあちらこちらに動き回り、近付いては離れ、離れは近付くを繰り返す。

 近付く度に微かに聞こえるザラザラとした音はもち米が、彼の腹から漏れ出る音だろうか。

 しばらくすると足音に、硬質な物を引き摺る音が混じる。

 もち米が流れ出て上半身が形を崩したのだろう。

 けれども彼は動き続けている。

 ベチャベチャザァザァカタカタ

 足音が一層激しくなり、部屋中を乱暴に走り回る。

 そうして、

 押し入れの前に来た時、

 それはピタリと止まった。

 

 ザァーという砂嵐の音。

 それ以外が無くなった。


 ツゥと汗が頬を伝う。


 いる。それも目の前に。


 この薄く頼りない襖を一枚隔てて。


 その姿がハッキリとわかる。


 に゙ゃゃゃゃゃゃゃゃぁぁぁぁ


 動物の、まるで断末魔の、命のあらん限り、恨みのあらん限りを吐き出すような、深く、そしておぞましい、鳴き声。


 薄い襖がカタカタと揺れる。


 トンッ


 カッターナイフの黒い刃が、襖を貫く。


 トントントントントントントントントントントン


 刺しては抜きを繰り返し、安い襖はあっという間に穴だらけになった。


 ドンッ


 一際強く突き立てられ、持ち手の部分までもが見えた。

 ――今だ

 深く突き立てられたカッターナイフは、その分抜くのも時間がかかる。

 歯の根がガチガチとなり、手が震える。

 だが、ここしかない、今しかない。

 ずっと手に持っていたペットボトルを、塩水で満たされた500mLのそれを、しっかりと持ち直す。

 バンッと勢いよく襖を開ければ、予想通りそこにはルーズベルトが居た。

 もち米が抜けた上半身を、だらりと垂れ下げ、正体している。

 ペットボトルを大きく振りかぶり、

 力いっぱい叩きつける。


 ベチャンッ


 衝撃で破けたルーズベルトからもち米が飛散する。

 怖さを紛らわすために二度三度、思い切り振り下ろす。


 すっかり高さを失った彼に、ペットボトルの口から直接、塩水を注ぐ。


「俺の勝ち、俺の勝ち、俺の勝ち」


 勝ち名乗りを、きっちり三回。


 時計を見れば、朝の四時。

 おそらく、太陽はもうすぐ昇る頃だ。東の空は白んでいるだろう。

 喉元過ぎれば、というものか。あれ程までに恐ろしい体験も、もう既に怖くて面白い話の種になるだろう等と思っていた。

 一先ず、余りにも散らかっているリビングの惨状をどうすべきかの方が喫緊の課題だ。


「塩水全部出したのは失敗だったな」

 と、幾ら拭いてもキリがないほどに水浸しになったフロアーに苦労した。

 すっかり片付けを終えた頃には既に六時を回っていた。

 徹夜特有の気だるさに、ベッドに飛び込む。

 存外に疲れた。

 睡魔は直ぐにやってきた。


 目が覚めると、時刻は午後一時。

 フロアーに薄く塩が析出している。

 ――さすがに拭き残したか…

 そう思い、ベッドから起き上がったとき、

 

「に゙ゃゃゃ」

 

 ハッキリと聞こえた。


 忘れていた。


 ひとりかくれんぼにおける“禁忌”


『ひとりかくれんぼは二時間以内に終わらせなくてはいけない』

 

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ある夏の話 来栖 @Yorihisa-Okuniya

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