第2話 戦争と、政治の裏工作
まず、一つが、
「各植民地の独立問題」
だった。
アジアの国々には、元々の宗主国がやってきて、さらなる支配を強めようとしたが、その間に、アジアの国々は、それぞれの、
宗主国」
からの独立を考えていた。
それは、皮肉なことだが、日本が戦争のスローガンとして、アジアの国に、その感情を植え付けることになった、
「大東亜共栄圏」
というようなもので、そのスローガンは、
「独立」
ということに終始しるのだろう。
そもそも、
「大東亜共栄圏」
というのは、
「今まで、欧米列強の植民地にされ、搾取されてきたことから、母国を開放し、そこで、東アジアにおける、一つの秩序を作り上げて、共栄していく」
という考えだ。
そもそも、
「満州国の建国」
においても、同じ発想ではなかったか。
というのも、満州国のスローガンが、
「王道楽土」
つまりは、
「ヨーロッパからの、力による支配ではなく、王道、つまりは、アジア特有の、徳という考えで、社会をまとめる」
ということが一つと、
「五族共栄」
という、
「漢民族、満州民族、朝鮮民族、モンゴル族、そして日本民族によって形成され、共栄していく」
というのが、満州国建国のスローガンだった、
それを考えると、
「日本という国は、それら独立した国の盟主となるため、今は、東アジアを開放し、新しい、秩序を作るということから、アジアに進出する」
という大義名分であった。
ただ、その一番の目的、いわゆる本音としては、
「経済制裁」
に逢っていることで、日本は、資源がないので、身動きが取れなくなる前に、
「南方の資源地帯を手に入れる」
という目的を持っているのであった。
それは成功し、ある程度まで、ある意味で、
「戦線は拡大していた」
のであった。
戦線が伸び切ってしまうと大きな問題が生じることになる。
その問題としては、
「補給路の確保ができるかどうか?」
ということである。
占領地が多いということは、それだけの人間を養うことになるのだが、その国が自給自足できればいいのだが、日本には、到底物資の食料もないのだ。
それは、
「実に本末転倒で、皮肉なことだ」
ということになるのだろう。
そして、もう一つの問題は、戦後においての、一番の問題となった。
「東西冷戦」
というものである。
ソ連にて出来上がった。社会主義体制。彼らは、諜報活動などによって、相手国を内部からつついて、
「革命を起こさせよう」
と画策したりしていたのだ。
それが、実は。もう一つの、
「植民地諸国の独立にも絡んでくるのだ」
ソ連という国は、それら
「植民地」
と言われた国に、郡司物資の援助をしたり、
「独立戦争のための教育をしたりして、独立後は、社会主義体制にしよう」
と考えていたのは間違いないことだろう。
だから、実際に、アジアでは、社会主義国家が成立することが結構あった。
アメリカがそれを危惧したことで、
「アジアにおける、社会主義かのドミノ現象を何とかしないといけない」
という感覚を持ってしまったことから、勃発したのが、1960年代後半から突入した、
「ベトナム戦争」
というものであった。
その前に起こった、
「朝鮮戦争」
と並んで、この戦争も、
「米ソの代理戦争」
と言われた。
それぞれで核開発を行っているために、抑止のため、直接対決というのは、避けなければいけなかったのだ。
それが、第二次世界大戦後における体制と、
「戦争の在り方だ」
といってもいいだろう。
戦争は、結局はなくならない。どんな形に変わろうとも、人が人を殺めることを罪と思わない限りは同じことだ。
というものであないだろうか。
それと同じで、なくならないブーム。
これも、形を変えながら、続いていくが、いずれ、また同じ形に戻ってくる。
これは、それだけ、ブームがなくならない魅力を秘めているからであろう。
ということになると、
「この世においてなくならないものは、
「必ず、誰かに親しまれ、あるいは、必要とされているというものであろう」
ということは、
「戦争というものも、誰かに必要とされる限りなくならない」
といえるのではないだろうか。
その必要としている人は、
「戦争を悪いことだと思っているのだろうか?」
自分に必要なものであれば、
「それはそれでいいんだ」
と思っているとすれば、それは、戦争がなくなるはずなどないということへの証明のように思える。
そして、戦争を、
