case 0.5 何もない昼下がり


「っていう導入にしようと思うんだけど、どうかしら?」


 お昼下がりのとある事務所、十人は入りそうな広さの中で、一人、デスクに向かっていた少女が顔を上げて尋ねる。


「……いや、どうって言われても、とりあえず仕事中に書くのはやめてくれない?」


 少女の尋ねた先、一際大きな椅子に腰掛けていた男がげんなりした顔で答えた。


「仕事中っていうけど、そもそも今出来る仕事なんてないじゃない」


 感想を聞いたのにと不満げに頬を膨らませる少女に対して男は誤魔化すようにそっぽを向いて口笛を吹き始める。


「……それで?結局この導入はどうなの?」


 その態度に呆れながらも少女が再度感想を求めると男は渋々と言った様子で口を開いた。


「…………どうもなにもそれはなんなの助手ちゃん?」

「何って、私と先生の出会いを小説風にまとめてみたんだけど?」


 小首を傾げるつつ、顎に人差し指を当てる少女……改め助手。


 それに対して先生と呼ばれた男は頭を抱え、頭痛を堪えるようにため息を吐いた。


「……なんかちょっと脚色されてない?」

「そう?私の記憶ではこんなかんじだったけど」


 何で小説風にまとめたのだとか、言いたい事を呑み込んで一先ず感想を口にする。


 この小説風のまとめに書かれた日から今日に至るまで、この助手と過ごしてきた経験上、そうしないと話が前に進まない事を知っているからだ。


「助手ちゃんの記憶の中の俺は微妙に拗らせた怪しい男に見えたってこと?」

「……記憶の中というか、先生は今、現在進行形で拗らせた怪しい男でしょう?」


 手痛い言葉を食らって詰まってしまった先生は頭の後ろを掻きながら明後日の方向に視線を向けた。


(自分では気付かないもんだなー……)


 助手がこう言うという事は、普段のやりとりの中でも無意識の内に拗らせたような行動をしているのだろうかと今までを振り返りつつも、言葉自体はスルーして会話を続ける。


「……で?導入の感想を聞いてくるって事はこれを小説にでもするの?」

「……別に、そんな予定はないわ。ただ暇だから書いただけよ」


 意図を尋ねると今度は助手がそう言ってぷいっとそっぽを向いた。


 その態度と声色から察するに半分冗談、半分本気といったところだろうか。


「暇だから、ねぇ……」


 助手の言葉をぼやくように反芻し、椅子の背もたれに体重を預けて天井を見つめる。


「……ここ最近は依頼人が来てないから特に暇ね。本当にする事がないわ」


 小説の話題を切って、相槌あいづちのようにそう言葉を返す助手。


 仕事の特性上、依頼人が一人でもやってくると途端に忙しくなるのだが、いかんせん、現状はあまりに時間をもて余していた。


「まあ、そもそもここに辿り着く依頼人自体が少ないからな。仕方ないと言えば仕方ない」

「……確かにそうね。しかも内容が内容だからあまりおおっぴらに宣伝するわけにもいかないし、どうにかならないかしら」


 一応、あらゆる手段を使って誤魔化してはいるものの、仕事の内容、種類によってはな行為をする時もある。


 そのためあまり目立って宣伝や広告を出したりが出来ず、噂や都市伝説みたいなのを辿ってここに行き着くというパターンでしか依頼人はやってこないのが現状だった。


「どうにもねー……あ、そういえばこの前の依頼の報告書、まとめてくれた?」


 確かまだもらってないと思うんだけど……と付け加えて尋ねると、助手はポカンとした表情を浮かべる。


「……報告書って、何?」


「え?」


「え?」


 まさか報告書の存在自体を問い返されるとは思わず、少しの間、二人は互いに目を丸くしていた。


「…………あれ、もしかして書いてないの?」


 恐る恐る聞いてみると、助手はむっとした顔で反論を口にする。


「……さも私が悪いように言うのは止めてくれないかしら?この前の依頼に関しては然程書く事もなさそうだから俺がやっとくって言ったのは先生の方でしょう」


 言葉を並べて詰めてくる助手に圧され、先生の背中にはうっすら冷や汗が伝っていた。


「え、あ、そうだったっけ?」

「惚けるつもり?私は確かにそう聞いたわよ」


 のらりくらりとかわそうとするも、ぴしゃりと言い切られ、逃げ道がなくなってしまう。


「……すいません。すっかり忘れてました」


 こうなってしまえばもう自分の落ち度を認めるしかない。後はひたすらに謝って機嫌を窺う、これに尽きる。


 先生と助手という立場上、上下が逆転しているとかそんなのはどうでもいい。こういう勘違いで助手を怒らせてしまう事の方が恐ろしかった。


「……最初から素直に謝ればそれでいいのよ。変に惚けようとしなければ、ね」

「はい……すいません」


 圧に屈してひたすらに謝っていると、助手は呆れ混じりにのため息を吐く。


「……仕方ないわね。どうせ暇だし、手伝ってあげるからさっさと準備しなさい」

「はい……ありがとうございます……」


 もはやどちらが上司かわからない中で、先生は助手に促されるままに書類とペンを取り出して、その依頼内容を振り返り始めた。

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