第5話
話途中で少年がまた激しく咳き込んで、今度は血を吐いた。
「血ーッ!? だだだ大丈夫ですか!? まさか乱暴されたせいで!?」
吸血鬼の血も赤いのかなどと思考の片隅で妙な感慨を覚えつつ、ミリアは慌てたように彼の傍に座り込む。
満身創痍の異形の少年は服の袖で唇を拭うと、地面にさらりとした金の髪を擦るように付けたまま小さく左右に頭を振った。
「違う違う。けほっ、こほっ、こんな外見的な怪我は何でもないんだ。これは根源的なもので、ここまで弱ったのだって人間のせいじゃない」
「え、じゃあどうしてこんなになったのですか? そもそも先程の男達に暴行されていたのは何故なのです? 何か金品など奪われた物があるのでしたら、被害を届け出た方がいいですよ」
「吸血鬼の僕が? 逆に捕まっちゃうよ」
「あ……ええとそこは私が代わりに証言する事も可能です。一応は被害者ですし」
少年は赤い目をパチパチと瞬かせ、笑うように細めた。
「気持ちだけで大丈夫。単に言いがかりを付けられただけさ。その原因も彼らが道端の女性にしつこく言い寄ってたのを見兼ねて注意したんだ。女性は逃げ去ったから、その腹いせってとこかな」
「なっ! そんなの逆恨みじゃないですか!」
思わず男達が消えた方を睨んでミリアがあからさまに腹を立てると、彼は改めてまじまじと彼女を見つめた。
「さっきからだけど、僕にまでご丁寧に敬語だし、僕のために怒ってくれるし、おねーさんは面白いね」
「敬語なのはもう、小さい頃からの癖です」
「ふうん」
指摘されれば少し恥ずかしく思ってミリアは声をすぼめたが、気を取り直すと少年の背に手を差し込んで抱き起した。
自分を抱き起こすミリアを少年は戸惑ったように見つめる。
「おねーさんは吸血鬼を嫌がらないんだね。普通は触るのも怖がるよ」
「嫌というか怖いものは怖いですが、あなたは他とは違うのでしょう? 親人派、でしたっけ?」
「まあ、うん……吸血鬼を信じてくれるんだ?」
少年はさも意外な言葉を返されたような顔をした。
「信じるに値する行動を見せられましたしね。それに怪我をしている相手を放っておけません。一体誰にやられたのですか?」
少年はふふふっと嬉しそうに笑った。
「人間もおねーさんみたいな優しい人ばかりだったら良いのにね。ここまで体力を消耗したのは、妹のせい」
「妹さんが居るのですか? もしかしてあなたは元は人間、とか?」
「いいや、僕も妹も根っからの吸血鬼」
つまりは吸血鬼の親から生まれた吸血鬼の兄妹という意味だ。
今まで考えもしなかったが吸血鬼にも兄弟姉妹という概念があるのかとミリアは些か驚いた。益々以てこの少年が人間染みて見えてくる。
ミリアには人よりも強靭な肉体を持つ吸血鬼同士の喧嘩は想像もできないが、しかしここまで弱るとは、余程根の深い兄妹喧嘩をしたのだろうと想像はできる。とにかく血を吐くくらいの何かをしたなど、兄に対してやり過ぎだ。
気掛かりそうなミリアの思考を察してか、少年は何とも言えない面持ちになった。
「昔さ、妹を凄~く怒らせた事があって、以来ず~っと僕を殺したい程憎んで恨んでいるんだ。それに妹は僕とは真逆で、人間を食料か滅ぼすべき存在と考える過激な派閥――極反人派に寝返った。だからいつも引き戻そうとする僕が邪魔ってのもあったみたい」
「いくら恨んでいるからって、お兄さんをそこまで邪魔だなんて……ですが、そもそも吸血鬼同士でも対立するのですね」
ミリアは彼に同情しつつ、微かな懸念と慎重さを持って見下ろした。
ついさっきまではここまで深刻には思わなかったが、よくよく観察すれば彼は本当に冗談抜きに危ういレベルで弱っているようなのだ。
漠然とだが、このままでは最悪滅びてしまうかもしれないとも思った。
(手当てをしてあげるべきでしょうか)
吸血鬼など放っておけばいいと感情の一部がまくし立てる一方、この吸血気は善い吸血鬼だと理性が主張する。
人間にも善人悪人がいるように、吸血鬼にだってそういう差異があるのだと知った。