「いいことだ」
と思っていたとして、
「悪いことだ」
と思っているとしても、その人にとっては違うことでも、周りから見ていると、
「同じことだ」
としか思えない。
と、いうことは、その人が思っていることは、戦争を、
「必要悪」
のようなものだと思っているに違いない。
「悪だ」
とオッ持っている人は、そのまま、悪という意識があることで、必要悪という言葉にまったく違和感がなく、
「戦争というものを表現するなら、この言葉以外にはない」
ということなのだ。
しかし、戦争を、いいことだと思っている人は、
「自分はいいことだと思っているのに、まわりは悪いことだと思っているということで、
「まわりに気を遣うということで、せめて悪という言葉をつけて、逃げている」
つまりは、言い訳をしている。
ということにしかならないのだ。
戦争をすることが、いいことだというのは、
「自分よかりの、まわりを気にしていない人間だ」
ということになる。
そんなやつに限って、戦争が起こっても、そいつには、痛くも痒くもないところに潜んでいるということになるのだろう。
それは、
「戦争というものが身近で起これば、安全な場所などどこにもない」
ということを分かっていない。
下手をすれば。戦争を起こした張本人側で、
「起こした側であれば、絶対に大丈夫なんだ」
という、どこから来るのか、根拠のない自信に見舞われることであろう。
普通は、戦争というと、なかなかひょんなことから起こるということは珍しい」
世界大戦のような場合や、今の時代のような、
「核の抑止力」
というものの中では、用心に用心を重ねているので。
「偶発的な事故や事件」
というのが、起こらないようにしている。
どちらにしても、
「大量殺りく兵器」
というものが火を噴いて。
「昔の世界大戦」
であっても、
「核戦争」
であっても、
「最終的にかかる時間」
というのは、天と地ほどの違いはあるが、結果は、ほぼ同じで、少なくとも、一方の都市は、廃墟となり、国民がほとんど死滅しているということになるのだろう。
核戦争の場合は、お互いに打ち合うことで、両者は、戦争が始まったと同時に、すでに廃墟は目に見えている、
しかし、世界大戦の場合は、あっという間に悲惨とはいかないが、消耗戦や、激烈な戦闘を繰り返しながら、結果として、最後には、
「無差別爆撃により逃げ回る」
という、悲惨な自国絵図が、見えてくるだけで、一夜明ければ、屍の山が築かれているというわけである。
単純に両者を比較するわけにはいかない。
結果としては同じような、一言でいえば、
「地獄絵図」
という状態を見せられて、
「これでも、戦争が悪いことではないと言い張れるのか・」
と考えてしまう。
以前のマンガで、
「戦争を引き起こすために、サイボーグを生み出す」
という内容のものがあった。
「戦争は金になる」
と思っていたり、中には、国がまとまっておらず、内乱を繰り返して、自分の国の中がそんな状態になっているので、
「何とかしないといけない」
ということで、
「目を外に向ける」
ということで、内乱軍を一つにまとめ、他の国に侵略にいくというようなストーリーもあった。
確かに、攻められる国は、理不尽かも知れないが、内戦で、国土が荒廃しきっているところとすれば、
「侵略もやむなし」
ということになるだろう。
ただ、そうなると、国連が黙っていないだろう。その中でも、
「世界の警察を自認するところ」
としては、そうもいかない。
そんな国を、
「侵略軍」
ということを、
「世界は許さない」
ということで、経済制裁であったり、何とか説得しようと試みながら、かたや、同時に、攻められた国に、援助物資の名目で、
「戦闘機や戦車。さらには、武器弾薬を送る」
ということをしている。
ただ、
「攻められた国が、一方的に可哀そうだ」
という見方はいかがなものだろう。
「攻めこんだ国のやり方が、理不尽なものだ」
ということで、
「攻めた国を悪」
ということにすると、攻められた方は、実際にはどうなのか分からないが、勝手に、
「善」
ということにされてしまう。
それが攻められた方の国の、ひょっとすれば、最初からの作戦だったのかも知れない。
「彼らも、本当は戦争をしたいと思っていた」
あるいは、
「戦争をしなければいけない」
というまわりには、決して見えてこない、何らかの事情があったとすれば、こんな国に、
「攻められて可哀そうだ」「
ということ、イコール、
「善なのだ」
といってもいいのだろうか。
無償で、救援物資や、食料、さらには、武器弾薬や、兵器まで、
「攻めこまれた気の毒な国」
つまりは、
「被災したということで、気の毒な国を援助するのは当たり前だ」
という、
「勧善懲悪」
という構図を絵に描いてしまったことで、一つの形が、
「間違いないことと」
ということで確立してしまうと、攻めこまれたという理由で、戦争は、
「正義のための戦争」
ということになる。
それは、
「第二次世界大戦における。アメリカが、そうだったのではないだろうか?」
というのは、
「イギリスからの参戦依頼があり、戦争というものをやりたがっていた、当時の大統領が考えたことは、今のような作戦であり、敵対国を、経済制裁などで追い詰めておいて、このままでは亡国となってしまうと思った国が、やむなく、奇襲攻撃を仕掛けてきて、それを、騙し討ちとして、国民に、戦争意識を一気に噴出させるために、行った攻撃と、どこが違うというのだろうか?」
そういえば、
「理不尽に攻めこまれた」
といっている国のダイトウリョウが、その国の閣議に、
「映像参加」
した時、演説で、
「かつての、騙し討ちのようなことがあったことを忘れるな」
とほざいていたが、それこそ、このような状況を知っていたり、このような状況が、そのダイチョウリョウの画策だと分かっている人は、
「ああ、巨大ブーメランだ」
と思って、笑っていたのかも知れない。
しかもやつは、その時、騙し討ちだと言われた、奇襲攻撃を掛けた国にも、援助を要請してきたのだ、
あの演説の後のことであって、
「騙し討ち呼ばわりされた国、つまりは、わが国、日本であるが、どの面下げて、お願いに来れるのか?」
というべきなのであろう。
「歴史を知らないにもほどがある」
ということであったが、恐ろしいことに、もっとひどいのは、
「日本政府の面々」
であった。
何とその時、何があったのかというと、テレビに、その極悪ダイトウリョウの顔が映し出された時、
「遠因が立ち上がっての、拍手、つまりは、スタンディングオベーションではなかったか」
ということであった。
侵攻した国の、国家元首が、
「あの国のダイトウリョウは、まるでナチスだ」
と言っていたということで、ほとんどの人は、
「何をほざいている」
と言っていたが、この時の日本政府の面々を見ると、まるで、映像に映し出されたあの男がヒトラーで、まわりで拍手をしている連中が、当時のドイツ刻印であると思うと、
「ナチスだ」
と言った言葉にウソはなく、本当のことに思えてくるというものであった。
「ドイツ国人」
だというのは、少し違うかも知れない。
あの時のドイツ国民は、第一次大戦に敗れて、その責任を一気に背負わされたことで、悲惨な生活を強いられていたことで、
「強い指導者に、
「自分たちの未来を夢見た」
ということであれば、それは致し方のないことであろう。
そういう意味で、
「騙されていたこともしょうがない」
といえるかも知れない。
しかし、今の日本はどうだろう?
我々は少なくとも、ナチスについては知っているはずである。
しかも、あいつらは政治かあではないか。
国民の代表として、国民から選ばれた人たちである。
「政治家になるために、勉強をしてきているから、国会議員になれたはずである」
そんな連中に、
「ナチスをよく知らない」
などということは言わせない。
そして、そのナチスというものを二度と引き起こしてはならない
ということだって、暗黙の了解で、誰もが分かっているだろう。
もっとも、そんなことが分からないやつに、
「国会議員などできるはずはない」
ということになるだろう。
それを考えると、
「あのスタンディングオベーションがどういうことになるのか?」
ということを、国民も分かっていないということだ。
もっとも、そんな国民が、政治に関心がなかったり、
「まったくの無知」
だということから、
「あんな国会議員が生まれることになる」
ということだ。
下手をすれば、
「有名人だから、国会議員になれた」
ということになれたのかお知れない。
賢明な読者であれば、
「あれ? どっかで」
という、
「既視感」
であり、
「デジャブ現象」
というようなことを思い出すことだろう。
というのも、それは、
「例の詐欺出版社の営業が言っていた」
という言葉が頭に浮かんでこないか?
