11枚目 未来を取り戻す舞台へ
——朝が来た。
とうとう、発表会の日がやってきた。
目覚めた私は、いつもより時間をかけて身支度をした。顔を洗うのも、ヘアアイロンで髪の毛をまっすぐにするのも。
「あー、大事な日なのに、肌が乾燥してるよー」
同じ洗面台を、私とお姉ちゃんで半分ずつ使っている。お姉ちゃんのクラスはダンスを発表するんだって。もちろん、お姉ちゃんはセンターだ。
「陽詩、ソロで踊るところがあるんでしょ? お母さん、楽しみにしてるわね」
「緊張させること言わないでよー」
茶碗を洗いながらお姉ちゃんに声をかけるお母さん。その目に、お姉ちゃんのすぐ隣にいるはずの私はいない。スポットライトを浴びているお姉ちゃんに瞳が吸い寄せられて、脇役の私には目もくれない。
……今までの私は、それを皮肉っていた。
私が髪の毛を整え終えたのと同時に、私の携帯が振動した。
メッセージアプリの通知が「鈴村蒼」という名前を表示していた。
『六時半に学校に来ることはできる?』
携帯の時計はちょうど六時を刻んでいる。
『うん。大丈夫だよ』
そう返事をした私は、急ぎ足で自分の部屋に向かう。
机の上に載っている台本とペンを、しっかりとカバンに入れる。
「大丈夫なのか」
私の隣で、黒い羽を動かしているデビンに、私は力強くうなずく。
「うん。美香ちゃんの気持ちがみんなに伝わるように……私、逃げないよ」
鏡の前に立った私は、自分の立ち姿を確認する。今の私にできる、最高の着飾りをした。太陽の光が、私の左半身を白く照らす。
「……行こう」
パン、と手を叩いた私は、足の裏の全部を使って、力をこめて歩み出した。
舞台がある、学校へ。
*
——六時半の学校には、数えるくらいしか生徒はいない。ふだんはほぼゼロ人だけど。さすがに今日は、発表会の準備のために、早く登校してくる子もいるみたい。
私たちのクラスは七時に登校する段取りになっていた。着替えや最後の練習があるからね。私たち一年生は、発表順が最初の方だから、特に。
だからこそ「六時半」という時間が指定されたんだ。みんなが来る前に話をするために。
「おはよう、月嶋さん」
私が教室に入ると、教卓の前に立つ水川くんと鈴村くんが見えた。
「水川くん、ありがとう。鈴村くんも、ごめんね。昨日、急に電話しちゃって」
「かまわない」
鈴村くんは悠然とした口調で言った。
「それで、蒼から話を聞いた限りだと……朝比奈さんには言わない方がいいよね」
水川くんの確認に、私は頭を縦に動かして答える。
「クラスの子たち全員にお話しすると、美香ちゃんに伝わっちゃうかもしれないから……脚本の子たちにだけ、私からお願いするね。私が言い出したことだから、ちゃんと、私の口からお願いしたくて」
「そう言うだろうと思って、台本担当の子たちにも、早めに来てもらうようにお願いしたよ……まあ、蒼が、『月嶋なら、ちゃんと自分で頼もうとすると思う』って言ったからなんだけどね」
ニヤニヤする水川くんを、鈴村くんがひじでつついた。もう片方の手で口元をおさえて、目線を横に逃がして。
「二人とも、ありがとう」
私が頭を下げ終えたのと同時に、教室の扉が開いた。入口の方を見ると、台本を書いた男の子と女の子が、きょとんとした顔で立っている。
「おはよう、あのね、お願いがあって」
私は腰を九十度に曲げて、話した。
美香ちゃんの
*
——みんなが登校してきて、晴れやかな舞台のための、豪華な衣装に着替え始める。
男子は教室で、女子は空き教室で着替えることになっている……お姫様役の美香ちゃんだけは、さらに別の部屋で。
……メイドさんの服なんて、もう二度と着ることはないと思う。
フリフリの白いエプロンなんて、浮いていないかな。
「最後にカチューシャね」