両親を襲った吸血鬼と、人間を傷付けないよう人間から傷付けられるのに甘んじた吸血鬼。
ミリアはドレスの下、密かに太ももに括りつけてある短剣を意識する。
銀製なのでこの目の前の吸血鬼にも効果はあるだろう。
倉庫街で危ない目に遭った反省から、連日どこに出掛ける時も密かに携帯するようになったのだが、人に使うつもりはなかったのでついさっきは存在を忘れていた。
苦しそうに息をしている少年を眺め、血の赤さ同様に吸血鬼も人と同じように呼吸をするのかと不思議な感慨が湧いてくる。
しかも彼は憐れな程にぼろぼろだ。
(ぼろぼろ……ふふ、似た者同士ですね)
「あなたはもしかして、このままでは死んでしまうのではないですか?」
直球で訊ねれば、少年は「そうかもしれない」と声なき口の動きだけで答えると、実はだいぶ無理をしていたのか急激に体力が尽きたようにそのまま瞳を閉ざした。
どこか見た目にそぐわない老練さを感じさせる、そんな苦い笑みを刷いて。
腕の中で苦し気に眉を寄せほとんど動かない人外を、ミリアは暫しじっと見下ろした。
ややあってふうと一息つく。
「私、決めました」
自分でも驚く程にこれからする事が正解なのだと言い切れた。
幸いこの場には自分達以外いないとは言え、淑女としてはやや気恥ずかしく思いながら慎重にドレスの裾をごそごそやって太ももの短剣を取り出すと、少年の真上に構えて利き手で柄を握り締める。
動きに薄ら目を開いた少年が僅かに目を瞠ったものの、彼はどこか仕方がないとでも言うようにまた瞼を下ろした。彼はおそらくはミリアに害されると勘違いしたのだろうに抵抗しなかった。
「あなたって……」
ミリアは眉を寄せた。けれどその先を問わず、彼女はもう片方の手で剣身を握る。
ぎゅっと唇を引き結び鼻の穴を広げで一度大きく深呼吸をしてから、思い切ってそれぞれを握る手に力を込めた。
「――ッ」
火傷にも似た激痛が走ったが、何とか辛うじて苦痛の声を呑み込んだ。
直後、ボタ、ボタ、ボタと少年の乾いてカサカサになった薄い唇に真っ赤な血の花が咲く。
「不味くても、我慢して下さいね」
ミリアの血が唇に染み込むと、ピクリと少年の瞼の下で眼球が忙しない動きを見せ、次にはカッと目を見開いて唇を嘗め取った。
先程よりもはっきり赤々と、その双眸は活力を宿している。
「え? な!? おねーさん!?」
「下手な考えを起こせば、この短剣をあなたの心臓にぶっ刺します。これ、銀製ですからきっと銀の弾丸と同じような効果を齎すはずです」
「……っ」
慄きに息を呑むような間があった。いや実際に少年はごくりと咽を鳴らした。
「あ……はは、容赦ないね。それは勘弁だなあ」
「勘弁などと、つい今し方私に殺されてもいいみたいに諦めておいて、どの口がそれを言うのです?」
「いやあ、手厳しい」
「吸血鬼でも命は大事にして下さいね」
「……うん。初めてそんな事言われたよ」
「まあそれはそれです。こうして脅すのは、あなたは善良かもしれませんが無害とはまだ言い切れません、だからです。ですが、私は頑張った者が報われないのは大嫌いなのです」
「頑張った、者が……」
「ええ。ですから私はあなたを助けました。人間を傷付けないために頑張ってくれたあなたを」
「……」
言い終えたミリアは褒めるように柔らかく微笑んだ。少年はハッとして、俯きがちに少しの間黙ってからゆっくり一つ首肯する。
「……それは僕も同感」
「そうですか。では同志ですね」
「同志……」
暗闇でも目立つ赤い双眸を瞠りどこか呆然と呟く少年は、あたかもずっと欲しかったものを見るようにミリアを見つめた。
「同志……。人間の……」
もう一度、彼はそう呟いた。
「さてと、きちんと舌も回っているようですし、血はもうこのくらいで大丈夫ですよね。足りない分はそっちでどうにかして下さい」
親人派などと言うからには、きっと人間を襲わずに血を得る方法が彼にはあるに違いない。そうでなければ堂々と共存などとは口にもできない。
ミリアは落ち着いた声で告げ、掌の傷口にハンカチを当てるだけにしてそれをきつく握り込むと立ち上がる。一人では傷口を縛るのは困難だ。
