第2話

「どうぞ」

「これは?」 

「コーヒーとチーズ蒸しケーキです」


 僕は彼……名前聞いてなかったな。

 なんだか名前を聞くのもなんとなくはばかられる。カスタマーハラスメントなんて言葉が頻繁に飛び交う昨今、うかつに尋ねると「申し訳ありませんが、お教えすることは出来かねます」なんてことも珍しくない。社員を守るという姿勢は素晴らしいが、聞いて良いの? 悪いケース? なんて考えるだけで疲れてしまう。


 ともかく彼にコーヒーとケーキを出した。


コーヒーはうちで一番良いカップ、ロイヤルドルトンのカップに入れた。別に高級品趣味と言う訳じゃない。父がカップを好きだったので、誕生日の度にプレゼントしてた時期がある。5年で5回、5客。偶然にもうちの家族が全員揃っていた頃の数。まあ、ちょっと作為的だったかな。


 彼が唐突に口を開いた。

「申し遅れた。私は龍宮寺時任と申す」

「龍宮寺時任……さん」なんだか妙に仰々しい。しかし誰が『龍宮寺時任』さんと言われればこれ以上ないほど彼は龍宮寺時任さんだと言う気もする。そんなことを思っていたら少し笑みがこぼれた。すると神宮寺さんも少し笑った。


「あの、ウラキです、浦城悟と申します」

得体の知れない彼にフルネームを明かすのはためらいがあったが、名乗られた以上仕方ない。彼が偽名である可能性もあるが。


「まさか醤油ではあるまいな」と、割とベタなボケをする。

「いえ、コーヒーですよ」

「珈琲か。存じてはいたが、かようなものであったか。面白い」

 と彼はカップを手にし、しげしげと観察する。

「なかなかの細工だ。これは磁器だな? なんとも言えない白の風合いが良い趣だ」

「ありがとうございます」


 おお、分かってくれる人に初めて出会った。うちの家族は全然興味を持ってくれなかったから。それにしてもプレゼントを受け取った当人である父でさえ興味を示さなかったのはどういうことか。


「では」


 と彼はコーヒーの香りを嗅ぎ、恐る恐る口をつける。

 「……苦いな。焦がした麦を煮出してすみ汁を加えたような味だ」


 おいおい……と思ったが、案外遠くない表現かもしれない。


「まあ、慣れるまではそんなものですよ。試しに一口すすって、すぐケーキを食べて合わせて見て下さい」

「ふむ」

 彼はコーヒーを含むと、すかさずケーキを口にした。

 教えた通りに試してくれる彼はなんだか微笑ましい。こう素直だと出した甲斐がある。

「悪くない」

「何よりです」

「さて。用件を述べよう」

「……はい」


 セールスじゃないだろうな。


「左様なものではない。安心いたせ」


 あれ? 声に出てた?


「願いを一つ叶えてしんぜよう。それが心からの願いであるのなら」

「願いを、叶える?」

「そう言った」

「誰がです?」

「私だ」

「誰の」

「君だ」

「何でも?」

「おいおい、この不毛な問答を続けるのか? 回りくどい。もっと率直に、素直に話そう」


 あれ? そんな感じでした? 設定ぶれて来たんじゃない? 


 まあそういうなら。

「じゃああの、異世界に転生……とか」

「じゃあ?」

「異世界に転生させてください! できれば思いっきりチートなオプションもお願いします」

「どの異世界だ」

「どの? どのと言われても……」

「異世界と言ったって、エルフやドラゴンのいるファンタジー世界もあれば、いわゆるマルチバースもある。具体的なヴィジョンがなければ、今より状況が悪化することもありうる」

「マルチバースって」


 なんだか言葉遣いが急に……キャラ設定までブレて来た? この人やっぱり……

「キャラではないぞ」


 え? あれ、また声に出た?


「順化順応は我々の得意をするところだ。まあこれは良し悪しだな。実際のところ数分あれば、その時代の情報文化は吸収できる。古式ゆかしい言葉は優美ではあるが、言語使いで人格も少なからず影響は受ける。であれば円滑なコミュニケーションを優先して言語レベルを現地人に合わせるのはやぶさかではない」


「はあ」


「いいか? マルチバースは並行世界、簡単に言えば「イフ」の世界だな。無限に広がる可能性全てを具現化した世界といってもいい。だがいいか? いずれも君の知っている「あのこ」がいる世界ではない。似ているようで別の誰かだ。それで良いのか?」


 あの子? あの子って?


「じゃあエルフとドラゴンのいる異世界に……」

「……断る」

「断る?」


 これだけ大見得切っておいて……


「なんだと?」

「ああ、すみません」


 あれ? 心読んでます?


「許可されているのは表層に浮かぶ、言語として明確化された意識だけだ」

「やっぱり! え? 許可?」

「我々の世界でもコンプライアンスの波は来ているからな」

「……世知辛いですね」

「いいか? 出来ないのではない。やらない、やれないのだ」

「それはどういう?」

「管轄違いだ。君は歯が痛い時外科に行くか? 怪我した時に耳鼻科に行くか? 医者と同じだ。医学部で学んでいる時点ではどの分野でも進めるが、卒業すれば専門分野に特化していくものだ」

「つまりは?」

「異世界に転生させることは可能だが、成功するかは分からない」

「成功率は?」

「安心しろ、耳鼻科医が高度な脳手術を成功させるくらいの確率はある」

「……やめておきます」

「懸命だ。話を戻すぞ? 」

「ええと、なんでしたっけ」

「君が異世界転生したいという話だ。そもそも本人が本当に望んでいないことは叶えられん」

「……どういうことです」

「私に照れても意味がないぞ。良いか? 私は懺悔室の神父のようなものだ。……厳密には全然違うが。守秘義務もないしな。だが誰かに言いふらして楽しむ趣味などない」

「でも……本当に分からないんです」

「全く……本音を押し殺してきた報いと言う奴だな」

「すみません」

 

 太宰治だったろうか? 「生まれてすみません」と言ったのは?

今更ながらに身にしみる言葉だ。


「謝罪は必要ない。良いか? 自分の心に深く潜ってみろ。内観するのだ。さすれば己が欲するものが見えるであろう」


 内観か……内観、内観……心を鎮め、己が欲するものを掘り起こす……


「……あの、過去に戻る、とか出来ます?」

「過去?」

「今の記憶を持ったまま、生まれ変わって一から人生をやり直したい……なんていうのは」

「なんだと!」

「すみません! 過ぎた望みでした。えっと、じゃあ……」

「承知した!」


 え? 本当に?


「で、誰に生まれ変わりたい? どんな人間になりたいんだ? それにふさわしい環境に送ってしんぜよう」

「あ、はい、もう一度自分で」

「……自分?」

「はい。もう一度、浦城悟で」

「……それはオススメしない。変更をオススメする」

「いえ、自分で」

「良いのか? 出来る限り好条件の家庭で育つこともできるのだぞ?」

「結構です」

「本当に?」

「はい」

「はあ」


 あれ? ため息つきました?


「分かった」

「分かってくれましたか!」

「よし、じゃあ行ってこい! 実りあるよき人生を掴み取ってこい!」

「は、はい!?」

 そう言って、彼は大きく拍手を1つ打った。

 震動波が広がっていく。それは透き通るような軽やかな音色で、まるでその波が視認できたような錯覚さえ覚えた。


 深呼吸して僕は強く目をつむった。


そして恐る恐る、ゆっくりと目を開けた。


 【つづく】

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