第12話 すりすりからのプロポーズ

 ディランはビンセント殿下の私室に入り、しばらく出てこなかった。中庭で警護をしていたら、部屋から出てくる二人の姿が目に入る。


 その時、一瞬目を見張った。ディランの背丈が伸びて、少し逞しくなったように感じられたからだ。ディランも私の姿が目に入ったのか、立ち止まった。


 ビンセント殿下に一言声をかけてから、中庭の方に降りてくる。


「レジーヌ、貴女のお守りのおかげで無事に戻ってくることができた。本当に感謝している」


 ガラス玉のような瞳は相変わらずで、でも目線が前に会った時と違う。そして、少し掠れてハスキーな声になっている。


「ディラン准将閣下、お風邪でもひかれたのですか?」


 心配をしてそう声をかけると、ディランは少し恥ずかしそうに俯いた。


「…………部下が言うには、声変わりの途中だそうだ」


 あっ! ついに声変わりがきたのか! 男の子の成長を目の当たりにして、私もどこか気恥かしい。


「聞き苦しい声で申し訳ないな」


「いえ……! むしろ、ハスキーでカッコいいかな、って思ってしまいました」


 素直に感想を言うと、ディランは頬を染めて口元を緩めた。前よりも表情の変化がわかりやすくなったような気がする。


「部下が言うには、最近の俺は無表情から脱しつつあるようだ」


「私も今、同じことを思いました」


 ふふ、と笑うと、ディランも微かに笑った。あまりの美しさに見惚れてしまう。


 そして、あんなに心配で、ふにふにとした感触を時折思い出していた相手が目の前にいることに、ドキドキしてきた。よく無事に戻ってきてくれた、と抱きしめたくなる衝動に駆られる。


「レジーヌ、ずっと貴女のことを考えていた。やっと帰ってきたのに特務騎士団の慰労会をしなければいけなくて。立太子の儀の打ち合わせもあるし、食事に誘いたいのになかなか……」


 別に背伸びをして食事に誘わなくてもいいのよ、と言いたいけれど、彼的にはジュースと言う名のワインを飲みながら話したいのだろう。まったく大人ぶっちゃって。


「でも今は少し時間がある。ちょっと来てほしい」


 ディランは手を引いて、私を第一王子邸の裏庭の方に連れて行った。


「ここ、覚えているか?」


「あの崖から丸見えの場所ですね」


 見上げると遠くに、二人で馬で駆けあがった崖が見える。


「……目視で見る限り、今は何もなさそうだ」


 そう言うと、ディランは庭に胡坐をかいて座り、私にも座るように促した。


「俺の無表情が改善されたのは、貴女に、頬をすりすりしてもらったからだと思う」


「えっ……! あれですか?」


 敵の襲撃前に、ディランの頬をすりすりと撫でた。あの感触が忘れられずにいたのだが、ディランもそうなのかもしれない。


「また、すりすりしてほしい」


 ぼわっと頬が熱くなった。あの時の妙な雰囲気をまた再現するのかと思うと。


「貴女にすりすりしてもらうために、俺は戻ってきたんだ」


 ディランは私の手をそっと取って、自分の頬に当てた。大きいガラス玉のような瞳は潤んで、とても色っぽい。心臓の鼓動が激しくなってきた。


 愛犬とのスキンシップ……そう思うことにするけど、なかなかうまくいかない。


 優しく頬を撫でると、すべすべの肌の感触や肌の暖かさが指から伝わる。ディランの微かな息遣いが感じられて、また胸がキュンとしてきた。


「レジーヌ、幸せだ。結婚したら毎日すりすりしてもらえるのか」


 幸福そうに目を細めるディランに愛おしさが溢れてくる。


 そっと優しく髪を撫で、頭もなでなでしてみた。ディランは嬉しそうに私の肩に頭を埋めた。


「幸せすぎる。もっと撫でて」


 腕の中に戦いに疲れ果てたディランがいる、そう思うと胸の奥から暖かな感情が溢れて止まらない。


 自分の中にこんな感情があったのか、と背中もなでなでとさする。


「レジーヌ、ロセウムから聞いたが、貴女に剣で負けた男との婚約が破談になったことで、本格的に騎士を目指すことにしたとか……」


 静かな声で私の腕の中でディランが話し出す。


「別に、それがショックだったわけじゃないです。ただ……私は剣が好きだし、背も高いし。男性には好かれないし。それなら自分の好きな道を進もうと思っただけです。幸いなことに、ハリエット殿下は愛らしくて敬愛しております」


「俺、貴女には背中を預けていいと思った。でも……騎士は本当につらい仕事だ。貴女は騎士を辞めてもいい。ハリエット殿下と共にいたいのであれば、侍女でもいいだろう。先日のように、相手が斬りかかってきたら殺すことも厭わない、それが騎士なんだ。もちろん、自分が命を落とすこともある。死と隣り合わせの世界に貴女を置きたくない」


「それは、覚悟の上です。逆に、ディラン准将閣下こそ、辞めてもいいんじゃないでしょうか。充分……戦ってきたと思いますよ」


 そう言うと、ディランはぎゅぅっと私を抱きしめた。


「ありがとう。辞めてもいいって言ってくれたのは貴女が初めてだ」


 私の身体を離すと、少し目が潤んでいた。ハッとして、ディランは袖で涙を拭った。


「レジーヌ! 玉ねぎの力を借りなくても泣けたぞ」


 嬉しそうに微かに笑った。


「貴女のおかげだ。俺は、貴女のおかげで失った身体の機能を取り戻せた気がする」


「ディラン……」


 なぜか私の目の奥もツンとしてきた。もらい泣きしそうになる。


「俺が戦うのをやめるのも、貴女と結婚するのも、すべてが終わってからにしよう。貴女の主君の夫でもある、ビンセント殿下の立太子の儀を無事に執り行う。敵が来たら排除する……俺達は同志だ」


 元気よく立ちあがる。そして私に手を差し伸べてきた。


「すべての憂いが取り除けた時、俺達は一緒になろう」


 プロポーズ……。


 ワンコにしか見えない、そう思ってきたけれど。久しぶりにディランに会ってわかった。愛犬でも弟でも上官でもない、別の存在として、ディランの存在が大きくなってきたことを。


 ハリエット殿下も言っていた『穏やかに愛が育てられていく』という感覚に近いと思う。可愛い。愛しい。守りたい。抱きしめたい。


「わかりました。プロポーズ、お受けします」


 この瞬間、ディランは私の婚約者となった。まだ正式に父には話してはいないものの、私はディランの妻となる気持ちでいっぱいだった。

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