はじめまして、婚約者様  婚約解消はそちらからお願いします

蒼あかり

第1話


『前略 タイラー様


 そちらの気候はいかがでしょう。だいぶ暖かくなってきたのではないですか?

 こちらはまだ雪が残り、朝晩は寒く厳しいです。

 そう言えばこの前、仔馬が一頭産まれました。

母子ともに元気で、すくすく育っています。

 畑の準備もそろそろ始まり、忙しい季節がやってきます。

 タイラー様も、どうぞお体に気をつけて元気にお過ごしください。


 リサより』




「おじさん。これをまたお願いできるかしら」

「ああ、リサ様。また婚約者殿に恋文ですかい? 仲の良いことですねぇ。

いやぁ、若いって良いことだ。うらやましいなあ」

「もう、おじさんたら。じゃあ、お願いね」


 そう言ってリサは早馬を扱う小間物屋の店主に手紙を託すと、嬉しそうに駆けていくのだった。


「はい、確かにお預かりしました……」


 店主は楽しそうに走る後ろ姿を見つめながら、ささやくように返事をした。


 彼女が定期的に出している手紙に、ただの一度も返事が来たことは無い。きっとこの手紙にも返事は届かないのだろう。

 それを思うと店主の胸は苦しくなるのだった。


「あんなに良いお嬢さんなのに、まったく。相手の男はどうかしているぜ」


 そんな、愚痴ともぼやきともとれるような言葉をポツリとつぶやいた。





「ただいま、おじいちゃん。今日は良い鴨肉が手に入ったのよ、晩御飯楽しみにしていてね」


 リサは籐で編んだ買い物かごをテーブルに置くと、さっそく鴨肉や食材の野菜たちを並べ始めた。


「お帰り、リサ。ほぉ、こりゃ良い肉だ。晩酌が楽しみだな」


 そう言ってリサの祖父モーリスは彼女の頭を撫でるのだった。





 リサ・ホワイトは王都から離れた地を守る、子爵家の一人娘だ。

 彼女の両親は王都へ向かう途中の事故で亡くなっている。

それからは、祖父母の手によって育てられたが、その祖母も流行り病で二年前に亡くなり、今は祖父モーリスとともに二人で暮らしている。

 ホワイト家の領地は規模こそ大きくはないが、農業に適した肥沃な土地で、領民の生活を守るには十分だった。

 リサは今年で十六歳になる。貴族令嬢なら社交界デビューを迎えてもよい年齢だったが、派手なことを好まない二人はそれを先延ばしにしつつ、見ないふりをしていたのだった。

 リサには婚約者がいる。

 遠く離れたハント侯爵家の次男で、名をタイラーと言う。

 かつて行われた大戦で、リサの祖父モーリスとタイラーの祖父ニコラスが戦に駆り出された。そこで二人は戦友として交友を深めたのだ。

 長い戦いの中で、ニコラスはモーリスに命を救われた。彼をかばい、怪我を負ってまでも彼の命を救った恩を感じ、互いの子を結婚させようと持ち掛けたのはニコラスだ。それなのに、生憎産まれたのはどちらも男児。そこで、孫にはと期待を込め、産まれたのがリサだった。

 ニコラスは、それはそれは喜んだと言う。侯爵家に嫁がせ、自分を祖父と呼んでくれることを願い、リサの名付け親を買って出るほどに。その後、祝いの品が馬車いっぱいに届けられ、モーリスや両親を呆れさせるのだった。。


 だが、モーリスは冷静だった。侯爵家と子爵家の婚姻では格が違い過ぎる。

 どのような形になるにしろ、その後の孫娘が不憫な思いをするのが目に見えているのだ。一時の騒ぎだけで沈静化し、婚約は良い時期に解消をすればいいと考えていた。


 そんな風に年月は過ぎ、リサが五歳の時だった。王都へ出向く馬車の事故により、両親はともに帰らぬ人となってしまった。

 リサの他に子をもうけぬままに他界した両親。

一人娘のリサに、この子爵家が託された。出来の良い婿をもらい、この領地を支えていくことになる。

 これで婚約を解消する良い理由ができたと、モーリスはハント家へと使いを出す。だが、戻って来たのは文では無く、ニコラス本人であった。

 


