十五歳






桔梗が隣で長い睫毛を伏せ、眠っている。

先日十五になった、美しい少女だ。ここでの生活も十年を迎え、桔梗の美貌はあどけなさが残るものの、目を引く綺麗な顔立ちに変貌していった。

誕生日に贈った紫水晶の首飾りが月明かりに照らされて光を放つ。先日の誕生日に贈ってから、肌身離さずつけてくれていることに、単純に嬉しいのではなく、胸がぞわりと泡立つような不穏な空気の喜びを感じていた。


この十年で桔梗について大方理解出来たと思う。まだ隠している一面を考慮しても、一番身近な自分に信頼を寄せてくれているものだと確信していた。

桔梗はその実、人を誰も信用していない。それは彼女の生い立ちと関係があるだろう。子どもの体に残された凄惨な憎しみの傷跡が彼女を追い詰めたのだ。


そんな彼女が自分を信頼してくれていることに、少々の優越感を覚える。何に対して優越しているのだろうか。馬鹿な男の妄想だ。


桔梗が寝返りを打ち、髪がはらりと頬に落ちる。髪を耳にかけたあと、その指先で頬に触れる。


何のしがらみもなくなって、二人で普通に暮らして、結婚して、桔梗がとろけるような笑顔を、自分に向けてくれる。そんな、虚空に思い描いた叶うはずもない絵を振り切るように、桔梗から視線を逸らす。


呼び出しがあった。宇佐美家の当主から。八回目となる報告に気持ちが下がっていく。


「結婚などできるはずもないというのに …………」


身分が違う、年齢も離れている、それに桔梗は神に嫁ぐことが決まっている乙女だ。自分ごときが求婚などできるはずもない。


紫苑はありもしない考えを押し込むように、静かに睫毛を伏せた。






◾︎






「いってくる」

「いってらっしゃい、旦那様」


今年も桔梗は本邸に行っていることなど既に知っているだろうに、何も知らない笑みを浮かべて送り出してくれる。


間諜のようなことはしたくはない。桔梗に誠実でありたかった。


一年ぶりに木蓮と相対する。この一年の桔梗について軽くまとめて報告しようとすると、


「もう十五か。ならばもう報告はいらぬ」

「それは……なぜでございましょうか」


木蓮はなに、簡単なことよと前置きをして言う。


「どうせあと三年で死ぬのだから、もう聞かなくてもよいだろう?」


紫苑は雷に打たれたかのような衝撃を受けた。頭が痺れて発された言葉が受け入れられない。呆然とした自分にハッと意識が戻る。


「待ってください。神に嫁ぐなど、巫女として一生を神に捧げて生きていくというわけではないのですか!」


つい立ち上がって半分叫ぶように訴える。


「そうか。お前は聞いていなかったのか」


くつくつと笑う木蓮に苛立ちを覚える。なんてことだ、拾ってくれた恩人なのに。


「失礼しました」

「いや、良い。教えてやろう。この土地で言われる神に嫁ぐというのは、生贄になって湖に沈むことを意味する。今代は桔梗だということだ」


膝の上で置かれた拳は、きつく握り込みすぎて色を失っている。


「お嬢様は…………」


そう言った自分の声は掠れていた。質問の意図が分かったようで、当主様がにやりと口の端を吊り上げた。


「桔梗も知っている」


眉間に皺が寄る。咄嗟に俯いて嫌悪感を顔に出さないように座り直す。


「そうですか、承知致しました。では、一年間の報告をさせていただきます」


木蓮は急な話の変換に不思議そうに眉を上げるも、肘掛けに体を寄せ報告を聞く姿勢になったので、当たり障りない日常を報告する。


報告している最中、頭は桔梗のことでいっぱいだった。


報告が終わったあと、いつかの桜の木の下へ赴く。


「なぜなんだ!」


枯れ果てた桜の木に拳を叩きつける。

握りしめた拳から血が滴り落ちている。

どうやら情がうつったようだ。自嘲した笑みを浮かべ、桜の木に寄りかかる。

思考が重く沈んでいった。






◾︎






玄関の扉が開く音がして、そこに意識を向ける。


「おかえりなさい」


いつもは必ず声をかけてくるのに、今日は何も言わずに玄関先で座り込んでいる。

紫苑が明らかにいつもと様子が違う。瞳がゆらゆらと危なかっしく揺れ、ぼうっとしている。


「どうかしましたの?」


駆け寄って問いかける。二人の間に少しの沈黙が流れたあと、青白い唇が動く。


「神に嫁ぐという意味を知っていたか?」


そう言った紫苑の瞳を見た瞬間、何を言いたいのか全て理解した。


「ええ」


目を伏せて肯定する。


「いつから生贄だと?」

「最初から」

「最初から、知っていたのか……。桔梗自身が三年後、どういう運命を辿るのかも、全部……っ!」


くしゃりと前髪を握りこんで悲壮に叫ぶ紫苑。


「どうしてっ」


紫苑の顔は今にも泣き出しそうに歪んでいた。




──愛らしい人。




頬をなぞって押し倒す。

紫苑は後悔と怒りが混ざった瞳でわたくしを射抜いている。


泣きそうに歪んだ顔に、ほの暗い喜びを覚える。

これほどまで、わたくしが紫苑の心に侵食していたなんて。


頬に手を伸ばして、紫苑の涙を拭う。


「わたくしが死んだら、いっぱい泣いて、うんと悲しんで、おかしくなるくらいに泣き叫んで、永遠にわたくしのこと引きずって生きてくださいね」


指の背で瞼を撫でる。


「仕方がないわ。あなたは村の人では無いのだから、知らなかったのも」

「それでもっ……なんでそんなに平気そうなんだ」

「そうね…………慣れ、かしら」


そのまま指の背を滑らせて頬を撫でる。


「なんできみなんだ……どうして、自分と一緒に生きてくれないんだ……」

「不可能なのよ、ここから逃げるだなんて」


指先で唇に触れる。

悲痛な表情を浮かべる紫苑に、ひっそりと静かな笑みを浮かべた。


うずくまって獣のような咆哮をあげる紫苑を背に、縁側へ身を寄せる。




空一面に星が散らばってきらめいていた。堪えていた涙が頬を伝う。ぼやけた視界で空を見上げていると、床が軋む音がして振り向く。


月明かりが青白くこぼれ落ちて、虚ろな瞳をした紫苑を照らしていた。


無言で背後から抱きしめられる。大きな体の紫苑の中に、すっぽりと収まるような形になる。


「紫苑?」


呼びかけても口を開かない。その代わり、肩と腰に回す手を強めて、わたくしの肩口に顔をうずめた。


紫苑はぎゅうぎゅうと、強く、強くわたくしを抱きしめ、耳元でつぶやいた。


「どうせきみのこと忘れられないなら、今だけ、このままいさせてくれ」


そう言った瞬間、紫苑に手首を引っ張られ、頭を抱えられて逞しい胸へと抱き寄せられる。頭を覆う手はとても大きくて、簡単にわたくしの頭など捻ることができるのでしょう。


ぎりぎりと手首の骨が軋むほど、紫苑のわたくしへの気持ちの強さが感じとれるようで、抱かれた胸の中で口がにんまりと弧を描いた。




──わたくしが嫁ぐときには、泣いて縋ってほしいわ。




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