ということである。
つまりは、
「出版社が、全額を払っても、本が売れるということで、お金を出すとすれば、それは、芸能人か、犯罪者くらいのものだ」
と言っていたというではないか。
これは、実に面白いことだ、
ということは、
「政治家として表に出るには、もちろん、勉強をしている、最初から政治家を目指していた人間か、あるいは、ただ、売れたいということで芸能人を目指していた人が、今度は政治家として顔を売りたいということで行った本人の政策のようなものに、国民は踊らされているというのが一つだろう」
といえる。
しかもである、
「あの時に言っていた営業が、芸能人か犯罪者だ」
と言ったというではないか。
つまり、うがった考え方をすれば、
「芸能人も犯罪者も同じレベル」
ということになるだろう。
もっろいえば、
「政治家を目指す芸能人は、犯罪者レベルだ」
ということになり、
「政治家なんて、しょせんは、犯罪者のようなものだ」
と考えるとすれば、それは危険であろうか?
確かに、突飛だということは分かる気がするが、
出てきた答えとして見えていることは、
「しょせん、政治家というのは、犯罪者のように、何か腹に一物を持っている」
ということになるであろう。
何といっても、
「確かに戦争というのは、悪いことだ」
というのが、全体的に暗黙の了解になっている。
必ず犠牲者が出るのは分かり切っているからだ。
しかし、政治の世界でも、やっていることはどう違うというのか?
以前のソーリの中にもいたではないか。
「自分に都合のよくない状態になったら困るということで、自分のいうことを聞く検察官をそばにおいておきたい」
ということから、
「法律を変えてまで、定年を延ばそうとした」
ということがあったではないか。
実際には、その男は、
「賭けマージャン問題から、墓穴を掘り、自ら辞任することになった」
という、
「究極の茶番劇を演じた男」
がいたではないか。
さらに、もっとひどいのは、そのソーリに
「疑惑」
というものが持ち上がった時、
「私は潔白だ。もし、怪しいというのであれば、私あソーリどころか、国会議員も辞任する」
と言ったことによって、何が起こったのかというと、
「結局、その人は、自殺に追い込まれた」
ということであった。
こんな理不尽なことが起こっていいものであろうか?
それを考えると、
「戦争というものが、いかにひどいものか?」
ということになるのであろうか、実際に、戦争では、ある程度、状況は見えている。
とはいっても、センシティブな部分があることで、映像としては見せることができないとはいえ、何が起こっているかということくらいは、ニュースでも報道しているだろう。
しかし、
「政治の裏工作で起こったこと、戦争の内容」
とでは、その状況は違っても、本来であれば、表に出せないということに変わりはないだろう。
しかも、それぞれに、事情があうとしても、政治の裏工作ほど、ひどいものはない。必ず一人に責任を押し付けることになるからだ。
そもそも、
「戦争の、いい悪い」
ということを論じていたが、
戦争には、
「いい部分、悪い部分」
とあるだろう、
いい部分というのは言い過ぎというもので、
「仕方がない部分」
ということで、贔屓目の、
「いい部分だ」
といえるだろう。
しかし、政治の裏工作では、その、
「いい部分の欠片」
もないのだ。
つまり、犠牲になった人は、完全に悪者として葬られることになるのであり、報われることはない。
そういう意味で、
「政治の裏工作」
を行った。
誰かを、人身御供にしたのであれば、その男は、
「人間の皮をかぶった悪魔」
ということで、決していい死に方はしないだろう。
まさにその通りだというところがオチだったのだ。
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