第6話
玄関とリビングをつなぐドアのすぐ横に段ボールを置いた飯田。プレゼントが隠されているソファには目もくれず、一目散にダイニングチェアーに腰かける。
「おっ、うまそうじゃん」
「ですよね。槙野さんの料理、美味しそうですよね」
「味は保証しませんよ。冷蔵庫にある食材使って、即席で作っただけなんですから」
「いいよいいよ。食べりゃ一緒だからさ」どこか適当な作り笑いを浮かべて答えた。
食卓には類以の朝食も含めて、色鮮やかな料理がテーブルの上に並んでいる。
「お待たせ、類以。ご飯できたから食べるよ」荻野が優しいトーンで話しかけると、椅子に座ったまま手を挙げて返事をする。類以の唐突なる挙手と返事に、大人たちの頬は緩むばかりだった。
「揃ったところで。飯田さん、最後お願いします」
「おう。よし、じゃ手を合わせて。いただきます」
「いただきます」
槙野が作ったポトフを、誰よりも先にスプーンで掬い口に運んだ飯田。その瞬間に「おっ」と声を漏らす。
「もしかして、不味かったですか?」
飯田の表情を伺い知ることができず、槙野は恐る恐る尋ねた。しかし飯田は何も答えず、二口目、三口目と次々にポトフを食べ進める。
「飯田さんが黙って食べるってことは、美味しいってことなんじゃないの?」
飯田が何も言わない代わりに、荻野が槙野の目をみて伝える。本当にその通りだと思った。最後、飯田に美味しい料理を食べてもらうことができてよかったと、心の底から安心できた。
朝食は普段通りの時間で食べ終えた。荻野は自分の食事とともに、類以に野菜スープを少しずつ、冷ましながら飲ませる。最近自我が芽生えてきたとは言え、まだまだ甘えたがりの類以は、大人たちに負けず劣らずの輝く笑顔で、朝食の時間を楽しんでいるようだった。
食事の途中、飯田は類以の成長を傍で感じられなくなると嘆きの声を上げたが、槙野が「いつでも遊びに来てくださいよ。飯田さんのこと待ってますから」と言うと、その言葉に感動したのか、飯田は槙野に右手を差し出し、そして二人は熱い握手を交わした。その様子を金子と荻野、そして類以は笑って見ていた。
シェアハウスに残る三人は本絵を一切口にはしないものの、飯田が引っ越していくことに未だ寂しいという感情を拭いきれていなかった。飯田のことだから、熱い精神で大人三人のことも、そして類以のことも引っ張ってくれるものだと思っていた。でも飯田はその道ではなく、結婚して、彼女と二人で暮らす道を選んだ。楽しい時間は永遠には続かない。今日の朝食の時間は、その事実について、身をもって感じた瞬間だった。
「あーあ、食べすぎちゃったよ」飯田は椅子に凭れかかって、天を仰ぐ。
「飯田さんが一番食べてましたもんね」
「仕方ねぇだろ。食べる手が止まらなかったんだからさ。って、そういう金子ちゃんだって結構食べてたよね? 食べる量減らさなきゃって言ってたのに」
「それは・・・、美味しかったからですよ。何か駄目なんですか?」
「いや別に駄目ってことはないけど―」
金子の詰め寄る姿勢に、どんどんと仰け反っていく飯田。
「ほら、飯田さんも金子ちゃんも喧嘩しない」
荻野の、母親みたいな一面に俯く二人。そこに槙野が口を挟む。
「飯田さん、美味しいって言ってくれてありがとうございます。最後にそう言ってももらえて嬉しいです」
「まぁ、実際美味しかったから。食べるのは当たり前だし。残すの勿体ないし」
「ありがとうございます。金子ちゃんも、たくさん食べてくれてありがとね。嬉しかった」
「いえいえ。久しぶりに槙野さん手作りの料理が食べられて良かったです。また作ってください」
「任せといて」
金子は照れ臭そうに笑った。「引っ越す前に槙野の上手い、しかもまともな料理が食べれてよかった。もし不味かったら心配でここ出ていけなかったからよ」悪戯な顔でいう飯田。そこにまた金子が突っ込みを入れる。
「えっ、あんなお綺麗な奥さんが待ってるのにですか?」
「じょ、冗談だよ。まぁ兎に角、美味しかった。ごちそうさま」
最後まで飯田は冗談が好きな男だった。いつも飯田の冗談に振り回されてきた。早く終わればいいのに、と思っていた当時が、もはや懐かしい。槙野は、静かに雫を落とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます