case 1 前時代の暴君

case 1 前時代の暴君①


「す、すいませーん。誰かいませんかー?」


 土曜の午前十時を回った頃、事務所としては少し手狭な室内にチャイムとドアを叩く音が響いた。


「はいはーい、今開けまーす」


 来客を告げる音に気付いた助手がコンロの火を止め、駆け足気味に応対する。


「こんにちは。何かご用ですか」


 ドアを開けた先にいたのは二十代前半くらいの若い女性だった。


「こ、こんにちはっ。え、あ、あの……」


 その女性は酷く緊張しており、慌ただしく視線を左右にゆらしながら、たどたどしい口調で何かを伝えようとしてくる。


「えっと、ご、ご依頼したい事がありまして……そ、そのっ、こ、ここは偽善屋さんでよろしいでしょうか?」


 少し上擦った声でそう尋ねてくる女性に対し、助手はニコリと笑って優しげに言葉を返した。


「はい、ここで合ってますよ。依頼人の方ですね。中へどうぞ」

「え、あ、はいっ、お邪魔しまっ……あぶっ!?」


 助手の言葉に従って事務所の中に入ろうとした女性は足がもつれたのか、その場でよろめき、前へと勢いよく倒れてしまう。


「え、ちょっ!?大丈夫ですか?」

「ふぁい、大丈夫れす……」


 声と音に驚いた助手が振り向き、慌てて駆け寄ると女性は苦笑いを浮かべてそう返事をした。


「……ソファーまで肩を貸しますから捕まってください」

「へ、い、いえっ、だ、大丈夫です!自分で歩けますからっ……」


 ここまでの様子から一人で歩かせると再び転びかねないと判断した助手は、物凄い勢いで首を振って断ってくる女性を半ば強引に引っ張り上げてソファーへと連れていく。


「す、すいません……」

「いえ、気にしないでください……っと、今、先生を呼んで来ますので座ってお待ち下さい」


 女性をソファーに座らせた助手はポケットから携帯電話を取り出して手早く操作をすると、そのまま備え付けられたキッチンの方に向かい、カップを二つ用意する。


「コーヒーと紅茶、どちらにしますか?」

「え、あ、お構いな……あ、えーと、すいません。コーヒーでお願いします」


 遠慮しようとした女性だったが、助手がすでにお湯を沸かし始めていたのを見て、頭を下げながらそう答えた。


 程なくして女性の前と向かい側にコーヒーとスプーンが運ばれ、テーブルの中心に可愛らしいデザインのポットと硝子の容器が置かれる。


「砂糖とミルクが必要でしたらこちらからどうぞ」

「あ、ありがとうございます……」


 助手の笑顔に緊張もほぐれてきたらしく女性はお礼を言いながらミルクを注ぎ、角砂糖を落としてスプーンでかき混ぜ始めた。


「━━ふわぁ……おはよう……」


 そんな折、奥にあるドアが開いてボサボサ頭に寝癖を残したままの先生が姿を現した。


「はぁ……おはよう、じゃないですよ!依頼人の方がいらしてるんですからそんなだらしのない格好で出てこないでください」

「え、あ、ちょっと助手ちゃん!?」


 出てきた先生を助手がそう言いながら奥の部屋に押し込め、バタリとドアを閉める。


「あ、あの~……」

「すいません。少々お待ちください」


 部屋の中からガチャガチャゴソゴソとドア越しでも聞こえる音がしばらく聞こえてきたかと思うと一気に静まり返り、再びドアが開いてスーツに着替え、寝癖をきっちり直した先生がげんなりした顔で現れた。


「え~お待たせしました。俺……もとい私が偽善者……じゃなくて偽善屋こと〝先生〟です」

「あ、はい、よろしくお願いします。私は━━」

「あー……えーと、名乗らなくて結構です。あなたの事は依頼人Aさんと呼ばせてもらうので」

「……こういう仕事ですのでお互いに本名で呼びあう事を避けるための処置です。ですから私の事は〝助手〟と呼んでください」


 合わせて名乗ろうとした女性の声を先生がそう遮り、説明の足りない部分を助手が補足する。


「は、はあ、分かりました」

「あ、もちろんご依頼の内容によってはあなた、もしくはその関係者の名前や個人情報をこちらが知る場合もありますが、外部には漏らしませんし、ご依頼が済み次第、破棄させていただきますのでご安心を」


 補足に加えてそのままの流れで依頼を始める前の最低限の注意事項を終えた助手は頭を下げて一歩下がり、先生の方に視線を向ける。


「……という訳で今、助手ちゃんから説明があった通りなんだけど、それでも依頼をするかい?」


 口調を崩し、最終確認と言わんばかりに依頼人の意思を問う先生。ここまできた時点で、こんな事を聞かなくてもいい相手だというのは分かってる。


 だからここで改めて意思を問うのは一種の儀礼的なもの。


 ここから先は引き返せないぞという意味を込めての問いだった。


「……はい……お願いします」


 依頼人も雰囲気から問われている意味を察したらしく、さっきまでのオドオドした様子から打って代わり、真剣な表情で答えを返す。


「……確かに承りました。ようこそ偽善屋へ」


 口調を戻した先生はそう言って口の端を歪める。


 この日、この瞬間、暇を持て余していた偽善屋に新たな依頼がもたらされた。

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