第1話  お祈りメールとしゃちほこ女

 私には霊感がある。

 と言っても、そんなに強いものではない。オバケの姿がはっきりと見えることもあるし、ぼんやりと見えることもある。話ができることもあるし、できないこともある。触れることもあるし、そうでないときもある。精度がひどく曖昧なのだ。

 とはいえ、それが仇となることも間々ある。

 いや、だいぶある。

 事故現場では、スプラッタな姿のオバケを見て吐きそうになるし、お葬式のときには亡くなった本人のオバケを見ることもあって、いたたまれない気分になる。

 子どもの頃は生きている人と死んでいる人の区別がつかなかったから、オバケと遊ぶことも間々あった。

 誰もいない部屋でお喋り&爆笑しながら走り回る私を見て、両親はまあまあガチで引いたという。

 そして二十一歳を迎えた今となっても、私は霊感のせいで苦しめられているのだ。

 例えば私はいま、丸ノ内線から半蔵門線に乗り換えるため、通勤ラッシュでにぎわう東京駅の構内を猛ダッシュしている最中だ。

 なぜそうなったのか。

 ──就職面接に、遅刻しそうだからだ。

 これは私が時間の管理を怠ったからではない。

 霊感のせいなのだ。

 霊感とは第六感とも言われている。だから霊感がある人は、普通の人よりも感覚機能がひとつ多いのだ。ということは、普通の人よりも疲れやすい。つまり寝坊もしやすいのだ。だだからいつもは携帯のアラームを使うようにしている。

 しかし、私は昨日、アラームをセットするのを忘れたまま寝てしまった。

 もちろん、これも霊感のせいだ。

 霊感があるとアラームをセットすることを忘れがちなのだ。理由を問われても答えることはできない。これは霊感がある者にしか分からないヤツなのだ。

 というか、大学四年の春になっても内定が決まらないのも、霊感のせいだ。霊感があるおお祈りメールを貰いがちなのだ。

 そういうものなのだ。

 彼氏がいないのも霊感のせいだ。

 大学のゼミとかバイト以外で男子と喋ったのっていつが最後だろう? あ、でもアパートの下の階に住んでる小学生の男の子とは毎日喋ってるから大丈夫かー、はは……と思った直後に下を向き『はは、じゃねえよ……』って深夜の二時に呟くっていう、地獄みたいなひとりノリツッコミをしてしまうのも、霊感のせいなのだ。

 …………って。


(バカなこと考えてる場合じゃねええええぇぇェェェェッ!!)


 現実逃避していた自分に心の中で全力のツッコミを入れる。三分後に来る中央林間行きの電車に乗れなければ遅刻確定だ。いまは余計なことなど考えず、半蔵門線へと続く長い階段を駆け上がることに全力を費やすのだ!

