告知事項、アリ ~散骨院シズマの失敗しかない物件選び~

呑田良太郎

序章

 時刻は夜の十時過ぎ。場所は1LDKのアパートの一室。

 私がリビングのソファに座ってテレビを見ていると、うすら寒い感覚が背筋を通り抜けていくのを感じた。


(気のせい……?)


 そんなふうに思いながら背後を見た、そのとき……。


「…………?」


 部屋の電気とテレビが、フッ、と消えた。

 そして、それと同時に、


「…………っ!」


 私は、気づく。

 私の視線の先……玄関へとつながる廊下の奥には、


「──いたい……いたいよぉ……」


 年端もいかない少女が、いた。

 ほの暗い廊下の先に、悄然と佇む少女が、突如として現れたのだ。

 少女の皮膚は、醜くただれていた。

 傷口などが化膿した、などという生易しいものではない。

 皮膚の所々が剥がれ、溶け、落ち窪み、赤黒い皮下組織を晒している。

 左右不均一な顔には、乾いた血の筋が幾重にも這い、黄色く濁った瞳は虚ろで、意志の光はおろか、生の気配が感じとれない。

 しかし、少女は動いていた。

半ば以上に骨の露出した足を動かし、乾いた血でパリパリになった黒髪を揺らせながら。

 ゆっくり、おぼつかない足取りで。

 しかし、確実に。

 少女は、リビングにいる私に向けて、歩み寄ってきた。


「……お姉ちゃん、わたしのこと、見えてるんだよ、ね……?」


 ヒタ、ヒタと、不気味な足音を伴いながら、彼女はなおも私に近づいてくる。


「ねえ……いたいの。身体がいたい……」


 そして──私の目の前にやってきたところで、彼女は私の足元に縋りついて……。


「お姉ちゃん、代わってよおぉォッ!!」


「あ……あぁ……!」


 少女の慟哭に、私は思わず大きく息を吸い込んで……。


「──あなたがこの部屋のオバケだよね! 良かったぁ~。全然出てきてくれないから、部屋番号間違えたかと思った。いやあ、超怖かったよ、マジで」

「…………っえ?」


 と、先ほどとは打って変わって頓狂な声をあげる彼女に、私は満面の笑顔を浮かべながら言葉を続ける。


「私、今日からここであなたと一緒に住むことになったから、よろしくね!」

「え、一緒に住っ……え!?」

「とりあえず、座って座って! アマプラのホラー映画で見たいのあったんだけど、ひとりで見るの怖くてさあ」

「え……いや、ちょ……!」

「あ、でもその前にお顔きれいにしようか。ちょっと待ってね。拭くタイプのメイク落としあるから……」

「いやこれメイクじゃないし! ってか怖っ! この人全然話聞いてくれないんだけど!」


 と、オバケに『怖い』呼ばわりをされて、私はようやく正気に戻った。

 ……いけない、いけない。彼女が出てきてくれた嬉しさで、ついつい舞い上がってしまっていた。

 その時、消えていた照明とテレビが点いた。彼女が動揺したことによって、本来の機能を取り戻したようだ。

 明るくなった部屋の中で、改めて少女の姿を観察する。彼女は先述のように痛々しい姿……ではなく、年相応の可愛らしい姿になっていた。

 その姿をまじまじと見つめながら、私は顎に指先を添えて、


「なるほど。まずは部屋を暗くして環境を整えてから、ちゃんと自分の姿も怖い感じにして、私を驚かせようとしてたわけね……うん。ステレオタイプね。ちゃんとオバケしてる」 

「ぶ、分析やめてよ! うわヤバい! めっちゃ恥ずかしくなってきた!!」

「ま。とりあえず座りなって。いつまでもこうしてるわけにもいかないでしょ?」


 私はソファへと腰かけながらそう言うけど、彼女はその場から動こうとしない。怪しいものを見るような目つきで私を睨んでいるのみだ。

 自分のほうが怪しいもののくせに。

 まあ、それもそうか。驚かそうとしていた相手が、いきなり狂喜乱舞して、オバケがその場に来ることを分かっていたような顔をしているのだから、そりゃあ怖いよね。

 だけど経験上、こういう時は下手に相手に合わせずに、自分のペースに持ち込んだほうがいい。少しくらいダルいと思われても、グイグイいかなきゃね。

 私はひとつ咳ばらいをすると、できるだけ柔らかい笑顔を浮かべながら言った。


「驚かせてごめん、とは言わないよ。それはお互い様だからね。でも、自己紹介が遅くなっちゃったのはごめんね。私は幸村梓(ゆきむら あずさ)。このアパートの管理人さんにお願いされて、この部屋に住むことになったんだよ」