「この度はなんと言ってよいか……。

 我が友よ、私にできることがあればなんでも言ってくれ。君のご子息夫妻は私にとっても大事な存在なのだから。それに、いずれは私たちは本当の家族になるんだ。遠慮はいらないよ」


 久しぶりに会った戦友は年相応に老いてはいたが、変わらずに美丈夫ではつらつとしていた。

 それに比べ自分は田舎の子爵であり、並ぶには相応しくないように思える。


「わざわざこんな田舎まで来てもらい、恐縮です。申し訳ありません」


 深々と頭を下げるのは、子爵が侯爵当主に行う礼儀であり、正しい行動だった。だが、ニコラスはすぐに彼の肩を掴むと顔を上げさせた。


「やめてくれ。君にこんな真似をさせるために来たんじゃない。

 わかっているだろう?」


 リサの祖父モーリスも気持ちは理解出来た。だが、ここは戦場ではない。

 生きるか死ぬか。生きて戻れる保証のない地では、身分の差など関係が無い。

 明日をも知れぬ者達だからこそ、腹を割って話も出来た。身分を忘れ、肩を並べて夢を語り合えた。

 しかし、戦が終わればその夢も終わる。現実に戻れば爵位の差は否が応でも付いて回る。侯爵と子爵では、あまりにも違いすぎる。


「その娘がタイラーの婚約者のリサだね。大きくなったなあ、どれ」


 ニコラスはモーリスの足元にピタリと寄り添い、小さくなっていたリサを抱きかかえると高く持ち上げた。「うわぁ!」と、悲鳴にも喜びにも聞こえる声を上げたリサに話しかけるのだった。


「いいかい、リサ。君は私の孫であるタイラーの婚約者だ」

「こんやくしゃ?」

「そうだよ。大きくなったら、タイラーと結婚するんだ。そして、私をモーリスと同じようにおじいちゃんと呼ぶことになるんだよ」

「おじいちゃん?」


 嬉しそうに話すニコラスに抱きかかえられたまま、リサはモーリスに視線を移す。モーリスは困った様な笑みを浮かべていた。


「今はまだ、よくわからないだろうけれど、大きくなったらわかってくるよ。だから大丈夫。そうだな、まずはタイラーに手紙を書いておくれ。字の練習だと思って、何でも良い。きっとタイラーも喜ぶはずだ」



 そんなニコラスの言葉を信じ、リサは幼い頃から手紙を書き続けている。

 最初は本当に字の練習のような物だった。そのうちに、少しずつ日々の状況や、子爵家の様子を綴ったりもしてきた。

 毎月送っていた手紙も次第に数を減らし、今では四季の便りになってしまった。それでもタイラー本人からの返事は、一度として来たことはない。

 誕生日にタイラー名義で送られてくるプレゼントを、素直に喜べたのは子供の頃のこと。全てを理解してしまった今のリサにとって、それはニコラスが気をきかせて贈ってくれている物だと知っている。

 だからお礼の手紙にはタイラーの名に添えて、ニコラスの名も記してきた。

 

 初めてニコラスと会った両親の葬儀の後、一度だけタイラーの絵姿を送ってきてくれたことがあった。

 十歳も歳の離れたタイラーは、すでに十五歳を迎えており、騎士見習いとして騎士服を纏っていた。田舎暮らしの幼いリサにとって、初めて見る騎士の絵姿は夢のように輝いて見えた。