「それでは、お大事にして下さい」
「……うん、ありがと」
ミリアはあっさりと踵を返した。
今夜は色々あって物凄く疲れていて正直ふらふらだ。そこを彼に悟られないようにゆっくり余裕を持って歩く。
こちらが弱っていると見て襲ってくるとは思わないが念のためだった。
石畳に反響し、遠ざかる頼りない一つの靴音。
しばし少年はミリアの背中を見つめたまま、その場に座り込んでいた。
角を曲がって彼女の姿が見えなくなった頃、ようやく我に返る。
「あ……ははは、はは」
何を思ったか彼は再び地面に寝転んだ。
「そういや僕、人間に飼われた事ってなかったっけ」
何故なら親人派に属する以前、彼はいつも一方的に飼う方だった。
「たまには人間に飼われるのも悪くないかもね。ああでもそうすると地位は僕の上になるから、あの子が親人派のトップって事になるけど……ふふっ、どうせなら人間だけど何と吸血鬼の派閥のボスでした~ってサプライズ的な身分も悪くないね。前代未聞だけど」
彼女ならきっと様になる、と彼は根拠のない妙な自信と共に小さく独り言ち、口元に残っていた実に甘美なミリアの血を嘗め取ると、背を反りばねのようにして飛び起きた。
「それにしても不思議な味わいの血だったなあ。すっかり元気にもなっちゃった。何より、どこか懐かしいような感じも……」
ずっとずーっと昔の在りし日に、妹と自分の手を両手に繋いで月夜を歩いた一人の男の姿が脳裏に浮かんだ。
両親の亡き後、彼が自分達兄妹を育ててくれた。
唯一無二の養い親。
ハンターとの戦い方も護身の方法も、謀略の仕掛け方さえも彼から教わった。
妹は着実にそれ――謀略を兄に実行したようだ。
「……
妹も自分も彼を捜し続けてもうどれくらい経つだろう。まだ千年はいかないがもう何百年と経過した。
しばし沈痛な目をした少年は気分一新と首を振る。
双眸をきらりとさせてミリアの消えた方向へとまるで飛ぶように走り出す。
血の本能と予感の赴くままに、どうしてか、どうしても逃したくない絆を繋ぐために。
「待って待って待ってーっ、おねーさーん!」
(あれはさっきの。まさかもっと血を寄こせ、とか!?)
吸血鬼の少年が走って追いかけてきているのを悟ったミリアはまだ手にしていた短剣を密かに握り締め身構える。
足を止めていた彼女の前まで追い付いた少年は、にこりと満面の笑みを浮かべた。
「助けてくれてありがとう、おねーさん、――我が君!」
「わ、我が君……?」
予想に反し変な呼称を投げ掛けられさすがに困惑する。その際彼の瞳が赤ではなく茶色に戻っているのにも気付いた。少ないものの人通りがあったせいだろう。
カメレオンもびっくりだと内心感心しつつ、何かまだ用があるのかとミリアが訝しんでいると、少年はさらりと金の髪を揺らし突然目の前で膝を突いた。
「だ、大丈夫ですか? 病み上がりも同然なのにそうやって走って無理をするからですよ」
彼がまた具合が悪くなったと思いぎょっとしたミリアは銀の短剣をとりあえず危なくないように腰のベルトに挿してから、身を屈めすぐ近くから顔を覗き込む。
そうすれば膝と言っても片膝だけを突いていた少年の方も驚いて「えっ何?」と慌てたように目を丸くした。
「ええと、苦しいのでしょう?」
「いやもうどこも。だからホントに心配しないでよ。具合が悪いわけじゃないんだ。おねーさんの血のおかげで全快したからね」
「そうなのですか?」
「そうなのです~!」
では何事なのか。靴紐でも結ぼうとしているのだろうかと、益々以て理解不能でミリアは眉根を寄せる。
「大体にして、今の掛け声は何ですか? 我が君だなんて、私はあなたの主君じゃありません」
「僕に血をくれて命を救ってくれたでしょ。だから、たったのさっきからおねーさんは僕の主になったんだよ! これはおねーさんに忠誠を誓った証さ」
「忠誠? 私は吸血鬼ではないですし、吸血鬼の主人にはなりえませんよ」
