第2話  私はショタではない

「え!? じゃあお姉ちゃん、履歴書のコピーを落としちゃったの!?」


 その日の夕方。

 私が借りているワンルームのボロアパートの中で、小さな男の子がそんな大声をあげていた。

 彼の名は狩野佑真(かのう ゆうま)。この部屋のひとつ下の階に住んでいる、小学四年生の男の子だ。ネトフリとアマプラを目当てにこの部屋へと来ることを日課にしている。

 履歴書という個人情報の塊を落とすことがどういうことか、子どもながらにそのヤバさが分かるのだろう。彼はどんぐり眼を更に大きくして、ベッドに突っ伏している私に訊ねた。


「落とし物が届けられるところには行ったの?」

「……行った。でも、なかった」


 面接が終わった後、東京駅の落とし物センターに直行したのだけど、駅員さんに「届いてないねえ……」と、気の毒そうに言われただけだったのだ。

 私の返答を聞き届けてから、佑真はフォローの言葉を探すように黙考し、だいぶ無理やり笑いながら言葉をひねり出した。


「で、でも、面接には間に合ったんだよね!?」

「……うん」

「じゃあ、良かったじゃん! それで遅刻したならアレだけど、間に合ったなら……」

「……面接の受け答え、ボコボコだったけどね」


 地獄の底から鳴り響くような私の返答に、佑真からのフォローが途絶える。

 元々、履歴書を落としたことで精神状態はヤバいことになっていた。それに面接では提出した履歴書の記載内容について質問されることが多い。だから電車の中で履歴書のコピーを見て、受け答えの練習をしようと思っていただけど、それもできなかった。

 結果、ガチガチに緊張しながらちぐはぐな問答を繰り返すことになり、途中から「あ、これもうダメなヤツ」的な気持ちで残り時間を過ごす面接となったのでした本当にありがとうございました。


「で、でもさ! まだ結果は分からないじゃん!」


 そんな私を慰めるために、佑真は根気強くねぎらいの言葉をかけ続けてくれている。しかし私は屍のように横たわったまま、再び地獄の釜を開いた。


「分かるよ。そういうのって面接官の顔で分かるんだよ。私を見るときだけね、こう、重油塗れの鳥を見るときみたいな目をしているの。哀れな痴愚生物を見る目をしているの」

「……でも、もし落ちちゃったとしても、その……同級生の人だって、まだみんな就職するところが決まってるわけじゃないんでしょ?」

「うん。みんなではないよ。でも、一緒のゼミの子はほとんどみんな決まってるよ。〇んじゃえばいいのにね」

「…………お姉ちゃん、かわいいよ」

「かわいくないよ。彼氏いないし。まともにいたこともないし」

「……うっ」

「……う?」

「……うわあああああああああああああん!」

「なんで!?」


 思わずツッコんでしまったけど、当たり前の反応だろう。大人が本気の愚痴を吐き続けたら、そりゃあキャパオーバーで泣きたくもなるよね。

 我に返った私は、ベッドから飛び起きてソファの上で佑真を撫でながら言った。


「ごめんごめんごめん! お姉ちゃん、佑真のおかげで元気になったよ!」

「ぐす……ウソばっかり……」

「本当だよ! 一人でいたら凹んでたかもしれないけど、佑真が話を聞いてくれたおかげで、ちょっとすっきりしたもん!」

「……本当?」

「本当本当! いつもありがとうね佑真! お姉ちゃん、また明日から頑張れるよ!」

「ひっく……うん」


 佑真は目を擦ってからにっこり笑い、栗色の髪の毛を押し付けるようにして私に抱きついてくれた。

 あああぁ、かわいい! 弟にしたい! 子ども部屋おじさんになるまで同居したい!

 実際、私にとって佑真の存在は大きい。友達が多くない私にとって、彼と映画を見たり他愛もない話をする時間が憩いのひと時なのだ。上京したばかりで友達が少ないころ──いまも決して多くはないけれど。特に男友達──などは本当に助かった。

 ……小四の男の子が日常の一部に組み込まれてるってのもヤバい気はするけど、変な意味ではないし、大丈夫だ。うんきっと大丈夫。

 私はショタではない、ショタではないのだ。

 そう思いながら佑真の頭を撫でていると、彼はつけっぱなしにしていたテレビを指さし、


「じゃあさ、マッシ〇ル一緒に見よっ!」

「またそれ? 好きだね~。お姉ちゃんもう、冒頭シーン覚えちゃったよ」

「えぇ~。ダメ?」

「いいよ。晩御飯の時間まで見ちゃおうぜ!」

「やった! お姉ちゃん好きー!」


 私はショタではない。私はショタではない。私はショタではない。

 心の中で自戒を繰り返していると、テーブルの上に出していた私のスマホが鳴った。知らない番号からの着信だったけど、就活中のこの時期には間々あることだ。

 私はテレビを消し、就活モードの声を作って電話に出た。


「はい、もしもし。幸村梓の携帯です」

『……もしもし。ああ、繋がって良かった』


 ──スマホから聞こえてきたその声に、私の背筋が凍る。

 この間延びした声。そして、電話越しにも伝わってくる、薄ら笑いの感じ……。

『急に電話をしてしまってすみません。今朝、駅で君の書類を拾うのを手伝ったものです』 


 やっぱりか……。

 え、なんであの怖イケメンが私に電話かけてくんの? っていうかなんで携帯の番号知ってんの?

 いや。もしかして……!

