第6話 腹心の友と准将の恋 ディランside

 マルテル帝国帝国軍准将・ディラン・カースィド・マルテルの日課は、鏡の前で頬を持ちあげるところから始まる。


 「……顔が痛い」


 気付けば鏡を睨んでいる。嘆息をしながら振り返ると、侍女に扮した元殺し屋が、面白がるような視線でディランを見ていた。


「エマ、笑ってみせろ」


 エマ、と呼ばれた侍女はニカッと笑った。


「よくそれで顔が痛くならないな」


「お前はどんだけ表情筋を使わずに生きてきたんだ?」


「使う必要なかったからな」


「そんなにあの、レジーヌ嬢に好かれたいのか? 氷柱ひょうちゅうの死神と呼ばれた准将が」


 レジーヌの名を聞くと頬が緩む。少し頬を緩めただけで筋肉痛で痛みが走る


 ディランよりも淡い色のブロンドに、淡いグレーの瞳。中性的な美しい容姿で、すっと伸びた背筋がまたいい。


 彼女が微笑むと、ディランの胸も高鳴る。


 随分と美しい男だと、思わず声をかけてしまった。他人の見た目で声をかけることは、これまで一度もなかった。なぜ彼女が気になったのか。それが恋なのだと、山道で敵を殲滅させながら気付いたのだ。


「なんであたしじゃダメだったんだよ?」


 エマはぷぅ~と膨れた。


「エマは仲間だ。恋人にはなれない」


 エマの正確な年齢は、ディランもエマ本人も知らない。ただ、胸の発達具合から、ディランよりも年上であると推測している。恐らく、レジーヌと同い年くらいだろう。


 エマはディランを狙う暗殺者だった。11歳で初陣を迎えたディランは、敵のみならず、味方にも絶えず命を狙われていた。


 戦場に送られたのは、体よく殺すためだ。


 マルテル帝国では、国家反逆罪でもない限り、王家や貴族のものを死罪にすることはできない。せいぜい、身分剥奪のうえ、流刑が限界だ。


 そして、10歳の子供を国家反逆罪として処刑するのは、どう理屈をつけても無理があった。そこでディランを戦場に送ることにした。


 戦場に子供を送りこむのも倫理的に問題があったものの、初代国王が12歳で初陣を経験したと言う先例があった。ディランは剣術指南から100年に一度の逸材と評されていたこともあり、世論を強引に納得させた。


 戦場で名誉ある死にしておけば、王家の体面上もよかったのだ。


 しかしディランはなかなか戦死してくれない。そこで暗殺者が送られてきた。それがエマだった。


 幾度となく刃をあわせるうちに、エマとディランの間に奇妙な友情が生まれた。エマもまた、暗殺者に仕立て上げるべく育てられ、死んだところで誰にも気にかけられない存在として扱われてきた。名前すらなかった。


 エマ、という名はディランが名付けた。名を与えられ、エマはディランと共に歩むこととなった。当然、元いた組織からは命を狙われたが、ディランが特務騎士団を率いて組織を攻め滅ぼした。


 エマは女であったが、ディランはエマを女として認知することはなかった。戦友、かげがえのない友。そんな立ち位置の人間だった。


 殺し屋組織を使い、ディランを亡き者にしようとした黒幕はわかっている。先日山道でミラルス王国からきた王女殿下を狙ったものと同一人物だろう。


「第一王子妃の世話係の侍女は、調べ上げたよ。今のところ、サヴォイア公爵家と繋がりのあるものはいなそうだけど」


「そんな簡単に尻尾を掴ませるわけないだろう。引き続き警戒にあたれ」


「わかってるよ」


 ディランはエマを第一王子邸に忍ばせている。第一王子の暗殺だけは絶対に阻止せねばならない。後継ぎを産むであろう第一王子妃もまた同様だ。


 独房に入れられたディランを唯一気遣ってくれたのが、王妃と第一王子だ。単なる親切心ではなく、打算や偽善の心があったのかもしれないと疑ってはいるものの、第一王子には生きてもらわないと困るのだ。



 第一王子が亡き者にされれば、暗殺の矛先は本格的にディランへ向く。これまでも暗殺者を定期的にさし向けられてきたが、その動きが活発になるだろう。


 王子の身分は剥奪されているとはいえ、ディランが現国王の子であることは周知の事実なのだ。過去には臣籍に降下した後に王族籍に復帰し、即位した王もいる。敵にとって最大の脅威になるに違いない。


――俺の保身のためにも、第一王子殿下には生きて即位してもらわなきゃ困るんだよ。


 決して純粋な忠誠心や兄への思慕ではないと、ディランは思っている。


 敵の黒幕は恐らく、第四妃の実家であるサヴォイア公爵家。当主はマルテル帝国の宰相をしている。


 内務大臣、外務大臣を排出している他の公爵、伯爵家は第一王子支持を明確にしているが、宰相はその他の貴族達の取り込みを謀っている。


 国王の寵愛は第二王子の方に移っている。


 第一王子が後継となるというこれまでの慣例を覆す材料がなかったため、国王も宰相も第二王子の立太子を諦めるほかなかったようだ。しかし、第一王子が命を落とせば話は変わってくる。



「そんなことより、お前にいいものを持ってきたよ」


 エマは一本の棒をディランに差しだした。先端にふわふわとした毛玉が付いている。


「なんだこれ?」


「笑えないお前の救世主だ。愛しのレジーヌ嬢にやってもらえ」


 ディランはありがたく棒を受け取った。その瞬間、エマの姿が消えた。第一王子邸に戻ったのだろう。


 本日、ミラルス王国王女が王宮入りする。そしてはたと気付く。


――そういや、昨晩は口説くのに夢中で、第一王子邸での脅威について、レジーヌに話すのを忘れてた。


 まぁいい、話すならあのレジーヌの上官と一緒の時がいいと、ディランは出立の準備に取り掛かった。

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