 あれから十年。今、リサが当時のタイラーの年齢になっている。

 今思う事は、タイラーはこの婚約自体を無効にしたいほど嫌だったのだろうと、そう理解もできる。

 リサにとって初恋であり、大切なおじいちゃんの友人であるニコラスの夢だ。

 だからもう少しだけ、その夢にリサも付き合わせてもらうことにしている。

 会った事もない婚約者に迷惑をかけたとしても、もう少しだけ夢を見せてもらいたいと、わがままを聞いてもらいたい。そう思っていた。





「お? また、婚約者殿からの恋文か? 愛されてるなあ」

「ふっ。そんなんじゃないさ。わかってるだろう」


 タイラーは同室の騎士仲間に苦笑いを浮かべながら答えた。


「それにしても、いい加減返事を書いてやったらどうだ? 相手も待ってるだろうに。たった一言、ありがとうだけでも喜ぶぞ」

「いつか解消しようと思ってる婚約者だ。喜ばせてどうする。想いなんか残さない方が良いに決まってる」

「だったらいい加減ハッキリしてやればいいのに。そろそろ適齢期にさしかかるんじゃないのか?」

「俺にどうにかできるならとっくにやってるよ」

「だったらいっそ、予定通り婿にいっちまえば良いんじゃないのか? 侯爵家とはいえ次男なんだし、婿入りもできるだろう?」

「そう言うなよ。俺もお前も騎士で生きると決めた、いつどうなるかもわからん身だ。結婚なんてするつもりはないよ。お前もそうだろう?」

「……ま、そうだな。すまん」


 タイラーは騎士として鍛錬を積んでいる。隣国とのいざこざや、内乱が起こるこの時世で頻繁に駆り出されては、国の為に命をかけている。

 騎士である仕事に誇りを持ち、国の為、民の為に戦うことに使命を持ち日々戦っているのだ。

 かつては祖父の願い通り、侯爵家で持ち合わせている爵位をタイラーが受け継ぎ、リサを嫁がせると聞かされていた。だが、彼女の両親が亡くなったことで、一人娘のリサが婿取りをすることになり、一度はその話も消え失せたと思われた。しかしそのくらいのことで祖父ニコラスの思いが揺らぐことは無く、「ならばお前が婿に入ればいい」と、言い放ったのだった。


 家を離れ騎士寮で暮らすタイラーの元に、定期的に届けられる婚約者からの手紙。彼女はタイラーが騎士として命をかけ戦っていることなど、知りもしないのだろう。侯爵家へと届けられるそれを、祖父のニコラスが送り届けてくれるだけだ。いつ戦に駆り出されるかもわからないその身を案じる文面は、一度として書いて来たことが無い。

 タイラーはそれでいいと思っている。どうせ縁のない婚約関係なのだから。

 いつか愛想をつかされて、向こうが解消なり破棄なりを言い出してくれることを、ただひたすらに待ち望んでいるのだった。





 

