第13話


玄関をそっと開け、閉めてから安楽椅子に向かおうとして足を止めた。

匂いが濃い。


「どこに行っていたの?」


椅子から声がした。


「どこって……散歩ですよ、シャロン」


私は椅子に近寄った。

表情を作る事はしない。

窓は私の背中にある。

どうせ見えないのだ。

それでも声の調子には気をつけながら話す。


「どうにも眠れなくて、気分転換です」


椅子が揺れた。

立ちあがったシャロンの姿が、窓から差し込む月明かりにぼぅっと浮かぶ。

白い寝巻の肩にショールを羽織っている。


「こんな夜中に狂気の沙汰だわ。何かあったらどうするの?」

「………どうって?何かあるとでも?」


私は首をかしげる。

シャロンの言いたい事が分からない。


確かに夜中、外を出歩くのは危険だろう。

だが”危険”があちこちに転がっている事はない。

それに旅から旅の生活をしている私にとって、夜は敵ではない。

野宿することだってあるのに。


「あるかもしれないから言っているの」


シャロンは私の傍に近寄った。

近寄って気付いたのだが、シャロンは何かを思い詰めているような表情だった。


今までこんな顔を見た事がない。

悲しげで、切なげで。

ほんの少しの怒りも交っている。

私は驚いて尋ねた。


「シャロン?どうしたんです?」

「私の兄は夜中に森に入って、そこでモンスターに襲われたのっ!」

「え?」


シャロンは私を睨みつけた。


「とても明るい月の夜だった。兄は仕事中、森でモンスターに襲われたのよ。傷つきながらも何とか家に帰って来たけれど、その傷が元で兄は死んだの!」


シャロンの目から涙が零れた。


「出かける時は笑っていたのに。帰って来た時は血だらけで………私は助けてあげられなくて………」

「シャロン………」


私の所為でそんな辛い事を思い出させてしまったのだと思うと胸が痛んだ。

私はシャロンの肩に手を置いた。


抱きしめてあげたかったが、そうするには私達は他人過ぎた。

そしてその判断は正しかった。

シャロンは肩に置いた私の手に、びくっと体を震わせた。

私は急いで手を引っ込める。


「……ぁ、ごめんなさい」


シャロンは手のひらで涙をぬぐった。

そして急いで笑顔を作る。


「ぁの……とにかくそういう訳なのよ。あれから夜が怖くて……私は1歩も外に出られないし、他の人が外に出るのも嫌なの」

「そうですか………心配させてしまったのですね」

「ぇ、えぇ。そう……だって、あなたに何かあっても、私は朝まで外に出られないから。せっかく怪我を治したのに、また怪我されたくはないもの」


私は笑みを浮かべた。


「そうでしょうとも。あなたの気持ちも知らず外に出てしまってすみません」


シャロンは頭を振った。


「いいえ。私が勝手に心配していただけだから………じゃぁ、おやすみなさい」

「はい、おやすみなさい」


シャロンが部屋に戻って、私は大きく息を吐いた。

うなだれたまま安楽椅子に体を預ける。


参った。


森の大きさうんぬんよりも、家を抜け出す事が難しいとは。


今までもシャロンは時々私の様子を見に起きていたのだろう。

でなければ偶然が過ぎる。

今後そうする事も目に見えるようだ。

シャロンの涙をまた見たいとは思わない。

彼女の笑顔が私を穏やかな気持ちにさせるように、彼女の涙は私を落ち着かなくさせる。


だが………


私は考える事を放棄して、目を閉じた。

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