第三歩 虚栄と優等生


─ 庵視点 ─


 俺…いや、僕はちゃんと高校生活に溶け込めているだろうか。

 優等生を演じ続けるのは至難のわざだ。どこかで必ずほころびが出る。そうならないためにも、僕が僕であり続けるためにも演技を続けなくては。


 僕は感受性が人よりも強く、相手が何を考えているのかは大体分かるし、人の目をどうしても気にしてしまう。


 その原因はきっと僕の父親にある。


 幼い頃は良かった。まだ母が元気だったし、父も穏やかでとても和やかな家庭だった。

 でも、僕が小学校3年生の時に母は精神に異常をきたしてしまった。


 うちの家庭は和やかなものではあったものの、決して裕福では無かったのだ。

 母は色々な仕事をパートとして勤めながら、僕を愛してくれていた。

 僕もそんな母が好きだった。


 彼女は勤めていた仕事先で良く職務ができた。いや、できすぎた。

 言われた仕事は勿論のこと、急なシフトでも嫌な顔一つせず入り、夜勤も難なくこなした。いつしかどの職場でも「あの人がいれば大丈夫」と上司の間で囁かれるようになった。


 でも、それを良く思わない人達も勿論もちろんいた。

 次第に上の立場の人間に悟られぬような嫌がらせが始まり、それは悪質なものへと変わっていった。


 母もずっと耐え続けていた。僕がちゃんと一人の人間として生きていけるようにと、毎日、毎日、毎日…。


 そしてある日、母がいつものように帰ってくるのが二階の窓から見えた。僕は今日学校であった事を話そうと玄関で迎えようとしていた。


 だが、母は玄関のドアを開けるなり、青白く覇気の感じられない顔を見せたかと思うといきなり重力に従って勢いよく前方に倒れた。


 僕は驚いて駆け寄り、母の肩を何度も揺すった。あまりにも突然のことでパニックに陥っていたが、この後どうすれば良いのかは幸い頭の中にあった。

 すぐに母のカバンからスマホを取り出し、震える手で119番に電話をかけた。


 ろくに舌の回らない口で何が起きたのかと住所を必死に説明し、救急隊が到着したのは僅か10分だった。

 たった10分の中で僕は永遠とも言える地獄のような時間を過ごした。とにかく無力で何もできない自分を呪い続けた。


 母は搬送先の病院で一命を取り留めたものの、深刻な鬱病だと診断された。その頃から母は今に至るまでずっと入院している。


 そして母が入院したのと同時期に父もまた変わってしまった。


 父は僕に「完璧」を求めるようになった。学校の成績でも私生活での振る舞いでも全てにおいて完璧を重視するようになった。


 僕は父に逆らえなかった。

 毎日が勉強漬けになり、遊びに行くのも父に許可を取らなければならなくなり、友達との喧嘩などもっての外だったのだ。


 僕は次第に小学校、中学校で孤立していった。友達も限られ、新しい友達を作る気持ちも無くなっていた。


 それでも小学校からの友人には、

「お前はもっと楽しいやつにならなきゃいけない。だから、死んでも友達をもっとたくさん作れ」

と言われた。


 僕は高校生になり、友人の力を借りてどうにか人気者の優等生を演じようと努力した。入学して二ヶ月で皆から慕われるようになったのはとても嬉しかった。


 でも、退屈だった。


 人間関係を築いていく上で話す話題は家で色々と調べた。共通の話題や流行について知っていることは友達作りに欠かせないからだ。

 それでも、接点の無い人と話すのはあまり得意ではない。どうしても言葉を探そうとして話が続かなくなってしまうから。


 だが、彼女は違っていた。


 高校に入って初の席替えがあり、僕は窓際の後ろから二番目の席になった。隣は僕の友人だったから少し安堵した。


「私、赤井君とは話したこと無かったよね?これからどうぞよろしく!」


 突然後ろから声が聞こえ、驚きで咄嗟とっさに言葉を発することが出来なかった。


「えっと、、あの……うん…」



 これが彼女、橘奏との、初めての会話となった。

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