第11話 不穏な空気

 私が髪を一房渡した次の日には、ディランの姿は王宮になかった。特務騎士団としての任務で、遠征に向かったからだ。



 ディランがいない間は、王妃専属護衛騎士たちと鍛錬に励んだ。


 ディランが言ったことは本当だった。実戦を経て、私の剣は一皮むけたような気がした。瞬発力、粘り強さがこれまでの比じゃないほど飛躍的に向上した。


 ロセウム様からも三本中一本は取れるようになってきた。


 非番になれば馬に乗り、ディランと以前訪れた崖へ登った。


 この場所に来ると、ディランと至近距離で触れ合った感覚が蘇る。


 あの子供特有の甘い声や、ふにふにとした頬の感触、笑った顔や、潤んだ蒼い瞳が思い出される。



 逢いたい。またあの頬に触れたい。柔らかい髪を撫でたい。


 

 この想いがディランの言う恋慕とどう違うのだろう。弟がいればこんな感じ、実家の犬のように愛おしい、そういう感情とは少し異なる方向に変わった気がする。


 早く逢いたい。この感覚がなんなのか、逢えばはっきりとわかる気がした。



◇◆◇



「あいつ、自分の手が届く間に、お前に実戦を積ませたかったんだろうな」


 訓練の後、ロセウム様はそう言って、俯いた。


「あいつに悪いことしたよ。確かに俺……というか、護衛騎士の誰も実戦経験がないんだ。ミラルス王国じゃそれで通用したけど、マルテル帝国じゃ通用しない。甘い気持ちで選んじゃいけない職業なんだよな、騎士って」


 ミラルス王国では、近年では小競り合い程度の紛争もない。たまに魔物が現れるが、金で雇った冒険者に退治させることもしばしばあり、騎士の出番もほどんとない。


「あいつ、無事かな」


 ロセウム様の呟きにドクンと心臓が嫌な音を立てる。


「無事に決まってます! あの方ほど強い騎士を私は見たことがありません! ディラン准将は絶対に元気に戻ってきます!」


 そう言って、ロセウム様を睨み付けた。


 ディランは強い。でも、彼は戦いに挑んでいるのだ。絶対に戻ってくるという保証はどこにもない。不安に押し潰されそうになる。

 


「大丈夫だよ、今回の任務は、紛争じゃなくて魔物退治の方なんだ」


 後ろから声をかけられて振り返ると、笑顔の第一王子・ビンセント殿下の姿があった。


「冬になるとオークが本来の居住地から離れて国境付近まで攻めてくる。辺境騎士団だけでは守りきれなくて、特務騎士団にも行ってもらってるんだ」


 この方とディランは異母兄弟だ。よく邸宅にも出入りしているし、親しい関係なんだろう。


「辺境騎士団も増強しているし、魔物退治で死者が出ることは近年ではそうない。それに相手はディランだし、心配するのが失礼というものさ」


 爽やかにそう言うビンセント殿下に、ロセウム様はためらいがちに問いかける。


「あの……部外者の私達がこのようなことを申し上げるのは失礼かもしれませんが、ディラン准将ってまだ子供じゃないですか。まだ声変わりもしてないし。そんな子を危険な戦地に放り込むのってどうなのかな、とか。貴国では、問題視されないのでしょうか?」


 私も同感だ。あの子が笑わなくなったのもそれが原因に違いない。子供のうちに毎日のように殺し合いをさせるなんて……。


 ビンセント殿下はそう言われて苦しそうに俯いた。


「そうだね、この国はおかしい。私に力がないばかりに、彼にはつらい思いばかりさせている……」


 ディランが初陣を経験したのは11歳だと聞く。その時、ビンセント殿下は15歳。止めることはできなかったとしても、ビンセント殿下を責めることはできないとは思う。


「私が王位を継いだ暁には、ディランには王属身分復活の上、長い休暇を与えたいと思ってるんだ。今はまだ……私にはその力がない」


 悲しげにそう呟いた。そして私に視線を移す。


「ディランに髪を一房与えたと聞いたよ。戦場で戦う戦士にとって、愛する人の髪は強いお守りになる。必ず生きて貴女のところまで帰るという誓いでもあるんだ。母上からはディランの友達になってほしいと言われたみたいだが、私はもっと踏み込んだ関係になってほしいと思っている。あの子は無表情で何を考えてるかわからないけど、実は面白くていい子なんだ」


