08:とりあえず

 やばい、やばい。

 どうしよう──。


 朝、目が覚めて一番にすること。

 それは、勉強部屋のベッドの向かいにある鏡台に向かってほほえみを映す、こと。


 今日もたくさんの人に、私の微笑みを届けるから。

 そのために笑顔のチェックをかかさない。


 なのに、なのに。

 どうしよう。


 やっぱり、クラスメートの彼、私の後ろに座ってる健司君の告白を断ったからかな?

 そりゃ、私だって、正直、彼のこと、大好きだよ。


 ハンサムじゃないけど、まじめで誠実で、いつも相手を思ってくれる。

 女子のおっぱいの大きさとスカートの短さや、野球選手とサッカー選手とバスケ選手の活躍しか興味のない、普通の高校生男子にはあるまじきレベルの男の子だもの。


 だけど、いくらなんでも、クラスの周りからはやし立てられて告白しちゃだめだよ。

 そんな薄っぺらい告白なんかで、「お付き合いします」なんて言えないよ。

 ちゃんと、校舎の裏や放課後の人気のない屋上で、二人きりで告白してくれれば、「お友達からなら」ってOKしちゃうのに。


 でも、そんな青春の心労が私の頭皮に影響したのか──。


 鏡の向こう側、微笑んでる私の頭頂部には、真新しい、十円玉状の円形脱毛エリアが出来ていた。

 そう、伝説の、幻の、あの、人呼んで「十円ハゲ」が。


  ◇


「スタイリストさーん、ちょっと、秘密のお願いがあるんだけどぉ……」


 今日はちょっと特別。

 まだメンバーが入る前に化粧室に先入りして、思いっきりスタイリストさんに両手を合わせて、お願いポーズをとる。


 そうしておもむろに、十円ハゲを隠すためにかぶってきた帽子を脱いで、スタイリストのお姉さんにどきどきしながら頭頂部をさらす。


「え! どうしたの、さつきちゃん。なんか学校でいじめとかにあったの?」


 彼女の十円ハゲを見て驚いたあとの笑い顔をひっしにこらえながら、でも、言葉には心配さが含まれているスタイリスト、そんなプロがそこにいた。


「うん、わかった。お姉さんにまかせなさい。さつきちゃんのアオハルの傷、私が完璧に隠してあげるからね」


 両腕をまくりながら、テンションを異常に上げるスタイリストさんは、衣装道具の袋をガサゴソとあさると青いウイッグを取り出す。

 それから、恐るべきスピードで、椅子に腰かけて緊張している彼女の頭頂部を修正すると、彼女に手鏡を渡して『自分で見てごらん』とウインクを返す。


「ほら、これで完璧だよ。どこから見ても例の場所は見えないからね。高校生女子の心の傷ぐらい、おねえさんのテクを使えばわけないのさ」


 彼女が手鏡で大事な部分をチェックしていると、彼女の仲間の、今一番売れている女子ユニット、大手町48のメンバーがぞくぞくと化粧室に入ってくる。


「お、さつきちゃん、今日は一番乗りだったんだね! 今日のコンサート、気合入ってるんだ」


 他のメンバーは、何も気が付かずに、ぞくぞくとスタイリストさんに髪型を整えてもらう。

 そんな忙しいさなか、スタイリストさんは、彼女にそっと近づいて他のメンバーに聞こえないようにささやく。


「さつきちゃん、とりあえず、見えないようにしたけど。アレ、所詮はカツラだからね。あまり頭の動きは激しくしないでね。それから、お辞儀は浅くね。絶対だよ……」


 ◇


「ありがとう、ございましたぁあああああー!」


 コンサートは、ものすごい盛り上がりで無事に終演した。

 しかし、スタイリストさんの忠告を忘れるかのように激しく踊ってしまったため、彼女のカツラはすでに限界だった。


 大手町48のメンバー全員が、両手をつないで、観客席に向かって、全身を使って、大きくお辞儀をしたときに、それは起こった。


 パサリ。


 観客に向かって大きく下げた頭から、誰かの頭から、青いカツラがコンサートの床に──。

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