22:駅のおじさん
新発売のキャラメルフラッペを味わうアオイを、マリンとメイが見つめる。
「ねえ、アオイ。聞いてる?」
「え、うん」
「だってこんなこと、アオイにしか頼めないんだもの」
最近、駅に女子高生限定で「何でも買ってくれるおじさん」が出現するらしい。そんな噂を聞きつけたマリンとメイが、アオイに「確かめてほしい」と持ちかけた。
「私の制服貸すからさ。セーラー服、着てみたいって言ってたじゃん?」
女子高生、セーラー服、何でも買ってくれる……。ずらりと並んだ魅惑のワードに。奢ってもらったキャラメルフラッペの甘さに。アオイはすっかりその気になっていた。
マリンとメイの手で、美少女が作られていく。「どう?」と鏡を見せられたアオイは「わあ……」と感嘆の声をあげた。いつも淡い色のパーカーとスキニージーンズで目立たないように過ごしていたアオイが、今日は強気の白ギャルメイクを施され、憧れのセーラー服を着ている。「すごい」と呟いてアオイはじっと鏡を見つめた。生まれ変わった気分だった。初めてのセーラー服にどきどきしたが、自分のことなど案外誰も気にしていないことにアオイは安堵していた。マリンとメイに見送られ、アオイはおじさんを目指した。
飛び跳ねる心臓をなだめながら、アオイは小さな声でおじさんに話しかけた。おじさんは嬉しそうにアオイに応じた。しばらく何か話したのち、二人は西口付近のおしゃれな雑貨屋に入った。アオイは目を輝かせて店内を見ており、そんなアオイをおじさんが見ていた。時間にしてほんの十数分。出てきたアオイの髪には新しいバレッタ。ストーンがきらきらして三千円以上もする、自分では絶対に買わないような。買い物が終わるとアオイは礼を言い、おじさんに手を振って別れた。
「あっけなかったな」とアオイは思ったが、頭の上の小さな重みが現実を主張する。「親切なおじさんだった」アオイはそう思った。安心したとたん、トイレに行きたくなった。西口のトイレは古くて少し不気味で、あまり使う人がいない。素早く辺りを見渡し、人がいないのを確認してアオイは中へ飛び込んだ。急いで用を足し、手を洗う。ふとアオイは鏡に映る人影を見つけた。ぎょっとして振り返ると、そこにはおじさんがいた。
「えっ、うそ……」
アオイは口をパクパクさせた。おじさんが近づいてくる。心臓がばくばくして足が竦む。
「こんなトイレに一人で入るなんて不用心じゃないのか?」
目の前に、おじさん。体が動かない。
「君のことが心配なんだよ、ほら、こんなに可愛くて」
おじさんの手が伸びてくる。声が出ない。
「怖いことはないよ」
おじさんの影が覆い被さってきて、アオイはぎゅっと目をつぶった。
「網が見えてる、直したほうがいいよ……シュウジくん?」
目をつぶったアオイの耳元でおじさんが小さく囁いた。「えっ」とアオイは目を開ける。サっと血の気が引いた。目を見開くアオイに、おじさんは『
「自分でやるのは大変なんだろう? だからって店で直すわけにもいかないからなあ。ちょっと失礼するよ」
おじさんはアオイの後ろに立ってウィッグを整えた。アオイは俯いている。バレッタをつけるとき、アオイの手つきは慎重で緊張していた。ウィッグのキャップが見えたことにアオイは気づかなかったが、おじさんはそれを見逃さなかった。
「これで大丈夫だろう」
多少ぼさぼさだがキャップは隠せた。まだ顔を上げられずにいるアオイにおじさんは「髪飾り、よく似合うなあ」と言った。「それでいいんだよ」とも。ようやく顔を上げたアオイにおじさんは微笑んだ。
「いくら人が来ないとはいえ、早く出たほうがいい」
アオイははっとしてバッグを掴み、礼もそこそこに男子トイレを飛び出した。
外では
「蒼井、大丈夫だった?」
「うん、大丈夫」
「そんな恰好なのになんで多目的トイレに行かないのよ、ああ心配した」
蒼井は真凛と芽衣に「ごめんね」と謝った。思いきりバレてたし少し怖い思いもしたが、心の中はほんのり温かかった。買ってもらったバレッタは大切にしよう、と蒼井は思った。
真凛がスマホポシェットを、芽衣がお高めのハンドクリームを買ってもらった数日後、おじさんは駅から姿を消していた。代わりに新しい噂が広がった。家庭を顧みず仕事ばかりだったおじさんは、高校生の娘を事故で亡くしていた。その後離婚。娘に何もしてやれなかった自分を責めたおじさんは、退職後、同じ年頃の子供たちに何かしてあげることで少しでも娘への罪滅ぼしにならないかと考えた。怪しまれないようにいつも短時間で手早く物を買い与え、一か所に長く留まることはしなかったというが、真実は誰も知らない。
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