第8話 お友達から始めましょう

「ディラン、無事に王女殿下を連れてきてくれてありがとう。ご苦労様でした」


 美しい女性は庭まで降りてきた。その瞬間、ディランと元殺し屋一味は一斉に跪いた。私とロセウム様も慌てて跪く。


 この威厳と気品。聞かなくても正体がわかった。


「わたくしが王妃であるブリジット・デ・マルテルです。貴方達がミラルスから来た護衛騎士ですね。貴方達はマルテル帝国の騎士団ではなく、第一王子妃……来年には王太子妃となる妃殿下専属の独立した騎士団となります。王太子妃を全力で守ってください」


 ははっ! とロセウス様と二人で承知の意を伝える。


 そして王妃様はディランの元へ行き、肩を抱いて立ち上がらせた。


「ディラン、怪我はしていない? 貴方はすぐに無茶をするからわたくしは心配で……」


 王妃はディランの髪を優しく撫で、頬に手を添える。瞳からは慈しみの光が滲み出ている。


「私は無茶なんてしません」


「してるわよ。それにしても、貴方ってほんと無表情ね。もう少し笑いなさい」


「……これでも努力はしているのです」


 慈しむ王妃様とは対照的に、ディランは相変わらずの無表情だ。クールと言いかえればカッコいいのだけど……。


「王妃様。私は近々笑えるようになるでしょう。そこのレジーヌと練習をすることにしたのです。私はこのものと婚約をすることにしました」


 勝手に私の名を出して、しかも婚約したと嘘を吐く。さすがにこの時ばかりは無礼を承知で口を出さざるを得ない。


「王妃様! あの、ディラン准将閣下は何か勘違いをされておいでです! 私は第一王子ご夫妻を守るということについては閣下と志を同じくしております。しかし、私は閣下と婚約など承諾しておりません!」


 思いのほか大きな声で叫んでしまい、その瞬間侍女のエマが大爆笑し始めた。


「あーッはッはッはッ……! 振られてやんの!」


 王妃様も釣られてホホホと笑い出した。


「ディラン、貴方は暴走しすぎですわ。そうよねぇ。こんな無表情の子供と婚約などしたくないわよねぇ……おホホホホ……」


 ディランは相変わらず無表情で俯く。これは落ち込んでいるのだろうか。わかりづらい……!


「でもね、この子は昔はよく笑い、怒ったり泣いたりもしたのです。それを奪ったのは、わたくし達大人なのです。レジーヌ、婚約はしなくても構わないわ。でも、この子のお友達になってくれたら嬉しい」


 王妃様は私の手を優しく取った。


「お……お友達でしたら、ぜひ」


 私も謹んでそう答えた。



◇◆◇



 ハリエット殿下と第一王子殿下は波長が合ったようで、よく二人で談笑しているのを見かけた。


 第一王子は金髪で栗色の瞳の優しげな青年だった。私たちにも気さくに声をかけてくれる。


 正式な結婚式は一月後ではあったが、警護の関係でハリエット殿下は第一王子邸の別宅で過ごしている。


「わたくし、あの方との結婚もそう悪くないかもしれないと思ってきましたわ。レジーヌと出会った時ほどの衝撃はないけれど、穏やかに愛が育てられていくといいますか……」


 うっとりと語るハリエット殿下に、私もほっとした気持ちになった。政略結婚だとしても、その中でささやかな幸せを掴んでいただきたい。


「ところで、レジーヌに懸想をしているというあの子供。最近変なことをしているのよ。台所でずっとにらめっこしていますの」


 第一王子邸にはディランも頻繁に顔を出す。第一王子とは実の兄弟だから不思議はないけれど。


 あの元殺し屋という可愛らしい巨乳侍女とは随分と仲がいいようだ。侍女の家事を手伝ったりもしている。


 ハリエット殿下が王妃様に呼ばれて席をはずすと、例の巨乳侍女・エマが私を呼びにやってきた。


「レジーヌ嬢、ちょっと来てくれない?」


 笑いをこらえるようにそう言う侍女を、私は複雑な気持ちで見つめる。できればクレメンティエ少尉と呼んでほしいし、少しディランと距離が近すぎる気がするのだ。


 別に距離が近かろうと遠かろうと、私には関係がないのだけど。


 エマは私を厨房まで連れて行くと、そこにディランが立っていた。ディランの大きなガラス玉のような瞳からはとめどなく涙が溢れている。


「ど……どうしたのです? 閣下」


 泣いている美少年が目の前にいる。思わず切なくなって抱きしめたくなるが、なぜかディランはクスンと鼻を鳴らし、どこか得意気だった。


「泣けるようになった」


 ディランの前には大量の玉ねぎが剥かれている。玉ねぎの刺激で目に涙が浮かんだようだ。


「……泣けるようになりたかったのですか?」


 そう聞くと、コクンと頷いた。


「俺の身体には涙を流すという機能がないのかと思っていたが、エマがいいことを教えてくれた。玉ねぎに目を近づけると泣けると言う。半信半疑だったが泣けた。良かった」


 ディランは無表情を治そうと努力しているようだ。ハンカチを取り出してディランの瞳に当てると、心なしか頬が淡く染まったように見える。


「レジーヌ、少しは俺と婚約したくなったか?」


「……なんで話が飛躍しちゃったんですか?」


 婚約はしたくならないけれど、間近でディランの顔を見ると胸がキュンとした。

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