 そんなふうに気合を入れなおして階段を上り切った、その直後……。


「うおっとぉ!!」


 最後の一段を登り切ったところで、目の前に小さな女の子がいることに気づいた。

 なんでこの時間に小さい子が!? という疑問を抱いている暇もなさそうだ。私は軸足に力を込めると、身をよじるようにして無理やり少女の身体を避けた。

しゃちほこのようなポーズになったものの、彼女に飛び膝蹴りをお見舞いすることだけは避けられたようだ。


「痛ぁっ!」


 ……まあ、おかげで派手にすっ転んだし、鞄の中身もぶちまけることになったんだけどね。

 でも、そんなのは些細なことだ。

 私は半身を起こすと、苦笑いしながら少女に謝ろうとしたのだが……。


「……えええぇぇ……」


 と、なんとも情けない声が漏れ出てしまった。

 少女は私に向けて申し訳なそうな顔をしてから、フっ、と消えてしまったかだ。

 ……はい。オバケだったみたいですね。

 ええ、今でも時々、死んでる人と生きてる人を間違えることあるんですよ。いまみたいに急いでる時とか特に。

 避けて損したぁ……とは思わない。遅刻を霊感のせいになんてしたからバチが当たったのだろう。

それに、昔オバケから聞いたのだけど、身体をすり抜けられるのって、あんまり気持ちがいいものじゃないらしい。

 だから、やっぱり避けて良かったのだ。

 って、そんなこと思ってる場合でもないんだった。私は床に散らばった書類やら携帯やらを拾い集めた。行きかう人々は私や私物を避けてくれたものの、その視線は冷たい。

 そりゃそうだ。この人通りの多い時間にこんなことをされたら迷惑だし、フルテンションで自分の鞄をタッチダウンするヤバい女になんて、誰も関わりたいとは思わないよね。

 そんなふうに卑屈なことを思いながら手を動かしていると、私の目の前に細長い影が落ちる。思わず顔を持ち上げてみると、目の前に男の人が佇んでいることに気付いた。


「……大丈夫ですか? お手伝いしますよ」


 彼は間延びした声でそう言うと、長い足を折って私物を拾うのを手伝ってくれる。


「…………っ」


 対する私は、お礼を言うのも忘れて彼の姿に見入ってしまった。

 理由はふたつある。

 ひとつ目は、彼が息を呑むほどのイケメンだったからだ。

 年齢は二十五、六歳といったところだろうか。長いまつ毛に切れ長の目。高い鼻に形の良い唇。そして長身で細身で小顔。モデルを形容するときに使う言葉が漏れなく当てはまるような美丈夫だ。

銀髪セミロングというハードルの高い髪形も、嫌みなく似合っている。

 そんなイケメンにこのシチュエーションで助けられたら、恋に落ちる音の一つや二つくらい鳴りそうなものだけど……。

 二つ目の理由が、それを阻んでいた。

 先ほど挙げた美辞麗句が皆殺しにされるほど、彼は不気味な雰囲気をまとっていたのだ。

 顔色はひどく悪いし、くっきりとした濃い隈もできている。それでいて目だけは異様にギラギラとしているし、口元には常にニヤニヤとした笑みが張り付いていた。

そんな男が黒スーツを着て黒ネクタイを締めているのだから、不気味以外の感想など出てこなかったのだ。

 ……すごいな。病みメイクいらずの病み顔。助けてもらってこんなこと思うの失礼だけど、さっきの子よりもこの人のほうがよっぽどオバケしてるよ。うん。オバケの才能がある。

 そんな失礼なことを思いながら、私は時間がないのも忘れて彼の姿に見入ってしま……。

 ん? 時間が、ない……?


「……うわああっ、す、すいません! ありがとうございます!」


 現状を思い出すのと同時、私は私物を拾う作業を再開する。助けてくれた人がイケメンかヤバい人かなんてどうでも良い。電車に乗れるかどうかだけがいまの私のすべてなのだ。

 そんな私の様子を見ながら、男は散らばった書類をクリアケースに収めながら、


「いえいえ。困っている人を助けるのは当たり前のことですよ……それに」


 クリアケースを私に差し出しながら、にたぁ、と、一層不気味に微笑みながら言う。

「あの女の子にも頼まれましたからねえ。『あのお姉ちゃん、私を避けたせいで転んじゃった。助けてあげて』……とね」

「…………え?」


 そう私が声を上げたとき、乗らなくてはならない電車が、間もなくホームに到着することを告げるアナウンスが流れた。


「……すいません、私もう行かないとなんで! あの、ホントありがとうございました!」


 クリアケースをかき抱くように回収すると、私は高速で一礼してからその場を後にした。きちんと挨拶できないのは申し訳なかったし、ものすごく気になることを言われた気もするけど、今はマジで時間がない。パンプスのヒールがへし折れる覚悟で走る。

その甲斐あって、なんとか目的の電車に滑り込むことができた。


「……ふう」


 満員の車内で安堵の息を吐くとともに、先ほどの男の言葉を振り返る。

 女の子に頼まれた、って言ってたけど、それってやっぱり、私が避けたあの女の子のオバケのことだよね? ってことは、あの人も「見える人」ってわけで……。

 ……よそう。考えるのは。気にはなるけど、今考えるべきことではない。今日受ける就職面接に落ちたら、また大学の就職支援課に足しげく通う毎日が始まってしまう。

内定が決まった同級生たちが卒業旅行の話題で盛り上がっているのをしり目に、就活本とにらめっこしながら「旅行当日に隕石落ちろ、隕石落ちろ、隕石落ちろ」と心の中で連呼してしまう日々に戻ってしまうのだ。

 私は面接の受け答えを復習するため、鞄から履歴書のコピーを取り出そうとして……。


「……あ!」


 ──隕石よりもヤバい物を落としてしまったことに、気づいた。

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