第16話 廃病院と黒猫
高橋菜々子が行きたがっていた、「廃病院」。
そこは、栃木県内にあり、その筋では「有名な」場所らしい。
とにかく「圧倒される」と評判のその場所。
聞くと、高橋菜々子は、
「いや、一人で行くのはちょっとだけ怖いというか……。まあ、そんなわけで実は行ったことがなくてですねー」
と、言い出しっぺの割には、怖がっているようで、一度も足を運んだことがないと言う。
確か鬼怒川温泉で会った時、菜々子は「廃病院に行った」と言っていたが、あれは嘘だったとわかる。妙なところで見栄を張る子だと、美希は思ったが、そのくらいは「可愛い嘘」と割り切って考えた。
9月も中旬から下旬になり、ようやく猛烈な「残暑」が落ち着いてきたが、代わりに天気が悪く、曇りや雨の日が多くなっていた。
だが、ようやくバイク乗りにとっては「快適な」気候になったことで、山田万里香は心を動かされたというより、興味を持ったらしい。
「今度の日曜日に行くよ」
学校の教室では、ほとんど美希に話しかけない彼女が、珍しく直接彼女にそう言ってきた。
「う、うん」
何故だか、その時の万里香が怖い顔をしていて、少しだけ動揺していた美希は頷いた。
そして、日曜日。
いつもと全く変わらないが、北高崎駅で待ち合わせとなる。
今回は美希の方が早く着いて、駅前の駐輪場に自転車を停めて待っていた。季節はようやく長袖が活躍できる頃になっていたが、天気予報では曇り後小雨。
一応、美希は折り畳み傘と、バイクに乗るため、カッパというか、レインコートを持ってきていた。
静かなエンジン音と共に彼女、万里香が駅前に姿を現す。
さすがに、夏用ではなく、薄いライダースジャケットを着ていたが、どうやら中はメッシュ仕様になっているらしい。
もっとも、今回は山に行くわけではないので、この服装でもそうそう寒いということはないだろうが。
美希は、一応、春秋用のジャケットを着てきていた。
「じゃあ、行くよ」
バイクのシートを指差し、「乗って」と促している彼女に、美希は尋ねた。
「いいけど、どこに?」
「ああ。また、道の駅だけど、今回は、道の駅たかねざわ 元気あっぷむらってところらしい」
「へえ」
聞いたこともない地名に、美希は頷くしかない。
(もうなるようになれ)
正直、廃病院と聞いて、行くのを
北高崎駅から、その道の駅までは、前回までのような山越えルートでも行けるが、今回、万里香は街中を通るルートを選択した。
つまり、国道354号から、国道50号を経由。栃木県
道はそれほど混んでいなかったが、信号機が多く、結局、休憩を挟んでも4時間近くかかって、昼頃にようやく道の駅に到着。
もっとも、菜々子との待ち合わせ時間には間に合っていた。
「どもども、先輩たち」
相変わらず明るい彼女は、「先輩」とは言っても、学校も住んでいる県も違うのに、礼儀正しいというか、気さくだった。
「お待たせ。ここからは任せるね」
万里香に言われ、
「了解でーす」
菜々子は、勇んで自らのセローにまたがって先導する。
(全然休んでないじゃないか)
シートにまたがっているだけとはいえ、長時間座って、尻が痛く感じていた美希は、せっかく道の駅に着いたのに、ロクに休憩もせずに再度出発する万里香に、不服だった。
その噂の場所はそこからほど近い、
その場所は、唐突に現れた。
セローを停めた、菜々子。
続いて、グロムを停めて、エンジンを切った、万里香。
ヘルメットを脱いで、思わず発した彼女の一言が、
「これは、すごいな」
だった。
外観は、まさに「朽ち果てた」森の中に
元々、木目調の色だったであろう、木造建築物は劣化から黒ずんでおり、入口の上には小さな豆電球がぶら下がり、切妻屋根を持つ、瓦屋根の木造平屋だったが、窓は縦長の洋風建築で、玄関の上にある三角形のガラスの窓が、どこかオシャレに見える。
「通称、S医院。確か建てられたのは、大正何年とかだったはずです」
可愛らしい声で、すごいことをさらっと言ってのけた菜々子に、
「大正! 100年以上前じゃないか」