「どうして? 人間だろうと吸血鬼だろうと、瀕死の僕を救ってくれて僕よりも血の優位に立ったあなたは間違いなく僕の主君だよ」
「ええと?」
血の優位だの何だのと、何を言われているのかよくわからずに困惑するしかないミリアの前で、相変わらず跪いたまま少年は内緒話でもするように手を口元に寄せ、ミリアの方に首を伸ばしてきた。
「これは機密に近いんだけど、僕達吸血鬼にはそうなる決まりがあるんだ」
そんな話は初耳だった。
(機密事項のようですので、当然かもしれないですが……)
「そんな……どうすれば……」
「どうもこうもないよ。僕を受け入れて?」
善意が裏目に出たのかもしれない。もっとよく吸血鬼の生態を学んでおけばよかったと後悔しても後の祭りだ。
しかし、彼女はまだよく知らなかったが、人間が血を飲ませただけで主従になるなど吸血鬼にそんな馬鹿げた決まりはなかった。そんなものがあれば血を与えた人間は悉く吸血鬼の主になってしまう。
吸血鬼の中の序列を表す血の優劣は確かにあるし、血による絶対の主従関係を結ぶ契約だってある。しかしそれを成すには牙で噛んだり血の扱い一つを取っても細かな順序や決まった方法がある。
この場では単にそれっぽい理由付けのための彼の思い付き、嘘八百だった。
「僕を助けた事を後悔しても遅いよ? もう僕はおねーさんに目を付けちゃったもんね~」
「――いいえ、あなたを助けた事は後悔していません。ですが、だからこそ主君などと呼ばれて複雑な心境でもあるのですが」
後悔していない。
滑舌もはっきりと告げられた言葉に、少年は目を瞠ってちょっとの間押し黙った。予想外の動揺のせいか、隠したはずの吸血鬼の瞳の赤さが一時的に顕現する。
乾くまで開けていた両目を無意識に瞬き一つして、それで彼はやっと我に返って気を取り直した。瞳の赤さも即座に隠す。瞳を道行く誰にも見られなかったのは運が良かった。
「と、とーにかっく! あなたは僕の主人、つまり我が君なのは揺るぎないんだから、観念してよね」
「そんな事を言われましても、主人と呼ばれるのはちょっと
……」
ミリアは困り果てた。少年のその笑みは頑として譲歩しないと物語っている。
これ以上夜の街路で騒ぐわけにもいかないし、先程の男達がハンターを連れて来れば折角助けたものも水の泡だ。加えて、もしもジェスターだったなら最悪だ。ミリアはハァと溜息をついた。
(人間との共存を唱えるこの子に滅んで欲しくありません)
「……でしたら、我が君呼びはやめて下さい」
「それは承諾と受け取って良いの?」
屈み込み、彼と同じ目線を保つミリアは困ったように眉を下げながらも渋々頷いた。
「やった! じゃあ何て呼べばいい?」
「ミリアで良いですよ」
「わかった、ミリア。これからは僕の我が君なんだし、今日の恩返しにあなたの護衛をするよ。僕がいればそこらの吸血鬼にも悪い男にも害される心配は要らないからね!」
「そこまでは結構です」
「いいからいいから。僕はお得だよ」
彼はミリアの怪我した方の手を取って、彼女が文句か何かを言う前に手際よくハンカチをきっちり手に巻いて結んでくれた。
「で~きたっ。ね? 手が足りない時はこんな事もお安い御用でしょ?」
「……ありがとうございます。助かりました。ですがもう血はあげませんよ。血が目当てでしたら他を当たって下さい」
「あはは本当に不調はさっきのミリアの血で解消したし、まさに完全復活~って気分だから今はもう要らないよ。普段の食事の血だって勝手に買って飲むからご心配なく」
あたかも道端の露天で売っているジャンクフードでも買うような気安さで彼は請け合った。
「買う? お医者様に知り合いでもいるのですか?」
「いるし、あとは貧民街で高値で売ってもらう方法もある。案外吸血鬼ビジネスって儲かるから、ぶっちゃけ協力者や血には事欠かないんだよね。ま、あんまりおおっぴらにはできないけど」
「そうなのですか」
ジェスターが聞いたらさぞかし激怒しそうな話だと思いつつ、それ以前に彼はハンターなのだし今の話も既に知っているかと思い直す。
(ああもう、私ときたらこんな時にまで彼の事を)
最早何の関係もない男を思い出してしまった自分に腹が立った。
「ミリア?」
「はい?」
呼べばキョトンとして表情を戻した彼女を見て、少年は怪訝にしていたが「本当に血の調達は心配ないからね」と念を押すように言う。安心させようとしてくれたようだ。
「わかりました、そもそも初めから私に拒否権はなかったようですしね。私がうんと言うまでしつこくするつもりだったのでしょう?」
「へへへへ、そう不機嫌にならないでよ~。こんなお買い得な護衛、拒否する理由がないでしょう?」
「……ふう、それもそうですね。では宜しくお願いします」
近寄れば家畜などは本能的に慄き逃げていく存在である吸血鬼は、只今実に人畜無害な笑みを浮かべている。
「うんよろしく~! あ、僕はリチャード。今日からミリアのキュ~ットなしもべさ。ところで家はどこ? 僕も一緒に住むけど、もしも狭いなら相応の姿を取っても良いよ?」
ぱっちりした今は茶色の双眸をくるりとおどけたように回して見せる少年に、ミリアは思わず苦笑した。
彼の言う相応の姿というのも気にはなったものの、今夜はすごく疲れているのでこれ以上問答を続ける気力がなかった。もうどうにでもなれと投げやり感も増し増しだった。
「……屋敷は部屋に空きがありますので大丈夫ですが、皆には吸血鬼だとくれぐれもバレないようにして下さい」
「もっちろん!」
(吸血鬼のこの子が、もしかしたら両親を見つける糸口になるかもしれないですし)
そんな打算も僅かに心には湧いて、何となく手を伸ばしてリチャードの金色の頭を撫でてやった。
「もう怪我なんてしたら駄目ですよ?」
完全に子供扱いだったが、一度ミリアを見つめた彼はへへっと嬉しそうに目を細める。その無邪気な笑みには不覚にもほのぼのとさせられてしまった。信じられないがこれが、いやこれも吸血鬼なのだ。
リチャードは吸血鬼なだけでそこいらの人間の少年と変わらないのだと、徒に敵視するだけが対処法ではないのだと改めて思う。衝突は更なる衝突しか生まないのだ。
「じゃあ改めて、僕リチャードはミリアにこの先誠心誠意を捧げベストを尽くすと誓う、この身に流れる血に懸けて」
リチャードは律儀にもミリアの手を取って甲に口付けた。騎士が剣を捧げる代わりと言ったところか。
まるで小さい頃読み聞かせてもらった幸せなお姫様の様な扱いに、ミリアは一瞬ドキリとした。初めてこんな紳士な真似をされてどこか照れ臭い。相手がこんな少年なのも可愛らしくて擽ったいと感じた。これは自分も少し気取って応えなければとも。
「ええ、あなたの働きには期待しています」
「これでも腕っぷしにはかなり自信があるし、僕なら最高の男除けさ!」
人間相手では効果があってもはっきり言って妹に手酷くやられた兄吸血鬼の腕っぷしには疑問があるし、基本的に男除けになるとも思えないが、彼のやる気は有難く頂戴した。
ミリアは何だか気持ちが緩んでごく自然に頬まで綻んでいた。
リチャードが大きく目を丸くして見上げてくる。不思議そうにする猫のようでそれがまたミリアの心を和ませた。
さあ立ってと促して彼が立ったのを確認したミリアは「うちはこっちですよ」と手を引いて歩き出す。
リチャードはそれまでの元気や威勢はどこへ行ったのか、塩らしくも大人しく手を引かれてくれた。
ミリアにとってこの夜の短い帰路だけは、心を乱す不安も苛立ちも絶望も何もかもを忘れていられた穏やかな時間だった。
不毛な恋から解放されて、もう愚かな感情に縛られない自分でこの先は生きていけるとそう思った。
こうしてこの夜以降、恋など無駄物と言い切るミリア・フォースターの傍には、護衛として付き従う少年の姿がよく目撃されるようになる。
――そして、金の髪の麗しの青年護衛の姿も。
少年と青年、二人がどこからやって来たのかミリア以外には知らないが、二人とも奇しくも名をリチャードと言った。
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