 ニコラスが倒れたと連絡が来たのはちょうどその頃だった。

 すでに爵位を息子に譲り、悠々自適な生活を送っているものだと思っていたモーリスは驚き、言葉を失くした。


「いつから……、ですか?」

「二年前、爵位を譲られる頃からでございます」


 知らせを持って来たのは、長年ニコラスの側についていた執事だった。

 彼がわざわざ来たということは、つまりそういうことなのだろう。


「彼はいま?」

「すでに立つこともかないません。毎日、モーリス様や他の戦友の方々との思い出を、懐かしむだけでございます」


「間に合いますか?」

「当家の馬車をお使いください」


 恭しく頭を下げる彼に対し、モーリスは「ありがとうございます」と深く頭を下げた。

 名付け親であり、たとえ名義上ではあっても婚約者の祖父だ。モーリスはリサを伴いニコラスの元へと急ぎ駆けつけるのだった。


 ハント侯爵領の外れにある別邸。そこにニコラスが住んでいた。

 すでに夫人を亡くしていたニコラスは、執事と最低限の使用人に囲まれて余生を過ごしていた。

 別邸に着き、案内された部屋でニコラスはベッドで横になっていた。

 身じろぎ一つせずに眠る姿は、駆け寄り揺さぶりたくなってしまう。それをなんとか押しとどめ、ゆっくりと二人は近づいた。

「ニコラス」と、声をかけようと思った瞬間、気配に気が付いたのだろう、ゆっくりと彼は目を開けた。


「ニコラス」


 モーリスの声にゆっくりと顔を向けると、理解したように目を細め口角を上げる。


「モーリス、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」


 落ち着いた顔でほほ笑み、モーリスに向かい手を伸ばす。

 その手を握り返しながら、彼もまた微笑み返すのだった。

 互いに背を預け、命をかけて戦った者同士に言葉は必要なかった。

 何年合わなくとも、心は通い合ったままなのだ。


 そして後ろに佇むリサに気が付いたニコラスは、彼女を枕元まで呼び寄せるとその髪を撫でた。幼い頃に会った、あの頃のように。


「タイラーを頼む。あいつは少しばかり強情だが、根はやさしくいい子なんだ。

 モーリスと私を、家族にしておくれ」


 彼の優しい瞳は揺らめいていた。

 リサは泣かないように必死で耐えながら、努めて明るく答えるのだった。


「タイラー様は、私が必ず幸せにします」……と。



 それから間もなくだった。ニコラスの側で過ごすことを許されたリサ達は、彼の最後に立ち会うことが出来た。

 急ぎ駆けつけたタイラーや家族に看取られ、穏やかな最後を迎えることができた。幸せな最後だったろうと、リサもモーリスも安堵した。

 それから葬儀も済ませ、二人は最後の務めを果たすことになる。


 亡き友人の最後の頼みを叶えてやりたいが、それが難しいことを十分理解しているモーリスは、せめて孫娘であるリサに瑕疵がつかぬよう、それだけを願っていた。

 リサもまた、亡き友人の思いを叶えたいと願っているであろう祖父モーリスが、心を痛めない方法で婚約解消できることを願っていた。


 葬儀の後、明日にはホワイト子爵家へと帰ると決めた夕刻。

 リサはタイラーから誘いを受けた。

 婚約者として初めて会った二人は、葬儀の場ということもあり特に言葉を交わすこともなければ、婚約者として披露しエスコートをすることもなかった。

 二人が婚約関係にあることは、内々にしか知れ渡ってはいない。

 そんな二人が今、ニコラスが住んでいた庭を並び歩いていた。

 夕暮れの日差しが辺りを照らし、少しだけ頬を染めはにかむリサを気遣いながら、少し前を歩くタイラー。

 ちょうど庭には色とりどりのリナリアの花が咲き乱れていた。

 

「リナリアの花がきれいですね」


 タイラーの背を見上げながらリサが口にする。


「リナ……?」

「はい。リナリアです。今、タイラー様の足元に咲いている花の名です」


「ああ。この、花」


 何の感慨もなく棒立ちのまま足元の花を見つめるタイラー。


「お花をいただいてもよろしいですか?」

「ああ、好きなだけどうぞ」


 タイラーの許しを得ると、リサはその場にしゃがみ込み花に手を伸ばし吟味し始めた。そして、タイラーに背を向けたまま呟いた。


「私たちの婚約ですが。……、タイラー様から解消してください」


 それほど大きな声ではなかったが、リサのその言葉はしっかりとタイラーに届いた。リサは薄ピンク色のリナリアの花を一本手にすると、立ち上がり彼の顔を見上げた。その顔には笑みが浮かび、夕陽に照らされ紅く頬を染めて見える。


「いや、私からは無理だ。この婚約は祖父の悲願だった。私からはとても……。

 君の方から断りを入れてもらえないだろうか? こんな歳の離れた気の利かない男に愛想が尽きたと。そう言って見捨ててくれて構わない。

 慰謝料ならきちんと支払うと約束しよう」

「タイラー様、私も無理です。私、ニコラスのおじい様と約束をしたんです。

 タイラー様を幸せにするって。おじい様はもういらっしゃらないけれど、約束をした以上、私がそれを破るわけにはいきません。

 だから、タイラー様からこの婚約を終わらせてください」


 頭ひとつ分は小さいリサが、見上げるようにタイラーに答える。その姿はどこか堂々として見えた。

 困った様な顔のタイラーと、笑みを浮かべるリサ。


「私は騎士なんだ」

「はい、知っています。まだ幼かった頃、騎士服を着たタイラー様の絵姿をいただきました」


「絵姿を? きっと祖父が勝手に送ったものだろう。

 君は騎士の仕事を知っているかい?」

「はい。この国を守り、私達民の生活を守って下さる立派なお仕事だとおじいちゃんから聞いています」


「立派かどうかはわからないが、騎士は時に命を落とすこともあることは?」

「はい。おじいちゃんもニコラスおじい様と戦友だったと。命をかけて戦ったと言っていました」


「なら、話は早い。私は騎士だ。この職に誇りを持っている。今も隣国とのいざこざや国内の内乱に駆り出される。その時に、この命を惜しむことなく戦うと誓っている。いつどうなるかもわからないこの命。だからこそ妻を娶るよな、そんな無責任なことはできないし、したくはないんだ。わかってくれるね?」