万里香が大袈裟に驚いていた。
そして、驚くべきことに、この建物の出入口は完全に「オープン」になっていた。というより、すでに窓ガラスはいくつか割れており、玄関のドアが外され、内部は荒らされたような形跡があった。
つまり、「いたずら半分で侵入する」、連中が多いのだろう。
廃墟は、ある一定期間は、「立ち入り禁止」などの看板が立てられたりするが、ここのように完全放置となると、そんな物は意味をなさなくなる。
実際、ずけずけと建物の入口から中に入っていく万里香、それに続く菜々子。最後に恐る恐る美希が続いた。
「うわあ」
菜々子が驚きの声を上げる。
中は、完全に放置され、というよりも「荒らされて」いたからだ。
というよりも、そこには彼女たちが、一度も見たことがないような物が転がっていた。
見たこともないような、年季の入った回転椅子。今ではどこに行っても見られないような丸い瓶詰めの薬。明らかに「昭和」と書いてあるカレンダー。見たこともないような、金属製の医療器具。
さらには、紙のカルテまでが残されてあり、そこにはドイツ語っぽいアルファベットが書かれてあった。
「すごすぎる。こりゃ、廃墟マニアが来るわけだ」
万里香は感動のあまり、あちこち見て回っては写真を撮っており、菜々子もまた、自由闊達に歩き回って、そこらじゅうの物を手で触れたりしていたが、一方で美希だけは気が気ではなかった。
(二人とも、怖くないの? ここ、めっちゃ雰囲気出てて、お化け屋敷みたい)
と、後ずさるというより、ひるんでいた。
その時だ。
―ガタッ―
彼女たち以外、誰もいないはずの、その廃病院から物音が響いた。
「ひっ」
思わず変な声を上げていたのは、美希だったが、実は万里香も菜々子も驚いて物音がした方を恐る恐る凝視していた。
いくら廃病院とはいえ、こんな真昼間から幽霊など出るだろうか。
そう思って、目を向けていると。
「にゃあ」
物陰から出てきたのは、真っ黒な猫だった。
「びっくりした。おどかすなよ、お前」
と万里香が近づくと。
「ふにゃあ」
その猫は、何故か真っ先に万里香の足にすり寄って、頬ずりするように甘えてきた。
「廃病院に黒猫。もう不吉な予感しかないじゃん」
思わずそう突っ込んで、人一倍暗い顔をして、さっさとここから立ち去りたいとさえ思っていた、美希。
しかし、
「それは違いますよ、美希センパイ」
制したのは、意外にも菜々子だった。
「えっ」
「黒猫が不吉とか、魔女の使い魔って言われるのは、西洋がそうだからで、日本では関係ないんです」
「そうだぞ、田中さん」
万里香は、いつの間にか、ここに住み着いたと思われる野良猫の黒猫を拾い上げて、抱いていた。
「そうですか? でも、黒猫って、目だけ黄色いからちょっと不気味ですよね」
尚も、黒猫を警戒するように呟く美希に、万里香は普段、見せないような笑顔を猫に向けながら反論していた。
「そんなことないぞ。黒猫って、実は猫の中じゃ、ものすごく人懐こいんだ。可愛いだろ」
「そうですよー。確か世界中に『黒猫の日』ってのがあるらしいんですよ。日本じゃ、三毛猫の方が有名ですが、黒猫のオスは特に人懐こくて可愛いんです」
今度は、菜々子まで万里香に近づき、その黒猫を触っていた。
「二人とも、随分慣れてるね」
「あ、私は猫好きだから」
「私も。実は家で猫飼ってますし」
と、二人の意外な反応に、美希は溜め息を突きながら、仕方がないから黒猫に近づいて、手を出した。
その途端、
「にゃっ!」
美希は、その黒猫に軽く手を引っ掛かれ、猫は抱かれていた万里香の手から離れ、足早に去って行くのだった。
「あーあ。田中さんだけ嫌われたな」
「そうですよ。黒猫の悪口言うからですよ」
「何で私だけ……」
結局、廃墟となった、廃病院を見学し、黒猫と触れ合うだけのツーリングになっていた。
季節は進む。すぐに10月になり、また次の廃墟が彼女たちを待っていた。
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