第六歩 普段とそれ以外

 風呂から上がると母が夕食を準備してくれていた。

「今日は唐揚げだよ、張り切っていっぱい作ったんだから」

 楽しそうな母とは対照的に私の心は一気に曇った。


(私、最近ちょっと太り気味なんだけどなぁ…)


 しかし、母の気持ちを踏みにじるわけにはいかない。できる限りは食べないと。

 それにしても明らかに作り過ぎであるのが難易度を上昇させている。


「あ、ありがとう…美味しそうだなー…」

 必死に自分を言い聞かせる姿が見苦しさの塊であることを否定出来ない。

 そんな自分に心の中でツッコミつつも、これはキツい…


「いただきます...」

 恐る恐る唐揚げを口へと運ぶ。


 サクッ ジュワッ


 お、美味しい…

 衣はしっかり揚げられているのに、中の鶏肉は旨味を損なわず、柔らかい。

 溢れ出る肉汁とも相まって昇天してしまいそうだ。


 無意識のうちに箸が次の唐揚げを取ろうとしている。脳ではダイエットをしなくてはと思っていても、身体がそれを求めている。


「あれぇ?かなちゃんさぁ、ダイエットするとか言ってなかったっけぇ?」

その一言ではっと我に返る。


 見ると、私が夢中になって唐揚げを頬張っているのを見ていた姉がニヤニヤと笑っている。


「いや、べ、別にこのくらい余裕だし?普通に痩せるし?」

「ふうん...?」

 本当に意地の悪い姉だ。だが、これを食べない手は無い。というか食べなくては。

 悔しいが今日はこの欲に屈するとしよう。

 今日くらいは大丈夫だ、きっと。


「そういえば奏、今日凄く雨降ってたけど、荷物とかは大丈夫だったの?」

母が話題を逸らそうと聞いてきた。

「あー、うん。傘入れてもらったから」

「それって男の子に?」

姉の唐突な質問に一気に顔が赤くなる。


「へぇ、流石は私の妹だねぇ」

 さっきよりも愉快そうに笑う姉はいつにも増して楽しそうだ。

「別にそういうのじゃ無いから!ただ…親切な人だっただけ」

「はいはい」

 軽く流す姉に呆れつつも、私は自分の言ったことに引っ掛かりを覚えていた。


 、か。


 いくら気に食わない人でも受けた恩に変わりはない。明日ちゃんとお礼を言おう。



 昨日の雨が嘘のように、今日は快晴だ。

 湿気が無ければ良かったのだが、そんな甘えたような事は言えない。

 照りつける太陽に呼応するようにアスファルトは陽炎かげろうを作り出し、森林のざわめきに呼応するようにセミ達が一斉に鳴いている。


「あっつ…」

 夏を感じるも、余りの暑さに気は重い。


 少し高い丘に位置する学校は帰りは楽だが、行きは地獄である。

 この辺りの土地は田舎とも都会とも言えぬ、なんとも微妙な街なのだ。電車を使えば直ぐに都会に行けるが、街から少し離れれば田んぼと山しかない所に出る。


 この土地の利点といえば、少しばかり海との景観が良くて観光客がたまに来ることぐらいだろう。


 学校に着き、下駄箱へと向かう。

 そこには杏奈と桃香の姿があった。


「おはよー」

「うん、おはよう」

「今日も暑いな」

 そんな他愛もない会話で私は昨日までの出来事が嘘だったんじゃないかと思う。

 あまり思い出したくもない事だけど、それでもやはり現実だったのだろうと一人落ち込む。


 教室はいつも涼しいので助かる。

 ハンカチで汗を拭き、席に着く。前の席には勿論彼が座っている。

 一応彼にはお礼を言っておきたいが、今の私にはその勇気が無い。本当に自分には嫌気が指す。


 授業はいつも通りに倦怠感に苛まれながら受けた。


 放課後は部活も無いのでいつも早く帰っているのだが、勉強が得意ではない私は渋々残ることを決意した。

 外はまだ日も落ちていない。昼間のように明るい放課後の教室で勉強をする。

 流石に今日は雨も降らないだろう。それに、今日は杏奈と一緒だ。彼女は私と違って頭が良いので教えるのも上手だ。


「わかんないなー」

「大丈夫、かなではそこそこ理解力あるでしょ」

「それ、褒めてんの…?」


 誰かと一緒というのは楽しいものだ。たとえそれが勉強だったとしても。


「ごめん、先帰るわー」

そう言って杏奈が席を立ち上がった。

「おっけー、んじゃ私は図書館にでも行って勉強を」

私も席を立ち上がり、荷物をまとめる。


 まだ帰るには時間が早い私は普段立ち寄らない図書館へと向かった。


 きっと、それがいけなかった。


 図書館に入り、席を探していると「彼」の姿があった。

 私は静寂に包まれた空間の中、出来るだけ足音を立てないように慎重に座れる所を探した。


 ちらっと彼の方を見ると、彼もまた私の方を見ていた。


 普段と違う事なんてするものじゃないと、深く確信した。

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