第2話
通信端末がノイズ混じりに叫ぶ。
「リュー! リュー・村上! 状況を報告せよ!」
そんなことを言われても、リューは現在、ダンジョン第26階層の大広間を全力疾走中である。声を出す余裕なんてない。
「リューっ! 無事なら返事しろ!」
「うるせえ! 生きてるよ!」
苦しい呼吸の下でそれだけを言って、リューはさらに走った。
場所は旧東京イケブクロの中心地、前時代の人類がサンシャイン60と呼んでいたビルに巣くった大型ダンジョンの中だ。
世界中のあちこちにダンジョンが湧くようになって、各都市の地形は大きく変わった。特にイケブクロはダンジョンが湧きやすい土地であり、現在では一般市民の立ち入りは禁止されている。くだんのビルも人類から打ち捨てられて十数年、すっかり廃墟化したものだった。だから今回のダンジョン発生による人的被害はなかった、それだけは不幸中の幸いだ。
だがしかし、地上60階の建物がそのままダンジョン化したのだから攻略は難攻を極め、長期化していた。
例えば、かつてホテルとして使われていたフロア——壁はダンジョン化に伴い異界物質に変換されているものの、小さな客室が並ぶ間取りはそのままであり、その小部屋の一つ一つに複雑なトラップが仕掛けられてハンターたちの行手を塞ぐ。
例えば改装を重ねて複雑に区切られた元商業階——ワーム形態のモンスターに通路を食い荒らされ、完全なる迷宮階となってハンターたちを惑わせる。
最初のハンターが足を踏み入れてからすでに三ヶ月が経ってなお、このダンジョンは閉じられていない。だからこそウーブの需要は高い。
リューは、これが今週三度目のウーブである。
そもそもがウーバーが立ち入ることを許可されている階はすでにハンターによって制圧済み、取りこぼしの小さなモンスターしか出てこないような安全地帯である。加えて今回は何度もウーブに来ている場所だということもあってダンジョン内のマップは完全に把握済み。トラップを回避するルートも確保して、ハンターがベースキャンプとして確保した30階層まで5分もかからず安全確実迅速にウーブできるはず……だったのだ。
ところが今日に限って、24階層目に不快害虫型モンスターが湧いていた。黒くてツヤッツヤした、俗称“ダンジョンG”というモンスターだ。
これは大きさが大人の手のひらほどもあるということ以外、生態や行動は我々の知るあの忌まわしい
ところがこのダンジョンGが、ウーブするものにとってはこの上ない脅威となる。
なにしろダンジョンGは雑食だ。おまけに生命力も強く、意地汚い。食物を背負ってダンジョン内に入ってくるウーバーに群がって配達バッグの中身を食い散らかす害悪モンスターなのだ。
おまけに――もう一度言おう、“雑食”だ。一度襲い掛かればプラスチック製の配達バックから制服から、果てはウーブ配達人の肉体に及ぶまで、何でもかんでも食い散らかす。討伐しようにも数が多いため、一匹一匹潰していてはキリがない。
それゆえにダンジョンGに出会ってしまったら、逃げの一手しか対抗策はないのだ。
リューはこの点、優れたウーバーである。
ダンジョン内に立ち入るには多少なりともハンター適性が必要になる。つまり一般人と違って特殊な
リューのスキルは身体強化による“俊足”であり、モンスターとの戦闘を回避して目的の回まで最速でウーブするには最適な能力だ。
24階層でダンジョンGに遭遇したリューは、即座に“俊足”を発動して25階層まで一気に駆け上がった。しかし25階層目は小部屋の多い迷宮であり“俊足”の進化を十二分に発揮することができなかった。だからリューはダンジョンGの群れを振り切ることができずに、だだっ広いだけのこの26階層まで逃げ込むことになったのだ。
「くっそ、しつこいんだよ」
走りながら振り向いたリューは、あまりに大量のダンジョンGを目の当たりにして慄いた。
「いや、異常に多いじゃん!」
床はもちろんのこと、壁から天井までがびっしりと黒くてツヤツヤした無数の虫に覆われている。それがカサコソと足音を立てながら走る様子は、まるで真っ黒い波が押し寄せてくるかのような様相であった。
「ヒイッ、“俊足”発動!」
スキルの発動により、リューの大臀筋からヒラメ筋に向かって、ミシッと筋肉が強化される音が走る。その刺激のまま、リューはさらに加速する。
「よっしゃ、このまま一気に引き離して……」
その時、胸元のホルダーに刺した端末から鋭い声が上がった。
「リュー、大型の生体反応だ、
「何っ、方向は!」
「下だ!」
次の瞬間、地響きとともにリューの目前にあった床が消滅した。
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