After the rain

Hoshimi Akari 星廻 蒼灯

After the rain

 演奏会のために借りていたホールへ、練習とリハーサルを兼ねて合宿をしに行った日。

 僕は演奏会の本番よりもその日のことをよく覚えている。

 そんなに長い期間じゃなかった。一週間も泊まっていなかったと思う。

 大学2年。まだ夏になる前のことだった。都心部にあるその大きな施設は普段から学生の合宿を受け入れていて、僕らの部活以外にも他の団体が何組か泊まっていた。

 入部してまだ間もなかった僕は、部屋を出て廊下を出歩くだけで緊張していた。緊張していたけど、僕はそこに常に誰かとの出会いが潜んでいるような気がして、心の底では浮かれていた。いつもそうだった。ルールを設定された集団の中では自分から誰かに話しかけることすらできなかったのに、そんな日常から少し外れた非日常の隙間には、常に可能性と未知の出会いが無限に広がっているように感じてしまう。それは見知らぬ建物で、陽の落ちた、だけど人工の照明が青白く照らす薄い闇の中でこそそうだった。廊下の角に、階段の下に、都心の眠らない街がうっすらとあかるめている敷地の暗闇に、出会いが待っている。……世界はそんな風にできているんだと、漠然と僕は期待を抱いていた。なのに結局はその全てを手放して、僕は一人になった。一体、何が不満だったっていうのか? 自分に問いかけてみても、はっきりとした答えは返ってこない。けどきっと、何かが不満だった。想像の中に潜む出会いに憧れて、僕は目の前にいる他人の気持ちを本当の意味で理解しようとしていなかったのかもしれない。そして現実の他人を恐れていた。そうして人から逃げた先に何もないことがわかっていても、逃げることしか選べなかったのだ。今、あの時へ戻れたとしても、自分が別の行動を取れたとは思えない。むしろ結果を知っているからこそ、目の前にある現実にどんな期待もできないかもしれない。そしてそんな僕だったからこそ、僕のことを理解してくれる他人なんて現れなかったんだ。

 僕は今も夢見ている。自分のことを理解してくれる誰かと出会うことを。それがどんなに都合のいい夢想で、いかに可能性の低い望みかということを理解した今でも、夢見てしまっている。それは生きることと似ていた。可能性やのぞみがどんなに薄くとも、存在している限りは恋願こいねがってしまう。そして数多あまたの希望がついえた後だからこそ、闇の中に輝く一点の光のように唯一の希望として、それが僕の戦うよすがになっている。

 ああ。

 どうすれば誰かに心を開けるのか、僕はずっとそれを考えてる。あのときよりももっと。そしてその前よりももっともっと深く。

 その誰かがどんな〝誰か〟だったらいいのか。

 自分がどんな〝誰か〟に変わればいいのか、と。

 遠い星に言葉を発信し続けるように、どんなにたくさんの時間と労力を使っても、交信が途絶えるときは一瞬でおとずれる。労力と言ったけれど、僕はその努力を嫌なものだと思ったことはなかった。むしろその全てが、苦しみも含めて楽しかった。しかし後に残ったものはない。ただ思い出だけがそれぞれの中にあって、僕がそこに追い求めていた〝関係〟は、死んでしまった。

 色々なことを——どうすれば遠い星とも関わりが持てるのか、僕は今もずっと考えている。だけどそんなときにあの合宿の日のことを思い出す。特別な出来事は何もなかった。希望はやがて絶望になって燃え尽きた。けれどその一瞬一瞬にたしかに刻まれていた僕の胸のうちの希望を、薄暗くて、だけどどこか温かくて涼しい、「これが人生なんだろ?」と問いかけたくなった、あの日の空気と体温を。

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After the rain Hoshimi Akari 星廻 蒼灯 @jan_ford

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