 タイラーの言葉に少しだけ考えたリサははっきりとした口調で答えた。


「わかりません」


 笑みを浮かべながら答えるリサを見て、タイラーは驚いた顔を見せた。


「騎士としてのタイラー様の心意気は理解できました。でも、それはそれです。

 だからと言って、私から婚約を破談にする理由にはなりません」

「し、しかし! 私から君に婚約解消を申し出れば、君の名に傷がついてしまう。それは祖父も、私も決して望んでいない」


「私の名に傷などつきませんよ。仮についたところで、です。

 社交界に、一度も顔を出したことのない田舎子爵の娘です。私のことなど誰も気にとめてもいないはず。ですから、心おきなく破談にしてください」

「いや、それでは……」


 そんな押し問答をしているうちに、使用人が晩餐の迎えにやってきた。

 話の続きはまたにしようと思っていたタイラーに、「さあ、ハント侯爵家での最後の晩餐です。しっかりご馳走になりますね」そういうと、リサは跳ねるように館の中へと向かって行った。

 その後ろ姿を見ながら、タイラーは大きく息を吐くのだった。



 その晩のこと。タイラーはモーリスから酒の誘いを受けることになる。

 最後の晩だから一緒にニコラスを偲ばせてくれと言われ、酒を酌み交わすのだった。


「婚約の破談を僕からしてくれと言われました」

「リサが? ははは、そうでしょうね。あの子はニコラスと約束していましたから。あなたを幸せにすると……」


「私は……。幸せになるに値しない人間です。国のため、民のためと言い訳をしながら、何人もの命を犠牲にしてきた。この血濡れた手で誰かを幸せになど、できるはずがないのです」

「それは、私もニコラスも同じですよ。敵人を殺し、仲間を見捨て、そうやって生き延びた命だ。騎士なら皆同じことです。それを言ったら、私もニコラスも結婚など出来なかった」

「それは……」


「ニコラスはあなたのことを少し強情で、でも優しい子だと言っていた。

リサも全くそうです。頑固で、でも心根は誰よりも優しいいい子です」

「それは……、わかります」


「ならば、あの子の言う通り幸せにしてもらったらどうです? 何も考えずに、飛び込んでみれば。きっと、あの子は受け止めてくれますよ」

「ふふ。普通は男の僕が言う言葉ですね」

「ははは、そうですね。普通はそうかもしれない。でもね、幸せになるのにどちらが上か下か、先か後かなんてないと思いますよ。きっと、ニコラスも笑ってうなずいているはずだ」


 その晩、遅くまで語り合った二人はすっかり意気投合し、気が付けばソファーの上で目を覚ました。

 朝早くそれをリサに見つかり、大目玉を食らったことをニコラスの墓前に報告するのだった。


 二日酔いで痛む頭を押さえながら、モーリスは馬車に乗り込んだ。

 そして、見送りに顔を出したタイラーはリサに片手を差し出すと、別れの挨拶を交わす。


「いつも手紙をありがとう。今度は僕も返事を書こうと思う。毎回はちょっと厳しいが、二回に一回。いや、三回に一回は出すように努力するよ」


 照れるように頭をかきながら話すタイラーが可愛らしくて、リサは微笑みうなずいた。


「返事、お待ちしています」






『前略 リサ殿


 子爵家は変わらず、穏やかなようで安心しました。

 祖父の家に咲いているリナリアの花が種をつけました。少し送ります。

 子爵家の庭も、この花でいっぱいになると良いと思います。

 それでは、体に気をつけて。モーリス殿にもよろしくお伝えください。


 タイラーより』







 いくつも季節を重ね、今もホワイト子爵家には心地の良い風が吹き抜けていた。



「おばあちゃま。リナリアの花、これくらいでいい?」

「ああ、そうね。それくらいでいいわ。ありがとう」


 髪には白い物が混じり、顔にはしわが刻まれたリサが、幼子に手を引かれ小高い丘へと登って来た。

 ホワイト家代々の墓地に眠る先人たち。

 幼子はその墓にリナリアの花を置いて歩いている。


「おじいちゃまも、このお花が好きだったんでしょう?」

「さあ、どうかしらね。その花はおばあちゃまが好きだったの。だからきっと、おじいちゃまも好きだったと思うわよ」



 リサは丘の上から領地を見下ろす。

 昔も今も大きく変わることのないこの地で、幸せに過ごせたことに感謝しながら風に吹かれていた。




「あなたも、幸せでしたか?」





~おしまい~





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はじめまして、婚約者様  婚約解消はそちらからお願いします 蒼あかり @aoi-akari

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