「……私を、除霊するように頼まれたの?」


 少女が警戒を強めたように──そして、少し悲しげな表情をしながら言う。

 まあ、そうなるよね。『除霊』なんていう言葉を知っているくらいだから、いままでも何度かそういうことがあったのだろう。

 そしてそのたびに、つらい思いや悲しい思いをしてきたに違いない。

 さっきのおっかない姿も、彼女の中の人間に対する敵対心の表れなのかもしれない。

 私は笑顔を崩さないまま首を振る。


「違うよ。除霊するんじゃなくて、あなたが成仏できるようにお手伝いをしに来たの」

「お、同じことじゃない!」

「全然違うよ。除霊は強制的にこの世から消しちゃうことを言うんだけど、成仏っていうのは、この世に残した未練をなくして、納得したうえで逝ってもらうっていうことなの。そうしたらまた人間として生まれ変わることができるんだよ」

「えっ……」


 と、一瞬だけ嬉しそうな顔をした彼女だったけど、すぐに元の剣呑な表情になって、


「ウソつかないでよ! なんで見ず知らずの私のために、そんなことしてくれるのよ!?」

「なんで……か」


 仕事だから……と言おうと思ったけど、それだと冷たい言い方になるし、厳密にいえば少し違う。

 私はこの仕事をする以前から、割とオバケが好きだったからだ。

 でも、そう言ったところで信用なんてしてもらえないよね。こっちの利害も説明してないし、そもそも私が何者かすら話していないわけだし。

 だから私はグイグイ行くという方針を変えず、こんな提案をしてみる。


「よし、じゃあここはひとつ、お互いに身の上話でもしますか!」

「『じゃあ』の使い方おかしいでしょ! なんでそうなるのよ!」

「だって、なんで私があなたを成仏させたいか知りたいんでしょ? だったら、私の身の上話からしないと説明ができないんだよ」


 もちろんそんなことはない。

 だけど彼女の警戒を解くためには、なんでもいいから会話をしたほうが良いと思ったのだ。


「成仏するとかしないとかは関係なく、とりあえず聞くだけ聞いてみてよ。それに、これから一緒に暮らすんだし、お互いのことは知っておいたほうがいいでしょ?」

「…………」


 そこまで言うと、彼女は少女らしからぬ難しい顔をしたものの、やがてゆっくりとソファに腰かけてくれた。

 意外とチョロい、とか思ってはいけない。オバケは基本、会話に飢えているのだ。

 こんな胡散臭いヤツを相手にしてしまうほど、孤独な日々を過ごしている。

 そんな彼女の胸中を察しつつ、私は変わらぬ笑顔のままで言う。


「ありがとう! じゃあまず、あなたのお名前を教えてもらってもいい?」


 って、実は知ってるんだけどね。それどころか、彼女のある程度の身の上だって知っている。ここに来る前に資料で見たのだ。

けれど先述のように、オバケは会話に飢えているのだ。

 なるべくたくさんお喋りさせてあげたいし、私も聞きたい。

 やや間をためてから、彼女はぼそぼそと答えた。


「……池田 文野(いけだ あやの)」

「文野ちゃんね! 私のことは梓って呼んでね!」


 さて、なにから話をしようか。話を聞いてくれる気になったお礼ってわけじゃないけれど、せっかくなら面白おかしく聞いて欲しい。

そのためにはどんな順番で話せばよいか……と、頭の中で組み立てようとしたけど、そんな必要はないことに気付いた。

 たぶん、どんな順番で話そうが、私の身の上話は面白い。

 まず、こうしてオバケが見える時点で、普通の人が体験できないようなことを体験していると思う。そしてその体質が仇となり、最近になってヤベえヤツに目をつけられたばかりが、そいつにストーキングまでされることになってしまったのだ。

 そしてどういうわけか、いま私は、そいつと同じようなことをして働いている……と。

 ともかく、客観的に見ている分には、それなりに楽しめる人生を送っていると思う。

 当人からしたら、たまったもんじゃねえけどね。

 そんな苦い感情をお腹の中に押し戻してから、私は努めて柔和な口調で語り始める。


「……私はね、オバケが出る物件──事故物件を専門に借りる人なの」


 どうしてそんな数奇な人生を送ることになったのか。

 そのきっかけとなった、一ヶ月ほど前の出来事を、私は語り始めた。

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