22.【実績解除】独り立ち -チュートリアルをすべて終わらせる(2)
暗闇に消えていく馬車へ向けて、スレンは荒く息を吐いた。
脳裏には、まだあの腹立たしい女の顔が焼き付いている。年下の癖に偉そうで、生意気で、なんと言っても嫌なやつ。人の親切を無下にしながら平然として、嘲笑うように魔石を残して去っていった。
――なんだあいつは! なんなんだあいつは!!!!!
なにがもっと大きな魔石を持ってこい、だ。誰があんな女に、武勇の証たる大粒の魔石をくれてやるものか。あの自信過剰でねじ曲がった性格は、いったいなんなのだ。
考えれば考えるほど、腹が立って仕方がない。
手元にある小粒の魔石さえ腹立たしい。
こんなもの、別にスレン自身が渡したわけでもない。魔物の腹を裂いて出てきた単なる副産物。価値もないし惜しいとも思わない。
だけど、返されたら返されたで気に食わない。ほのかに赤くきらめく石を、スレンは苦々しい顔で焚火の中へと放り込んだ。
途端に、焚火がひときわ大きく燃える。
ピリピリとした瘴気が一瞬あふれ、魔石がただの石へと変わっていく。焚火の傍にいた集落の仲間たちが、「スレン!」と咎めるように叫ぶけれど、彼はツンと口を曲げたまま答えなかった。
幼体の持つ小粒の魔石程度なら、魔法と言ってもこの程度だ。吹き出す瘴気もほんの一瞬で、よほどの重病人でもなければたいした悪影響もない。
せいぜいが、スレンの苛立ちを紛らわすのみ。再び鼻息を吐くと、彼は傍に立っていた長へと視線を向けた。
「――長はあの女へ甘すぎる」
吐き出す声は、半ば恨むような調子があった。
傍で狩りを見せてやっただけでも甘いというのに、そのうえこちらから取引まで持ちかけるとはどういうことか。しかもあちらが無礼な理由で断っても、譲歩までしたのである。
たしかに、今の集落に針仕事をできる人間はほとんどいない。
できてもせいぜい、破れた天幕を応急処置するのがせいぜいだ。ぼろぼろになり、みすぼらしくなっていく刺繍を直す技術は誰も持ち合わせていない。ほつれた裾や袖程度なら直しもせず、服に空いた穴はみっともなく縫い留めるだけ。
針仕事のできる女手が欲しかったのは、事実ではあるけれど。
「わざわざ、あんな村と取引をする必要はなかっただろう。服なんて破れても死にはしない」
急ぎ直す必要はない。どうせ、今の生活もあと数年の辛抱だ。どうしてもあの村に頼まなくてはいけないことではなかったはずなのだ。
それなのに、どうして長は、たいしてこちらに利のない取引を持ちかけたのか。
その理由は、きっとあの女の存在のせいなのだろう。
「なんであんな女を気にかけるんだ。あんな、無礼なやつ」
「いや」
吐き捨てるように言った言葉に、しかし返ってきたのは短い否定だった。
去っていった馬車をずっと見つめていた長が、そこではじめてスレンへと振り返る。
「違うだろう、スレン。気にかけているのは
向けられた視線に、スレンは反射的に身を竦ませた。
怒っているわけでも、咎めているわけでもない。ただただ見透かすような目の色だ。
すっかり夜へと塗り替わった空。ちりばめられた星々と、冬へ向かう冷たい風。
聖山から吹き下ろされる、瘴気を含んだ風を受けながら、長は静かに、囁くようにこう言った。
「
無意識に口をつぐんでいたスレンの、心の内のうちまで見抜くように。
〇
「――――殿下。今日は申し訳ありませんでした」
どうにかこうにか無事に村へと帰りつき、もう疲れたからさっさと寝ようというところで、私の寝支度を整えていたヘレナが不意にそんなことを言ってきた。
もうベッドに入ろうという寸前。ヘレナが水差しの水を替えるのを待つばかりというとき。あくびを噛み殺していた私は、突然の言葉に眉をひそめた。
「どうしたの、急に」
「出過ぎたことを言いました。……見ず知らずの相手に対して、殿下のお気持ちも考えず」
ああ、と私は息を吐く。あのテントで、男――スレンに噛みついたときのことだろう。
思えばその後、彼女はやけに大人しかった。せいぜい解体に向かう私を止めようとしたくらいで、毒見をするとも言いださなかったし、魔物肉なんてわけのわからないものを食べてはいけないとも言わなかった。
今から考えると、口うるさい彼女らしくもない。あれはつまり、テントでのことを引きずっていたというわけだ。
「……別に、いいのに」
思わずぽろりと口から出たのは本音である。
水差しを手に背中を向けるヘレナへ、私は少々の驚きを込めて瞬いた。
まさか、彼女があのやり取りをそんなに気にしているとは思わなかった。
いやまあ、これから教えを乞う相手に対する態度としてはどうかと思う。これで機嫌を損ねて「やっぱりなし」と言われたら、さすがの私も叱ったとは思う。
でもあちらも引きずらずに流してくれたし、その後は魔物のことで、話を蒸し返す暇もなかった。
私自身、今の今まですっかり忘れていたくらいだ。謝罪されると、かえって困惑してしまう。
「私のために言ってくれたんでしょう? 私は気にしてないわ」
なので本当に特に気にもせず、肩をすくめて言ったのだけども。
ヘレナは振り返らない。水差しを手にしたまま動かない。
ただ少しだけ肩を落とし、浅くて長い息を吐き――――。
「………………気にしてくださいよ」
殿下はまだ、七歳なんですよ――と。
震える声で、小さくそう呟いただけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます