第18話 結婚指輪

「無礼者! 手が滑って顔面にシャンパンがかかることなんてあり得ない! 絶対にわざとだろう!」


 オクタヴィオ殿下は、青年の胸倉を掴んで怒鳴った。周りの貴族達が何事かとこちらを伺っている。


「わざとじゃないですよ。本当に手が滑ってしまったんです」


 青年が挑発的に微笑んだ。



 驚いた。本当に表情が豊かになった。そして背が伸びた。もう私と同じくらいの背丈になっている。


「離して下さい。胸倉を掴むのは暴行と同じです。第二王子殿下ともあろう方がおやめください」


 私がオクタヴィオ殿下の腕を掴んだ。


「私のパートナーが来てくれたので、殿下とは踊れません。失礼します」


 そう言ってオクタヴィオ殿下の腕を捻ると、悲鳴をあげて手を離してくれた。


「さすがはレジーヌ。男前だ」


「ディランほどじゃないです……再会する度に、大人になっちゃうんですね」


 段々と凛々しくなるディランに、頼もしさと愛おしさと、少しの寂しさを感じてしまう。


 今日のディランは美麗なタキシード姿で、令嬢達の熱い視線を集めている。美少年から美男子に成長してしまった。


「可愛いディランがいなくなっちゃうみたいで、少し寂しいです」


 そう言うと、音楽が流れ始めた。意外とディランはダンスのリードがうまく、手を取って踊ると胸が高鳴った。


「今日のレジーヌはとても美しい。でも、その美しさは俺だけに見せてほしかった」


 もう子供の声じゃない。大人のディランに「美しい」と言われて、今までとは違うときめきを感じてしまう。


 一曲踊り終わると、ディランは私の手を引く。


「ここに貴女を置いておけない。他の男からダンスを申し込ませるわけにはいかない」


 そう言うと、舞踏会の会場を後にする。


「で、でも。エマが潜入してあの第二王子と婚約者をマークしろと……」


「心配しなくてもいい。ここでは何も起きない。せいぜいカクテルに毒入れるくらいかな」


 それがになってしまうのか。


「大丈夫だ。エマとモーリスがいる。それに、俺は貴女にすりすりしてもらうために舞踏会に来たんだ」


「……もうすりすりが似合わなくなりましたね。すっかり大人っぽくなっちゃって」


 人通りもまばらになった庭園には、薔薇が咲いている。ディランはそこのベンチに腰掛けて、私にも座るように促した。


「さっき、『可愛いディランがいなくなっちゃうみたいで寂しい』って言ったな。今の俺は可愛くないのか?」


 私に伸ばしてくる手の大きさも、肩幅も。すべてが大人になってしまったディラン。でも、甘えるような表情には昔の面影が色濃く残っている。


「いいえ……今気付きました。よく見ると、昔の貴方のままです。可愛い」


 ディランは私がしたようなすりすりを私の頬にしてくる。好きな人に触れられるのは蕩けるくらい幸せなことだ。あんなにすりすりをねだったディランの気持ちが今わかった。


「レジーヌ、オクタヴィオに掴まれた手は左手か?」


 そう言うと、ディランは左手を手に取り、手の甲に唇を落す。


「汚らわしい。何が『私を拒んだら、不気味な人形の立場も』だ。そんなに貴様は偉いのかと言いたい」


 そんなディランにおかしくて堪らない。


「貴方は昔、そんなに気持ちを露わにはしなかった気がします。今の貴女を見て、人形と形容する人はいないでしょうね」


 笑うと、ディランも釣られたように笑ってくれた。


「貴女が俺をすりすりしてくれて、会えない時でも貴女のことを考えているうちにこうなった気がする。貴女と出会うまでの間、俺の目には世界が白黒にしか映っていなかった。貴女と出会ってから、色鮮やかな世界に変わった。貴女が俺にすりすりしてくれたことで、俺は人形から人間に戻った気がするんだ」


 そう言うと、ディランは私の左手の薬指に控えめなゴールドの指輪を嵌めた。


「これはお守りだ。クァルト帝国の支配下にあった、エクスフ族の移住地を奪還した。エクスフ族には秘儀とされている剣術があって、なかなか面白かった。そのエクスフ族領で採れる金で作ってもらったんだ」


「まるで……結婚指輪のようですね」


 ディランは私の髪を撫で、そして指輪にも口づけをする。


「……もうすぐ終わる。エクスフ族領で面白いことを聞いた。オクタヴィオの手のものが、エクスフ族の族長の傍流の倅に都合のいい話を持ちかけたようだ。『俺に手を貸せば、俺が王太子となった暁には現在の公爵家の領地となっている場所を明け渡す』と。明け渡す予定となっているのは、現宰相家の領地。ヤツは、王太子となった際に粛清を行おうとしている」


 息を呑んだ。それを掴むために血で血を洗うような戦場をこの人は駆け抜けたのだ。


「この話は王太子にも伝えてある。宰相にも……。そして、オクタヴィオの婚約者。そいつが最後の刺客だ。そいつはエクスフ族の傍流の出だという。女だが、エクスフ族最強の剣士ということだ」


 ディランは目を熱く光らせる。


「そんな最強の刺客に相まみえるのはワクワクする。女であっても俺は容赦しない。向こうもそのつもりだろうし、それが剣士としての礼儀だ」



 エクスフ族の最強の剣士は、オクタヴィオ殿下の婚約の儀の際に、王太子の前に現れる。儀式の際は、警備兵は会場の後ろに控えている。襲撃対象である王太子との間に障害がない。


 そして、国王はそれを黙殺する方向だという。王太子さえ排除できれば、王位を継げるのは第二王子しかいない。ディランを王族籍に復帰させないのは、王位継承者を第二王子だけの状態にするため。


「俺は国王にバレないように警備兵に化ける。向こうが仕掛けてきた際にすぐ動ける立ち位置にいる。内務大臣、宰相とも打ち合わせ済だ」


 私も王妃の護衛として儀式の後方に控えることになっている。


「私もその打ち合わせに参加させてください。私もその最強の剣士と相まみえてみたいです」


 ディランの手を握り、そして頬をすりすりする。


「貴方だけにすべてを押し付けることはしません。私も力になります」

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