10枚目 最後のひらめき

 ——私と鈴村くんが教室に戻ると、劇の朝練習が始まっていた。みんなの視線が、教室の中心に集中している。

『もしも僕が、人から非難される存在だとしても、僕を愛してくれるかい』

 透明だけど切ない声色の水川くんは、クラスメイトの目線というスポットライトを全身に浴びている。

 そんな王子様の隣に、しおらしいお姫様が立っていた。

「美香ちゃん……!」

 前のめりになった私の肩を、鈴村くんが軽く引っ張った。


 そっか、今は、練習中だもんね。声かけちゃマズイ。


「朝比奈のアスグイを止めるために、朝比奈に起こるはずだった出来事を考えよう。今回のタロットカードは、どんな意味なんだ?」

「『THE DEVIL』の正位置は『誘惑』とか『裏切り』とか『破滅』って意味だけど……」

 私は、美香ちゃんのアスグイと戦った時のことを思い起こす。

 あの時にかざしたカードの裏面。月が上、太陽が下になっていた。正しい向きは、太陽が上で月が下。つまり、アスグイを止める時、『THE DEVIL』カードは、逆さまだったってことになる。

「今回は逆位置だから——『解放』、『再生』、『目覚め』ってところかな」

「逆位置?」

「うん。タロットって、カードの向きが、正しい向きか逆さまかで、意味が変わってくるの。『THE DEVIL』の場合、逆位置だと、前向きな意味に変わるんだよ」

「なるほど。それじゃあ次は、意味の絞りこみか。朝比奈のアスグイの弱点を考えよう」

 私は胸に手を当てる。鈴村くんは腕を組む。

 美香ちゃんのアスグイの弱点か……直接戦ってくれたのは鈴村くんだから、私には詳しいことは分からない。だけど、印象に残っていることを挙げるだけなら……

 ジャラ、ジャラ、という幻聴が、私の耳で波打った。

「……あのアスグイ、身体にたくさんの鎖がついていたよね」

 私の言葉に、鈴村くんがハッとする。

「確かに。アスグイとある程度の距離を保てたから、攻撃を避ける余裕があった。あの鎖のせいでアスグイが自由に動けず、自分や月嶋に近づくことができなかったんだとしたら——」

 私と鈴村くんは頷き合う。

 アスグイの弱点は、あの鎖。「鎖に囚われた」アスグイに足りない言葉は——

「……『解放』だね」

「ああ。つまり、朝比奈を何かから解放すればいいんだな」

 鈴村くんの目が教室の真ん中に動いたのにつられて、私も同じ方を見る。


『私には、肩書きなんて、関係ありません』

 美香ちゃんは、はかないほほ笑みを貼りつけている。造り物なのがバレバレだから、見ている私が痛々しい気持ちになる。

「……美香ちゃん、恋愛に興味が持てないのに、男の子からそういう目で見られるのが辛いみたいなんだ。女の子からは嫉妬されて、ひどいこと言われちゃうって……」

「それなら、朝比奈美香がため込んでいる、その感情を解き放てばいい。そうすれば、朝比奈美香は悩みから解放される」

 私と鈴村くんの間で飛んでいるデビンが、きっぱりと言った。鈴村くんはしぶい顔をする。私は首を横に動かす。

「それができたら苦労しないよ……大人しい子が、自分の気持ちをさらけ出すのって、すっごくエネルギーがいるんだよ。もしウワサされたら、嫌がらせがひどくなったら……って考えちゃうんだよ。美香ちゃんの気持ちを、それとなくみんなに伝えられればいんだけど」

「そんなこと言ってる場合じゃねえだろ。朝比奈美香のことだと断言せずに、朝比奈美香の気持ちを周囲に分からせるなんて、そんな魔法があるわけないだろうが」

「月嶋さーん。結婚前夜のシーンやるから、こっち来てー」

 クラスの女の子に手招きされた私は、作戦会議を中断して、教室の中心に入る。


 美香ちゃんの顔を間近で見た時、あまりにくたびれていて、息が止まってしまった。

「……美香ちゃん、大丈夫?」

「うん……これ以上、迷惑をかけられないから」

 美香ちゃんの整ったまゆ毛が、弱弱しいハの字になったと同時に、練習が再開した。

 美香ちゃんの前でかがんだ私は、決められた台詞を読み上げる。

『明日、エミーア様の晴れ姿をこの目で拝見できること、恐悦至極でございます』

『ありがとう、サリサ。あなたには感謝してもしきれないわ』

『何をおっしゃいます。エミーア様の幸せが、そのまま、私の幸せでございます』

 頭を下げたまま、目だけを上に向けて、美香ちゃんの表情を確認する。

 美香ちゃんは笑っている。笑顔って台本に書いてあるから、その通りにしているだけだ。主役をまっとうするために、美香ちゃん自身は殺されている。自分を閉じ込めたままで……

