第16話

 百井が越してきて一日。自分たちの昼食を食べ終えた荻野は、類以のお昼を作り始める。本当なら一緒に食べたかったが、類以の機嫌が悪く、揃って食事というどころではない。そんな中で仕事が休みの金子は類以に遊び相手になって欲しいと指名され、二人でカラフルな積み木を並べて仮想の街を建設。類以の機嫌を取るために奮闘していた。


二人の様子を微笑ましく見ながら作業していると、「類以君も混ぜ込みご飯なんですね」と言って顔を覗き込んできた百井。身に纏っている服からは、柔軟剤の甘い香りがふわりと匂う。


「今日はご機嫌ナナメだから、好きな混ぜ込みご飯にしてあげようと思ったんです」

「確かに。私たちが食べてるとき、すごい羨ましそうに見てましたもんね」

「ご飯が硬いとまだ食べてくれないから、個別で作らなきゃいけないけど、できるだけ同じ具材で作ってあげたいので、色々工夫してます」

「そうですよね。大人の味を早く食べたいんだろうなぁ」

「今だけ我慢してねって感じですね」


 百井は冷蔵庫から紙パックタイプの野菜ジュースを取り出し、わざわざコップにあけ替える。


「荻野さん、ちょっといいですか?」類以から積み木を手放させながら、金子が声を掛ける。

「どしたの?」

「類以君が指怪我しちゃって」

「どこどこ?」

「中指です」

「出血は?」

「少しだけあります」

「じゃあ、洗面所で流してきて。絆創膏出しておくから」

「分かりました」


 そのまま立ち上がり、洗面所へと駆けて行った金子。キッチンに残った荻野と百井。少しだけ気まずい雰囲気の中、百井は荻野の耳元で「私、秘密にしてることがあるんです」と囁いた。


「え」

「実は、私にも子供がいるんです」


荻野は作業する手を止める。


「でもまぁ、生まれてすぐ施設に預けちゃいましたけどね。ふふ」

「施設って―」


荻野がそのことについて訊こうとしたとき、タイミング悪く来訪者を告げるチャイムが鳴った。「私が出てきますね」そう言い残し、百井は小走りで出て行く。粥状になったご飯のなかでワカメたちは秘密話をしているかのように集まっていた。


 

 少し寄り道をしてしまったが、十五分ぐらいで完成した類以専用の混ぜ込みご飯。美味しそうな湯気が立っている。


先ほどの来訪者から受け取った宅配便の中身を一つずつ確認しては、ニヤニヤと笑っている百井。一方で金子と類以は積み上げた積み木を崩して楽しそうにしている。


「類以、ご飯できたよ。片付けしてねー」荻野がそう声をかけるも、聞こえていない様子の類以。特に痛がる様子もなく落ち着いている。絆創膏によって傷跡が隠れたことを不思議そうに見続けた。


「類以君、ご飯の時間だって。片付けしよ」

「・・・」

「片付けしないと、ご飯食べられないよ?」

「そうだよ~。類以が好きなご飯が待ってるよ」

「・・・」

「私も手伝うから、一緒に片付けしようね」


金子は荻野とともに、散らかっている積み木を片付けするように促す。しかし、言うことを聞かず、ずっと指だけを眺める。


一向に片付けようとしない類以。そこで荻野が、「せっかくのご飯が冷めちゃうよ~」と少し声色を高くして言った途端、嗅覚が俊敏に反応したのか、唐突に機嫌を直し、ゆっくりではあるが自分の手で積み木を掴み、そして箱に戻していく片づけを始めた。


 大人二人は揃って「上手だよ」「やればできるじゃん」などと類以を全力で励まし、五分かけて片付けを終えた。そして、手を洗わせてから椅子に座らせる。


「はい、お昼ご飯だよ」


ご飯を盛った茶碗を目の前に差し出すと、待ってましたと言わんばかりに手で粥を掬い、豪快に口へと運んでいく類以。終始満面の笑みを浮かべ続ける。その様子を金子もどこか幸せそうに見ていた。


