第3話

・side白鳥結奈シラトリユナ


 名刺を渡して走り去っていく、オジ様の後姿に胸がときめいてしまう。


「お嬢様! ご無事ですか?!」


 黒服に身を包んだ綺麗なショートヘアーのお姉様。


 安西詩織アンザイシオリさん。

 私のボディーガードで、専属従者として付き従ってくれている。


 これでも大手企業の社長令嬢として優遇されいる私は一人で買い物も出来ない。


 だから、護衛の詩織さんにコンビニで買い物をお願いして、車から出て道路の向こうに見えた公園で軽く手足を伸ばそうと横断歩道を渡ろうとしたところでつまづいてしまった。


 それが、このような偶然が起きるなんて。


「ええ、私は無事よ」

「すでに先ほどの車は特定して、報復しております」


 詩織さんは、コンビニから私の様子を見ていのだろう。

 監視されているようだが、それが彼女の仕事なのだ。


「お仕事が早いのね」

「はい! お嬢様を傷つけるなど許されることではありません。何よりもお嬢様をお一人にした際に危険な目に合わせてしまい申し訳ありません」

「私が頼んだ用事だもの仕方ないわ」

「寛大なお言葉ありがとうございます」


 それに素敵な出会いができたもの。


 名刺に鼻に当てれば、オジ様の香りが鼻腔を充満させる。


 助けてもらった際に、逞しい腕と、男性らしい胸に抱かれてしまった。


 私の知る男性はだらしない年配か、太った若者ばかり。


 初めて痩せ型長身で働いている男性の匂いを嗅いでしまった。

 私の脳内はおかしくなってしまったのではないでしょうか? 最高でしたわ。


「詩織さん、この方の住所や素性を調べてくださいます?」

「えっ? しかし、三十歳を越えられているように見えましたが?」

「それが何か?」


 私が目を細めると、詩織さんは慌てたような素振りを見せる。


「あっいえ、お嬢様が求められるのであれば」

「よろしくお願いしますね」


 私の命の恩人であり、初めて抱きしめられた男性。


 それだけで十分に愛おしく感じてしまうわね。


「サラリーマンとして仕事をしているということは、きっとご苦労をされているのでしょうね。だけど、命を助けていただいて不自由を送らせるわけにはいきませんね」


 待っていてくださいね。オジ様。


 私は鈴木一と書かれたお名刺に視線を向けて、会社名と名前を心に刻む。



・side鈴木一


 独身男にも楽しみは存在するのだ。


 命を救うという大変なことを経験したが、それは突発的なトラブルであり、普段から起こるわけじゃない。


 スーパーに駆け込んでタイムセールのシールを貼られた惣菜を手に取って、ビールと共にいただくことこそが楽しみであり。


 またスーパーのレジ打ちをしている大学生さん。


 名札には花井杏樹ハナイアンジュさんという名前が記載されている。


 彼女は、こんな三十歳オーバーな俺に対しても、いつも変わらない微笑みを向けてくれる。


「あっ、鈴木さん。いらっしゃいませ。本日はビールとイカ天ですね」

「あっ、はい!」

「猫ちゃんは元気ですか?」

「ええ。クゥは今日も元気でした」

「ふふ、よかった。いつもお仕事お疲れ様です」

「ありがとうございます!」


 アンジュさんの笑顔を見るために、少し遠回りをしてこのスーパーを利用しているだけの価値はあるな。


 家に帰りつけば、お猫様が待っている。


 雨の日にスーパーの帰り道で拾った猫で、ボロボロだったが今では綺麗な毛並みが生え揃った黒猫で、帰ってくると出迎えてくれる大切な家族だ。


「クゥ、帰ったぞ。良い子にしてたか?」

「ミャー」

「はは、今日も色々あったけど、実は人助けをしたんだぞ」

「ミャー」

「はは、そんなことよりもご飯を寄越せってか? 今から用意するから待ってくれな」


 大切な家族のために食事の用意をする。


 これが鈴木一として生きている私の日常だった。


 今日までは……。

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