「月嶋さーん! 次の台詞!」

 ハリのある声を背中に浴びた私は、月嶋日景を捨てる。

 そうだ、舞台にいる間の私はサリサだ。エミーア姫のお世話係だ。目の前で心配そうにしているのも、美香ちゃんじゃなくて、エミーア姫だ。

 私はひと呼吸置いてから、頭の先から足指の先まで、「サリサ」という役を身にまとう。そして、エミーア姫への祝福の言葉をつむぎ始めた。

 *

 ——発表会の足音が、とうとう明日に迫ってきた。

 学校から帰った私は、自分の部屋のベッドで仰向けになっていた。最終リハーサルに疲れたからというのもある。だけど、それよりも、お手上げだったんだ。

 美香ちゃんの運命点を、どうやって直せばいいのか分からなくて。

「だーかーら! 朝比奈美香に自分の気持ちを暴露させればいいんだって」

 私の頭上でデビンが浮いている。腕をくんで、足をトントンと動かしている。

「人間は、そう簡単にいかないって言ってるでしょ……」

「そうやってグダグダしてたら、朝比奈美香のアスグイが、また暴れ出すだろうが」

 デビンがイライラするのも分かる。ヒントは分かっているのに、答えがでない、このもやもや。

 あと一歩、あと一歩なんだ。「美香ちゃんのことだとは言わずに、美香ちゃんの気持ちを伝える方法」をひらめくことができれば。

 美香ちゃんが、ずっとずっと抱えてきた、黒くて重たい心から解放してあげられる。

 ……でも、そのあと一歩が、足りない。

「日景、ご飯だぞ」

 扉の向こうから、平坦な声がかけられた。お父さんが帰ってきていたんだ。

 のっそりと起き上がった私は、足におもりがついているかのように、もたもたした動作で階段を下りた。


『なんでよ! 私の方が、たかしくんを愛しているのに! こんな女なんかより!』

 リビングの扉を開けると、女性の怒号が聞こえてきた。思わず肩がビクンと震えたけど、テレビに映っている女優さんの演技だと分かって、私の胸はすぐに落ち着いた。

 お姉ちゃんがテレビにくぎ付けになっている。このドラマ、お姉ちゃんの好きなアイドルが出てるんだっけ。

「あー! 流留ながるくんのこと打たないでよー!」

 やっぱりそうだ。そこまで流行に詳しくない私でも見覚えのある男の人。その人が画面の向こうでビンタされた瞬間、お姉ちゃんが自分の膝をパンパンと叩いた。

「もー! 本当にムカつく! 愛崎あいさき麗奈子れなこ! 流留くんのこと叩くなんてサイテー!」

「そう? お母さんは可愛いと思うわよ」

 ご飯をよそいながら言ったお母さんを、お姉ちゃんはキッとにらみつける。

「ありえない! 自分の片思いが実らないからって嫌がらせして、流留くんを殴ったんだよ⁉ この人嫌い!」

 ほっぺをふくらませるお姉ちゃんが、私には不思議な人に見えた。


 愛崎麗奈子……さっき、怒鳴っていた女の人だよね。正確には、怒鳴る演技をしていた女優さんか。

 この人は、愛崎麗奈子は、ただ役を演じているだけだ。「恋に破れて叫ぶ女の人」を演じたにすぎない。誰かを打ったのだって、台本にそう書いてあるからで、愛崎麗奈子本人の意思じゃない。

 それなのに、どうしてお姉ちゃんは、愛崎麗奈子を嫌いになるんだろう。

 愛崎麗奈子が演じていたキャラクターを嫌いになるなら分かる。だけど、女優さんの方まで嫌いになるのは、なんでなんだろう。まるで、フィクションのキャラクターと、現実の人間が、同一人物であるみたいに……

 …………同一人物みたいに…………


「……そっか! 分かった!」

 私の大きな声に、お姉ちゃんも、お母さんも、大翔も、全身をはねさせた。

 私は一目散に自分の部屋に戻る。着替え終わってリビングに入ってきたお父さんとすれ違う。

「ちょっと日景、ご飯は?」

「急いで電話しなきゃいけないの!」

 お母さんの質問に、私は答えになってない答えを返す。部屋に入った私は、ベッドの上に正座して、携帯の電話帳を開く。

「おい、どうしたんだよ。そんなにあわてて」

 困惑するデビンの横で、私はある人の電話番号を探す。

「あった」

 私はすぐさま電話をかけた。

 コールの音が五回鳴ってから、通話が始まる。

『……はい。鈴村です』

「鈴村くん。私、月嶋日景だけど。ごめんね、急に電話して」

『かまわないけど……どうした?』

 鈴村くんの声色は、どこか緊張したようすだった。

「あのね、私、思いついたの。美香ちゃんの運命点を修復する方法を」

『……ああ、そのことか』

 鈴村くんが、ふうっと息をついたのが聞こえた。その後の声は、いつもの落ち着いたものに戻っていた。

『自分にできることは、何かある?』

「あのね——」

 私は自分の考えを説明した。私の話をじっと聞いてくれた鈴村くんは、「分かった」と言ってから、こう続けた。

『爽人には話を通しておく』

「ありがとう。それじゃあ、また明日」

 電話を終えた私は、カバンをひっくり返す。中に入っていたものがベッドに散らばった。

「おい、本当なのかよ。朝比奈美香の運命点を修復する方法が分かったって」

 デビンの言葉に「うん」と返した私は、劇の台本とボールペンを手に取った。

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