 まずい、兄からもぐいぐいと推されてしまった。私はこの気持ちがなんなのか、まだはっきりと見えていないのに。


「でも、まだディラン准将は、声も子供のようですし、その……弟にしか見えないといいますか……」


 もじもじとそう答えると、ビンセント殿下は微笑した。


「大丈夫だよ、そう遠くないうちに大人になる。あの子、君と出会ってからよく牛乳を飲むようになったよ。背を伸ばしたいんだろうなぁ」



◇◆◇



 第一王子ビンセント殿下と、ハリエット殿下の結婚式が行われた際、私達は警護として会場の外を守っていたが、中では緊迫した騒動があったようだ。


 ハリエット殿下の飲みものに毒を検知したようで、エマが粗相を装って叩き割ったとのこと。


 エマのおかげで危険は回避したようだが、波乱万丈の結婚生活の幕開けとなってしまった。


 結婚式を終えた第一王子夫妻の生活は一見穏やかそうに見えたものの、時々は夜陰に紛れて刺客が訪れるという。ディランもいない今が好機ということだろうと、エマたちは言う。


 王宮の警備兵にも敵の手が回ってる可能性もある。気が抜けない生活が続いていた。



「こんなこと言うと怒られるけどさ、あたしはこんなまどろっこしいことする必要ないと思ってるんだよ」


 冬がもうじき終わり、ビンセント殿下の立太子の儀が迫ったある日のこと。エマがお茶を飲みながらそんなことを言う。


 第一王子夫妻の結婚式の後、私はエマとお茶をするようになった。私は騎士で、エマは用心棒。役割は若干異なるものの、共に命を駆けて戦う女同士。徐々に友情めいたものが生まれた。


 ミラルス王国で過ごしていた頃、私に女友達はいなかった。剣にばかり夢中になっている私と、ご令嬢たちは価値観が異なって交わることがなかった。


 エマと話すのは新鮮だった。初めての女友達だ。


「第二王子がヤツらの神輿なわけだろ? だったら先回りして神輿を始末……」


「エマ、滅多なことを言うものではありません」


 バシッとエマの手に取ったクッキーを執事のモーリスが叩き割る。モーリスが加わると、お茶会というよりは密談へと雰囲気が変化する。


「盗聴防止結界を張ってはいるものの、誰が聞いてるかわかったもんじゃありません」


「んじゃ、その盗聴防止結界って意味ねーじゃん」


 エマは面白くなさそうな顔をして、また新たなクッキーを掴んで口に放り込んだ。


「とにかく、立太子の儀を無事にやり過ごすことをまず考えましょう。それを終えれば例の勢力は勢いが衰えるでしょう。なんといっても王太子への反逆は国家反逆罪に当ります。国家反逆罪ともなれば、当主のみならず細部の親戚に至るまで連座されますからね。宰相といえどもそう簡単に手は出せないでしょう」


「どうだか。まだ国王がいるじゃん。王太子より国王の方が偉いじゃん。国王が王太子をコロ……」


「エマ、滅多なことを言うものではありません」


 またエマのクッキーが粉々に砕かれてしまった。


 せっかくのお茶会なのに憂鬱になる。いつになったら平穏な時が訪れるのやら。


 そんな時、馬小屋の方が賑やかになり、第一王子邸の屋敷がざわざわとし出した。


「ディラン准将のお戻りです……ッ」


 その報告の声に、エマとモーリスの顔が明るくなった。

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