衣装担当の子が、私の頭に、フリルのカチューシャをつけてくれた。
「似合ってるよー! ビンワンメイドさん! ってかんじ」
「あ、ありがとう……」
カチューシャをつけてくれた子が、ご丁寧に鏡で私の顔を見せてくれた。
ううう……本当に似合ってるのかな、これ……
気恥ずかしくなる私の胸元で、赤いリボンが、ふわりとゆれた。
着替えを終えた女子一同は、教室にいる男子と合流する。
教室に入った女子ご一行(いっこう)は、かたまって何も言えなくなった。
『あなたの身に有事があっては、将軍の名を捨てねばなりません。首を切らねばなりません』
『大丈夫だよ。僕にそんな価値はないよ。だって僕は……泥棒だからね』
爽やか王子が王子様の服を着たら、それはもう本物の王子様なんだ。女の子たちがざわめいている。しかも、その隣には、息を呑むほど美形な将軍様までいるんだから。あまりの耀きに目が潰されてしまう。
……鈴村くんの将軍様の服、似合ってるな。軍服って言うんだっけ。体格がいいから、西洋風の衣装を着ても違和感がない。
私が鈴村くんをじっと見ていたからかな、鈴村くんと目が合うのは時間の問題だった。
私を見た鈴村くんは、ピクリとも動かなくなった。私も動けない。だから、私たちは、一時停止の状態で、ずっとお互いを見ていた。
「……おーい、将軍様―。侍女に気をとられてちゃ困るんだけどー。俺を護って、俺をー」
私と鈴村くんの再生ボタンを押したのは、水川くんの棒読みだった。
「ああ、すまな——」
鈴村くんが謝ろうとした瞬間、今度は教室全体の空気が止まった。
ピンク色の生地に、白いレースと、キラキラのストーンをあしらったドレス。光を反射して輝くティアラ。
漫画やアニメの世界から飛び出したような、完璧なお姫様が、そこにいた。
全員の視線——特に、男子かたの熱い視線を独り占めにしている美香ちゃんは、居心地悪そうに、すっとうつむいた。
そんな美香ちゃんに、舌打ちを振りかけた女子がいた。紫色のドレスを身にまとった東条さんが、ナイフみたいな鋭い目で美香ちゃんを刺している。東条さんの取り巻きの女の子たちも、不満の二の字を隠そうともしない。
「美香ちゃん」
私は美香ちゃんに近づいた。東条さんたちの方に私の背中を向けて。美香ちゃんを、視線の刃から守るように。
「ねえ、美香ちゃん。最後に練習させてくれないかな。結婚前夜のシーン」
「うん」
私は美香ちゃんの手をとった。美香ちゃんの目が震えている。口がきゅっと強張っている。
美香ちゃんに付き合ってもらって、私たちは最後の練習を始める。お姫様の幸せを喜ぶ侍女。侍女に感謝するお姫様。
クラスのみんなは、美香ちゃんを見ている。色々な感情を含めて。
——男の子たちが、東条さんたちが、美香ちゃんに浴びせてくる眼差し。それが、どれだけ美香ちゃんを痛めつけているのか、知ってもらうために。
美香ちゃんの中に閉じ込められた気持ちを、解放するために。
私は『THE DEVIL』のタロットを思い浮かべる。
私はミチビキ人。美香ちゃんを導くために、私は——
「みんな、もうすぐ二組の発表が終わるから、そろそろ移動しよう」
私と美香ちゃんの練習が終わったのと同じタイミングで、水川くんが呼びかけた。
ドレスのすそをあげて、ゆっくりと歩く美香ちゃんの隣に、私は付きそった。
マントをなびかせて先陣をきる水川くん。その隣を、背筋をのばして歩く鈴村くん。
鈴村くんが角を曲がる時、横目で私を見た。私はあごを小さく引く。鈴村くんも同じ動作をした。これは最後の確認だ。美香ちゃんの運命を、もとに戻すための。
いよいよ、一年三組の舞台が始まる。
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