第10話

 小窓から出てきた真っ白な鳩が十三時を告げる。ほどなくして、新たな住人である百井夢花が、ピンク色の大きなキャリーケースとチョコレートのような色をしたトートバックを手に、シェアハウスへとやって来た。


「改めまして。本日から入居します、俳優をやらせてもらっている百井夢花ですっ。どうぞ、よろしくお願いします!」


 挨拶から、もうすでに可愛い子ぶる感じを全面に押し出す百井。嫌悪感を抱きつつも、それを隠して荻野が百井の目を見て挨拶をする。


「私は荻野茉菜です。あっ、でも猛と結婚しているので、苗字は槙野なんですけど・・・」

「槙野さん・・・、それだと被っちゃうのか。えっとじゃあ旧姓の、荻野さんってお呼びしてもいいですか?」

「はい、それでお願いします。私は百井さんって呼ばせてもらいますね」

「分かりましたっ。こちらこそ、よろしくお願いしますね。荻野さんっ」


 細い手を差し伸べた百井に、少しだけ困惑し、愛想笑いしながらも荻野はその手を握り返す。


「私は金子ミサです。今デザイン会社で働いています」

「へぇ! デザイン会社・・・、そうなんですね! すごいです」

「いえ全然。そんなことないですって!」

「ふふっ。あっ、えっと何てお呼びすれば・・・」

「百井さんよりも私は年下なので、何て呼んでもらってもいいですよ」

「そうなの? じゃあ、ミサちゃんって呼ぶねっ」

「ありがとうございます! もう名前呼んでいただけるだけで幸せです!」

「ふふ。お願いします、ミサちゃん」

「百井さん! こちらこそ、今日からよろしくお願いします!」


 荻野動揺に手を伸ばしてきた百井。金子は緊張のあまり手が小刻みに震えていたが、そのまま握手をする。金子は今にも崩れてしまいそうな感じで、その場に立ち続けていた。


「えっと・・・、オーナーから部屋の配置とかについては既に説明を受けられたんですよね?」

「はい。あ、そうだ。住人の皆さんに確認しないといけないことがあったんです!」


百井は手帳とボールペンを取り出し、ぱらぱらとページを捲っていく。


「何ですか?」そう荻野が問うと、「あの、プライベートはどこまで干渉しあってるんですか?」と百井が、純粋な瞳で尋ねる。


「え、プライベート・・・、ですか?」

「だって、リビングやお風呂、トイレ、洗濯機などは共用ですよね? だから、順番とか使い方とか個人によっても違うから、どんな感じなんだろって疑問を感じてて」

「基本的には使う順番などは決まってないです。ただ、自分専用の食べ物だったり小物だったりには苗字でいいので書いてください」


荻野の発言内容を事細かにメモしていく百井。丸みを帯びた字だった。


「了解ですっ! あとで作業しますね」

「あとは、そうですね・・・。普段からみんなラフな感じで過ごしているので、気になることがあれば、その都度訊いてもらって構いませんよ。誰かしらが答える形はとらせてもらいますから」

「ありがとうございます。じゃあ、早速なんですけど、気になることがあるので訊いてもいいですか?」

「はい」


手帳から視線を移し、パッチリとした目で荻野のことを凝視する。そして、可愛い感じで疑問を投げかける。


「あのぉ、類以君って本当にお二人のお子さん、なんですよね?」


百井の、妙に魔が差すような雰囲気の発言に対し、荻野は自分の生唾でむせてしまった。


「はっ、はい? どういうことですか?」

「類以君は槙野さんと荻野さんのどちらにもあんまり似てないですよね? だから、もしかしたら施設育ちの子とか、どこかから拾って来たのかなって。フフッ。まぁそんなことないでしょうけど。でも、実は入居前の見学に来たときからずっと気になっちゃってたんです」


 特に意図もなさそうな質問に、荻野も金子もどう答えていいか分からずまごつく。その様子を見て、百井は取り急ぎ言葉を紡ぐ。


「あっ、私ったら・・・。すいません。類以君はお二人のお子さんで合ってますよね。違うわけないですよねっ。えへへ」

「あー、いえ。確かに言われてみたら類以と似てないですよね」


荻野は愛想笑いするしかなかった。視線の遣りどころに迷った金子は、一時間前に引っ越し業者によってリビングに運び込まれた段ボールを見つめた。それに気づいた百井。「段ボール、邪魔・・・ですよね」と金子の顔色を窺うようにして訊く。すると金子は案の定、「そんなことないです」と首を横に振る。


「私、今から部屋に行って、頑張って荷物出してきますねっ。あ~、でも今日はベッドじゃなくて床で寝ることになるんだろうなぁ。痛いよね、ハハッ」


一人で笑い完結させようとする百井に、金子は空かさず救いの手を差し伸べる。


「良かったらお手伝いしましょうか?」

「えっ、いいの!」

「はい」

「ありがとうっ! めっちゃ助かる!」


 大袈裟なほどに手を叩いて喜ぶ百井。荻野は百井に対して苦手意識を持ち始めていた。


「金子ちゃん、夕飯は私が作るから安心して」

「お願いします」

「百井さん、夕食は十七時半に食べる予定なので、時間になったら降りてきてくれますか?」

「はーい。了解ですっ!」


少し不機嫌そうながらも返事をする百井。金子が空気を変えるように手を叩き、「じゃあ、お部屋に行きましょうか」と廊下の先にある階段を指差す。百井は頷き、何が入っているか分からないが、新品に見えるキャリーケースを重たそうに持ち上げる。その様子を見た金子が、「良かったら、キャリーケース運びますよ」と声をかける。その瞬間に手を離し、「ありがとう。じゃあ、お願いするね」と笑顔を向ける百井。金子は元気に返事をするが、荻野は百井の本性を垣間見たような気がして、少し身震いした。


 金子はキャリーケースを大事そうに、でもやっぱり重たそうに持ち上げながら、百井と一緒に二階へと上がって行く。一階に残った荻野は、大きく眺めの息を吐いた。


 二階からは賑やかな声が聞こえてくる。類以は聞きなれない声に耳を傾け、母親が怪訝な顔をしていることに対し、不安そうな表情を浮かべていた。そんな類以に対し、荻野は「大丈夫だよ。ママとパパが類以のこと守るからね」とやさしく呟いた。

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