第20話 貴方が好きです

 肩を貸して別室へディランを移動させた後、床に布を敷いて横たわらせた。


「レジーヌが……縫ってくれるのか?」


 息を切らしながらも、どこか嬉しそうな顔をする。


 傷口に消毒液を吹きかけると、ビクッとディランの身体が震える。口にも布を噛ませてあげた。


「痛い時は布を噛んで我慢してくださいね」


 針に糸を通し、止血をしながら慎重に縫い合わせていく。すべて縫い終わった後、口から布を取ってあげた。


「レジーヌの服を、俺の血で汚してしまったな」


 疲れ切った声でそんなことを言う。


「ディランがみんなを守ってくれたのです。そんなこと気にしなくていいんです」


 膝の上に頭を乗せると、ディランは嬉しそうに笑った。


「これで終わった。レジーヌ……ワガママを言っていいだろうか」


「なんですか? すりすりですか?」


 膝の上のディランの頬を優しくすりすりしてあげる。肌も、子供の頃のモチモチ感から、大人のサラサラとした質感に変わっている。


 綺麗な人形のような造りに表情が加わって、より一層素敵な男性に成長してしまった。


「俺は当分、動けない。部下がまた世話をしてくれると思うんだが、部下にすりすりされたくない。レジーヌ、俺のボロな屋敷に来てくれないか。一応客間はある。何もしないから……今は」


「今はってなんですか……もぅ。婚姻前の男女が同じ家に住むことはあり得ないことですから。毎日お見舞いに行く、ではダメですか?」


「じゃあ結婚しよう。今すぐにだ」


「その怪我で結婚式には出られないでしょう。子供みたいなこと言わないの!」


 はぁ……と、ディランはわざとらしく溜息を吐く。


「傷が痛い……レジーヌが傍にいてくれないと、治りそうにない」


 弱々しくそんなことを言うと、再会前のディラン邸でのやり取りを思い出す。あの時も「実はすごく痛い」と言って甘えてきたんだっけ。


「お見舞い行きますから、ねっ?」


「じゃあ、キスしよう」


 なんでいきなりそうなる……脈略もなく……。


「レジーヌからキスをしてくれたら治るから」


 そんな都合のいい話、あるわけがないのに。


 ディランの荒れていない、薄い桃色の唇が目に入る。ここに口付けを……。


 目を瞑った。何かの儀式のようだった。吸い寄せられるように、そっとキスを落とした。心臓が早鐘を打つ。ディランが息を呑む気配を感じた。



「……本当にしてくれるとは思わなかった」


 ディランが嬉しそうに微笑んだ。思わずその顔を抱き寄せた。今までディランには並々ならぬ好意を抱いていた。でもこの時、はっきりと大好きだと感じた。


「好きです、ディラン」


 あまりの愛おしさに涙が込み上げてきた。ディランもまた私をギュッと抱きしめ返してくれた。


「嬉しい、貴女にそう言ってもらえて。どこかで意地になっていた。意地でここまで生き残ってきた。でも、それは今日、貴女に好きだと言ってもらうために生き残ってきた気がするんだ」


「ディラン……」


 今度はディランからキスをしてくれた。優しいキスではなく、絡め取られるような深いキスを――。


「俺は貴女を愛している。貴女にだけ忠誠を誓う。結婚しよう」


 ディランの真摯な言葉にキスが止まらなくなる。


 そんな時にドアがノックされた。入ってきたのは王太子殿下だった。


「…………邪魔だったようだな」


 キスが見られたわけではないが、私たちの雰囲気に王太子殿下が頬を染めている。


「そう思っているなら出て行ってくれないか」


 ディランは邪魔された苛立ちを王太子殿下にぶつけている。


「そう言うな。王宮にお前のための部屋を用意する。父上とオクタヴィオがいなくなった。反対するものはいない。ディランは第三王子に復帰するんだ」


 有無を言わさぬその口ぶりに、ディランはムッとしたようだ。


「俺は王子なんかに復帰したくない。今のままでいい」


 ディランは昔のような無表情で王太子にそう言った。


「そういうわけにはいかない。俺にもしものことがあったら、王が空位になってしまう。俺は早々に国王に就任する。お前は王太子になるんだ」


「絶対に嫌だ。いい加減、俺を都合のいいように扱うのはやめてほしい。戦場に行け、死んでこい、その次は王太子? 冗談じゃない。そんなことを言うなら、俺はこの国を出て行く」


 傷口に触るだろうに、ディランはふらつきながらも立ち上がった。私はそんな彼に肩を貸す。


「王太子なら貴方が作ればいいだろう。もう王太子妃……王妃様も15歳。頑張って子供を作るんだな。それに、宰相のファルエム公爵家にも王家の血は流れてるんだ。ファルエム公爵家から後継ぎを出せばいいだろう……と、いうより、貴方が長生きすればいいんだよ」


 そう吐き捨てて、ディランは部屋を出ようとする。でも、「あ」と呟いてから王太子へ振り返った。


「傷が治るまでは、王宮に部屋を用意してくれ。一番豪華な部屋だ。俺は功労者なんだからな。そうすればレジーヌも頻繁に俺の部屋に来てくれるだろう。団員達の出入りもできるようにしてくれ。じゃあな」


 言いたいことだけを言って、ディランは部屋を後にした。



◇◆◇



 ディランは王宮の一室を与えられ、私もそこに通うことになった。傷の手当てはいつの間にか私の役割になってしまった。


「クレメンティエ少尉以外からは、包帯を替えられたくないと仰せなのです」


 団員の方達の出入りも自由となっているが、肝心なディランが私以外の看病を拒むのだ。


 本当に困った人だ。蒸した薬草を持って、ディランの部屋に入る。


 傷が大分よくなったのか、ディランは机に向かって手紙を書いていた。


「貴女の父上に向けて手紙を書いていたのだ」


 椅子から立ち上がり、まずは私を抱きしめてくる。肩から薬草の香りがする。また背が伸びたのか、視線が私よりほんの少し上になった。


 私も優しく彼の背に腕を絡めた。背中の感覚も、本当に大人の男性になってしまった。腕の中の温もりに愛おしさが込み上げてくる。


「早くすりすりしてくれ」


 声は低くはなったが、甘えるような響きは変わらない。


「もう……仕方ないですね。すりすりしたら、お手紙を見せていただけますか?」


 毎日すりすりしてもらってる、なんて書かれてたら堪らない。


「手紙には、貴女がいかに俺を可愛がってくれているかを書いてある」


 案の定それか……。


「あまり恥ずかしいことを書かないでくださいよ」


 そう言って、頭をなでなでからの頬をすりすりしてあげる。ディランは気持ちよさそうに、ガラス玉のような瞳を細めた。


「貴女のご実家に結婚の挨拶に伺う」


「えっ……! 父をこちらに呼ぶ、ではなく?」


「いや、俺が行く。貴女の故郷が見たい」


 そう言って、ディランは私のおでこにキスを落とす。


「王太子殿下が国王になられた暁には、クァルト帝国と正式に和平を結ぶ予定だ。いつまでも年中行事のように小競り合いを繰り返しても生産性がない。そうすれば俺も暇になる。貴女も王太子妃殿下から暇をもらえるだろう。貴女の故郷で結婚式を挙げる。貴女を振ったという下らない男も招待しよう」

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