 荻野は類以が食事している目の前で、「百井さん」と話しかける。


「どうしました?」

「あの、昨日は失礼しました」

「謝らなくていいですよ。私のほうこそ子育ての難しさとか知りもしないで言っちゃいましたから」

「でも、改めて気付かせてもらいました。やっぱり類以も一緒に、住人みんなで食卓を囲むことの大切さに」

「私の発言が荻野さんの心持を変えたってことですね!」


どこまでも反省の色を見せない百井に、荻野は既に諦めモードだった。


「どうでした? 住人みんなで囲む食卓は」

「私、家族そろって同じ食卓を囲むってことが全然なかったので、なんか照れちゃうし、慣れないですね」

「そうなんですか」

「私の家は共働きだったので。一応兄と妹がいるんですけど、兄とは十も歳が離れてて、私が六歳のときに、遠くの高校にスポーツ推薦で入学したんです。それ以来全然会ってないので、今どこで何をしているのかも知らないぐらいなんです」

「そうなんですね」

「それで、私はずっと二つ下の妹の面倒を見て、母が作り置きしたご飯を一緒に食べてたんです。だから、両親と兄、私と妹で食卓を囲んだっていう記憶はないんです」


どことなく悲観的に語る百井だが、荻野は単調に相づちを打つだけだった。


「妹は何でも一人でやれるタイプだったので、五歳ごろになったら私と遊んでくれなくなりました。そんな私の相手をしてくれたのがテレビで。齧りつくように観てたんですよ。しかもドラマだけ。だからか、小学生のころから、将来は俳優になるんだって、ずっと言い続けてました。それで今に至っています」

「でも、夢は叶えられたんですね」

「そうなんです。芸能界入ったのは高校二年生のときなので、だいたい十年経ったんですけど、中々芽が出なくて。ただ今年の秋に航海を予定している映画とか、色んな所からオファーが来てるので、前進できそうなんです。だから、今が頑張り時なのかなって」


 百井の映画出演の話を耳にした金子は、いちファンとして黙っていられず、二人の会話に口を挟む。


「百井さんっ、それって情報解禁前ですよね?」

「そうだよ~」

「部外者に口外してもいいんですか?」

「本当は内緒ですよ? だから情報が出るまでは誰にも言わないでね~」

「それは、もう、当たり前じゃないですかぁ! 百井さん、私、絶対誰にも言いませんから! 約束します!」

「よろしくね、ミサちゃん。荻野さんも、よろしくお願いしますね」


 百井は上目遣いで荻野に伝える。どういう表情で返事するか迷った荻野は、結局「分かりました」とあっさり答えた。もう一度百井はそれぞれと目線を合わせたあと、野菜ジュースを入れていたコップをシンクへ持って行く。そのときに鳴る足音は、どう考えてもスリッパのサイズが合っていない音だった。


「あっ、そうだ。私、荻野さんに訊いておきたいことがあるんですよ」

「何でしょうか?」

「平日とかって、料理はみなさん個人で作って食べてるんですか?」

「個人で作って食べるときもありますし、誰かが代表で作っておいて、好きな時間に食べることもあります」

「なるほど」


蛇口から水が出される。若干百井の声が聞こえにくくなる。


「でも、金子ちゃんと猛は比較的自分でご飯作ってるかな」

「そうなの?」

「はい。作ってもらったうえに荻野さんや類以君を待たせるわけにはいかないので、自分が食べる分だけ作ったり、あとは残しておいてもらったりしてます」

「でも、そのお返しみたいな形で、金子ちゃんの仕事が休みのときは料理作ってくれたりするからね」

「そうなんですね。じゃあ、私も荻野さんやミサちゃんにお願いしてたら、作ってもらえたりします?」


都合よく蛇口を止めた百井。相手の都合を考えずに発言することに、図々しさを感じた荻野だったが、金子は口角を上げて嬉しそうにする。


 金子は百井の願いなら、と張り切っていた。その金子の顔を見て、百井はほんの一瞬だけ目から光を消した。何事にも一途な思いで取り組んでしまう金子。そんな金子のことを荻野は心配していた。


あまりにもピュアすぎるあまり、外の世界について知らなそうで、意外と身近な人に危険な人物が潜んでいるかもしれないということを伝えなければならないと感じている。金子が百井に介入しすぎれば、いつかタンポポの綿毛みたいに、簡単に散ってしまうだろう。金子と血縁関係にあるわけでもないし、年齢が離れているわけでもないが、どうしても教師としての血が騒ぎ、金子のことを気にしてしまう。そんな自分のことが、荻野は少しだけ嫌いだった。

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