第11話
十七時を告げるチャイムが近くにある町のスピーカーから流れてきた。共鳴するように外ではカラスが濁声を轟かせ、中では鳩が可愛い声を響かせる。
「類以、今日の夕ご飯うどんでもいい?」遊び場で一人楽しそうにしている類以に話しかける。すると類以は手に持っていたぬいぐるみを放り投げ、甲高い声を出した。
「じゃあうどんで決まりね。ママもう少し料理してないといけないから、そこで遊んでてよ。ご飯食べ終わったら、一緒に遊んであげるからね。もう少し待っててね」
その一言で口元を緩め、目を細めて嬉しそうにする類以。荻野は、この笑顔のために日々頑張っているのだと痛感した。
チャイムが鳴り終わると同時に降りてきた金子。両腕を伸ばし、長い息を吐きながらリビングへと入ってきた。
「金子ちゃん、お疲れ様」料理中の荻野が金子に話しかけると、「荻野さん~、さすがに疲れました~」といって、大胆に両手を広げながらソファに寝転ぶ。
「体力ある金子ちゃんが疲れるだなんて、相当だね」
「百井さんの荷物が思いのほか多くて。しかも、細かな指示ばっかり私に言ってくるのに、百井さんは荷物出すだけで片付けようとしないんです。活動量的には、私のほうが圧倒的に多いんですよ!」
「そうか」
「しかもですよ! 服だって出すだけ出しておいて、結局ハンガーに掛けるのは私。しかも掛けかたとか並び順とか全部に拘りがあるみたいで、少し違うと小さな文句を言ってくるんです。そんなこと言うなら、自分がやればいい話じゃないですか」
「そうだね」
嘆く金子。その話を訊くだけでげんなりする荻野。この先もそういうちょっとしたことで言い合いになりそうな未来が待っていると思うだけで、二人の頭は重くなる。
「確かに。それは疲れるね。でもよく頑張ったと思うよ」
「ありがとうございます」金子は自然体で笑う。ただ、瞳は疲れ切っていた。
「手伝いますって意気込んだのは良かったけど、百井さん何か勘違いしちゃってるみたいで。でも何も言えなかったんですよね」
「どうして?」
「私が少しでも頑張れば、百井さんが楽できるのかなって思って」
「なるほどね・・・」
荻野は料理をする手を一時止めてしまった。一昔前の自分を見ているようで、だんだん胸が苦しくなっていく。
「私が好きな作品に出てる俳優さんが目の前にいて、どれぐらいの期間か分からないけれど一緒の屋根の下で暮らすことができる。そのことが嬉しかったんですよね」
「うんうん」
「あの当時の私は、今思えば恥ずかしいぐらい舞い上がっちゃってて。それで―」
「金子ちゃん、私から一つ言いたいことがあるんだけど、いいかな?」
金子が話している途中で、荻野は我慢できずに口を挟んだ。普段、相手が話している中で自分からその話を遮るなんてことはしないが、今回だけはどうしても無理だった。理性が、言うことを聞いてくれなかった。
「はい」
「金子ちゃんさ、百井さんに対してそこまでこだわらなくていいっていうか、
「え?」
「我執しちゃってると、その人の悪い部分を見て見ぬふりをすることになる。それに、百井さんに金子ちゃんのすべてをささげようとしたら、金子ちゃんの優しくてピュアな心が壊れる。だからさ、程よい距離感を保ったほうがいいよ?」
思いも寄らぬところを突かれ、金子はハッとした。その刹那、長い夢から覚めたような感覚に陥った。
「それもそうですね。私が馬鹿でした。私が今日したことって、百井さんのためにならないですもんね。自分で片付けないと、あとで困ることになりますもんね」
「金子ちゃん・・・」
「今日以降、百井さんにこだわることはやめます。これからは、百井さんのことを一人の住人として接することにします」
荻野は頷いてから、「そうだね」と優しく相づちを打った。
類以は二人が話している間、ずっと黙ったまま静かに座り続けていた。何か悪さをしているということもなく、ただ一人、お気に入りのぬいぐるみをぎゅっと抱き続けていた。澄んだ瞳は寂し気だった。
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