 そんな不吉な予感を的中させるようにして、彼は二の句を継いだ。


『実はあの後、君の履歴書を拾いましてねえ。駅員に届けようと思ったのですが、俺も急いでいたもので、ひとまず持ち帰ってしまったのです。改めて警察や駅に届けるよりは、こうして直接お電話したほうが早いと思いまして、不躾ながら連絡させてもらいました』


 マジか……。いや、可能性の一つとして考えていなかったわけではないのだ。落としたのはあの時だと思っていたし、拾うのを手伝ってくれたのは彼だけだったし。

 ……でも、急いでいたとはいえ、駅員に届けずに持ち帰るなんてこと、あるのかな?

 そんな疑念はよぎったものの、とにかく見つかって良かった。私は安堵の息を吐きながら、


「拾っていただいてありがとうございます! わざわざ連絡までいただいて、本当に助かりました!」

『いえいえ。むしろ連絡をするのが遅くなってすいませんでした。俺も先ほど仕事が終わったものですから』


 と、小さく笑いながら言葉を返してくれる。さっきから思ってたけど、この人すごく物腰が柔らかいな。電話だと不気味な感じもあんまりしないし、普通の好青年って感じだ。

 いや、私が勝手に失礼なバイアスをかけてしまっただけで、もともとこういう人なのかもしれない。低血圧とかで朝だけ弱い人ってけっこういるしね。

 そんなふうに認識を改めていると、彼は柔らかな口調のまま告げた。


『それで、失礼なのですが、君はいま、就職活動中なのですよね?』

「……え、はい、そうですけど」

『なるほどですねえ……それはちょうどいい』


 言ってから、彼は少しだけ事務的な口調になって、


『自己紹介が遅くなってすみません。俺は散骨院シズマといいます。三軒茶屋で小さな不動産屋を営んでいるのですが、いま、ちょうどスタッフを募集している最中でしてねえ』

「……はあ」

『しかし求人を出しても人が集まらずに、困っていたところでした。ですので、こんな形で大変失礼なのですが、もし君さえよければ、一度うちの面接を受けてみませんか?』


 という彼──散骨院さんの提案に対して、私は思わず沈黙で返してしまった。

 ……いや、だって、さすがに怪しすぎでしょ。

 たまたま履歴書を拾って、その相手に電話をかけて、そのまま入社の勧誘するって……そんなことある?

 というか、履歴書を落とすような間抜けを雇いたいなんて思うかな?

 そんなことを思いながら沈黙していると、携帯に耳をつけて会話を聞いていた佑真が、驚いたような顔をしながら私に向けて言った。


「お姉ちゃん、なんでなんにも言わないの!? 就職できるチャンスじゃん! 優しそうな人だし、面接受けさせてもらいなよ!」

「あ、ちょっと……!」


 と、慌てて佑真をいさめたものの、すでに散骨院さんにその声が聞こえてしまったようで、


『失礼。お取込み中でしたか?』

「あ、す、すいません、下の階の子どもが遊びに来ているもので」


 言いつつ、佑真に『しぃ~』と口を紡ぐようにジェスチャーで伝えてから、改めてこちらの意向を伝えるべく口を開いた。


「あの、ありがたいお話なんですけど、ちょっと急すぎて、なんてお答えしたらいいか……また、改めてご連絡させていただく形でもよろしいでしょうか?」

『もちろん。もともと無理な相談ですし、いますぐ返事が欲しいわけでもないので、それで結構ですよ』


 そこで一度会話を区切ってから、散骨院さんはこんな言葉を付け足す。


『それと簡単にではありますが、弊社の雇用条件について説明させてください。まずは……』

「…………っ」


 そこから先の彼の言葉を、私は相槌を打つのも忘れて聞き入ってしまった。

 彼の提示した雇用内容が、ゴリゴリの好条件だったからだ。

 完全週休二日制。交通費支給。手厚い福利厚生に研修制度。家賃全額負担。

 ……やちん、ぜんがくふたん。

 家賃、全額負担?

 家賃全額負担!?

 そんなパワーワードの数々に圧倒されて、思わず黙ってしまったのだった。


『──そんなところですかねえ。検討してもらえたら思います。面接を受けられない場合は、履歴書を君の家に郵送しますので、安心してください』

「……あ、はい」


 それだけはなんとか答えると、散骨院さんは『お忙しいところ失礼しました。それでは』と、言い残して電話を切ってしまった。

 こっちはなにも言い返せなくて失礼だった……などとぼんやりと考えていると、佑真が私の袖を引っ張りながら心配そうに言った。


「お姉ちゃん、邪魔しちゃってごめんね。でも、なんで僕の声が聞こえちゃったんだろう?」

「……そりゃあ、あんだけ大きな声出したら、聞こえるでしょ」


 そんな心ここにあらずの返答をしてから、私は改めて考える。

 ……怪しい。やっぱり怪しすぎる。

 そんな良い条件なのに人が集まってこないところからして怪しいし、そもそもそんな好条件を出してくること自体が怪しい。絶対なんか裏あるヤツだよこれ。


「でも、良かったね! 散骨院さんもお姉ちゃんのこと気に入ってくれてるみたいだし、きっと面接受かるよ!」

「……うん。そうだね」


 曖昧に笑いながら佑真の頭を撫でる。彼はすっかり私が面接を受ける気でいるようだけど……う~ん。

 さすがにナシかな。怪しすぎるもん。

 うん、ないない。なにか適当な理由をつけて断ろう。

 それで履歴書を送り返してもらっておしまいだ。

 うん。

 こんな怪しい就職面接なんて、絶対に受けないんだから。

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