24:一髪千鈞☆カツラーマン

 【一髪千鈞[いっぱつ-せんきん]を引く】

 髪の一本で千鈞(約6.3㎏)を引くことから、不安定で危険であることのたとえ。


 §


 彼は過去を忘れ、新しい人生を歩みだそうとしていた。

 つらく、悲しかった頃の記憶にふたをするように新たな頭髪を乗せて、自然なツヤのように輝く未来をつかみ取ろうとしているまさにその日だった。

 彼はその頭皮にカツラを載せている。オーダーメイド258万円の逸品を。


「新婚旅行、楽しみね。カズさん」

「まだ籍を入れてないけど……そうだね、とても楽しみだよ、ヒロコさん」

「帰ったらその足で役所に行くんですもの。気分は新婚じゃない? 幸せよ、わたし」


 タヒチへ向かう国際線の中、穏やかにほほ笑むヒロコの隣で、カズは泣きそうになるのをなんとか堪えていた。ようやく人並みの幸せが手に入るのだと思い、いまにも快哉を叫んでしまいそうだった。

 あふれる喜びの感情を押さえて、不自然にへにゃげた口元を隠しながら「僕も、幸せ」と返すのが精いっぱいだった。


 だが。

 最も幸せに近づいたときにこそ、絶望の淵はすぐ近くにある。


「この飛行機は俺がジャックする!!! 全員手を頭の上で組んでかがめぇッ!!」


 怒号。すぐさま銃声。

 スキンヘッドのガラの悪い男が、血走った眼を機内に走らせる。


 カズは髪を強く押さえつける。そうそう簡単にずり落ちるものではないが、彼にとって大切なものであると同時に秘すべきものでもある。思わず力が入ってしまうのも無理からぬ話だった。


 ――僕は、幸せになりたいだけなのに……!


 隣を見れば、ヒロコが震えている。


「この便の行先はこっちが決める。いいな」


 有無を言わせぬ悪の言葉。異議を唱えようと乗客の一人が腰をあげたが、返答の代わりに銃弾が客の頬をかすめた。機内の空気はさらに緊張感を増していく。


「いやよ、こんな……。誰か、助けて……!」


 ヒロコの掠れるような声を聞き、カズはハッとする。

 今、目の前で恐怖に震える人を見捨てることはできない。己の秘密を晒してしまうことになろうとも。


 助けを求める声がある。彼には、それを救う力がある。

 何も、何も迷うことはない。


「ウィッガー・オフ」


 カズは決意を胸に静かに立ち上がりながら呟く。

 手でしっかりとカツラを掴み取り、高々と掲げる。


 塵一つ載っていない彼の頭皮は光っていた。物理的に。だいたい5000ルクスくらい。軍用機のライトと同じくらいね。


「チェンジ! カツラーマン!!!」


 光の中でカズが叫ぶ。

 手荷物の中から変身用のカツラを探して装着する。いやもう単純にまぶしすぎて誰もその様子を視認できていないだけなんだけども。


 怒髪天を衝くような黄金のカツラを載せ、ようやく光は収まった。


「お、おとなしくしてろって言っただろうが!!」


 銃口が的確に彼をとらえる。発射された凶弾はしかし、先ほどパージした通常のカツラで弾く。さすがオーダーメイド258万円。強い。


「抵抗は無駄だ。おとなしくしろ!」

「うるせぇ! ナンだてめぇ!」

 口の端をにやりと上げ、装着した逆立つ金髪を撫でて彼は言う。


「髪はながぁーいトモダチと書く!! 一髪千鈞! カツラーマンだ!!」

「ワケが分からねえ!! 聞くんじゃなかった!!」

「そうやってつむじを曲げるんじゃない」


 錯乱したハイジャック犯は銃を他の乗客に向ける。怖いよね。ハゲが急に別のカツラ被ったら。


「いかん!! これは間不容髪! ウィッガーオフ!」

「ぐぁぁぁ!! 目が、目がぁぁァ!」


 ゴールデン怒髪天なカツラを外して再び光る。そして取り出したのはまた別のカツラ。外すならなんでつけたのゴールデン。

 ちなみに間不容髪かんようふはつは、非常に差し迫ったさま、を表す四字熟語だ。


「ウィッガーオン! 勇気のカツラ、モヒカーン!!」


 説明しよう!!

 カツラーマンはカツラを交換することにより、カツラに施された超微細ナノマシン針を頭皮から摂取してさまざまな力を発揮することができるのだ!!


 半泣きで乱射されるハイジャック犯の銃弾を、マッハ0.94で機内を走り回りすべてモヒカン部分で受け止めていく。モヒカンだからできるのだよ。


「あ、あぁぁ、あ――」


 得体のしれない存在を前に、恐怖に崩れ落ちるハイジャック犯。

 ふわふわのモヒカンから落ちる弾が彼の足元に転がった。


 §


 タヒチに着いた機内から乗客が解放され、ハイジャック犯が泣きながら現地警察にすがった。


 これにて解決。カツラーマンはみんなを守ったのだ!!

 通常カツラに戻してヒロコを探すカズ。


 彼女は帰りの便の搭乗ゲートにいた。


「ヒロコさん?」

「ごめんね……わたし、ハゲだけはダメなの! まだ籍入れてないから大丈夫よね!! それじゃ」

「ヒロコさん! 待って、ヒロコさん!!」


 ――やっぱり僕は幸せになれないのか!? こんな、こんな力のせいで……!


 すがるように伸ばした手は虚空へ。その手は一髪をも掴めなかった。


 がんばれ、カツラーマン! 負けるな、カツラーマン!!

 カツラごと愛してくれる人が現れるその日まで!!


【完】

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