9枚目 ステージの中心へ
——月曜日の朝がやってきた。
私は誰もいない教室にいた。いつもよりも広く見える。鳥の鳴き声が聞こえてくる。
黒板の前でそわそわしていると、快晴の朝にふさわしい、クリアな声が聞こえてきた。
「ごめん、月嶋さん。待たせたかな」
水川くんは、朝早くでもマイナスイオンを振りまいている。
「大丈夫。私こそ、ありがとう。時間を作ってくれて」
「いいんだよ。それで、話って?」
水川くんのほほ笑みを見ると、言うべきことを言うのがつらくなる。だけど、心を固めなきゃいけない。
私はすうっと息を吸ってから、全力で頭を下げた。
「ごめんなさい。私、水川くんのお手伝いはできないの」
水川くんの表情を見るのが怖くて、ベージュ色の床を見たまま続ける。
「美香ちゃん、恋愛のことにおびえているみたいなの。私、美香ちゃんの気が進まないことを、押し付けたくなくて。だから、水川くんと美香ちゃんの仲を取り持つの、できなくて——」
「ちょっと待って、何の話?」
水川くんの困惑した声に、私の謝罪はさえぎられてしまった。私が背を上げると、水川くんの戸惑った顔が、ハテナマークを浮かべていた。
「ごめん。俺にはさ、月嶋さんの言ってることが分からないんだけど……」
「え、だって、水川くんは美香ちゃんと仲良くなりたいんでしょ。だから、美香ちゃんの隣にいる私に声をかけて、美香ちゃんを遊びに連れてきてもらおうとしたんじゃないの?」
「俺、朝比奈さんが気になってるって、言ったことあったっけ?」
首をかしげながら聞かれて、私は水川くんと同じ方向に首をかたむける。水川くんと私、まるで鏡みたいに。
「でも、私なんかに声をかけてくる男の子は、みんな美香ちゃんが目当てだったよ」
「今まではどうだったか分からないけど、俺は違うよ」
水川くんは「うーん」と難しい声を出して、うでを組んだ。まゆの間にシワを寄せていた水川くんだったけど、うでをほどいた時に、シワも消えた。
「……本当のこと、話すしかないか。というか、話すまでもないと思っていたけど」
「本当のこと?」
「月嶋さんと朝比奈さんを、遊びに誘った理由だよ」
水川くんは人差し指を立てて、くるくると回し始めた。名探偵の推理ショーみたいだ。
「俺が朝比奈さんと仲良くなりたいなら、蒼は誘わないよ。蒼と朝比奈さんがいい感じになったら困るからね」
水川くんが美香ちゃんとお近づきになりたいから、という説は消えた。じゃあ、残された選択肢は? ひとつしかない。
「鈴村くんと美香ちゃんが仲良くなるため……?」
自分で口にした言葉に、私の心が痛んでしまった。
水川くんは名探偵ポーズをやめて、広げた両手をあせあせと振った。
「そうだったら、公園に行ったとき、俺と朝比奈さんの二人で行動しないって! このくらいで、さすがに分からないかな」
爽やか王子のお顔をゆがませてしまっているのは申し訳ないんだけど、これ以上の選択肢が思いつかない。
「蒼と月嶋さんが上手くいくようにするためだよ」
「…………え?」
私は、今までの人生の中で、一番気の抜けた声を出してしまった。間抜けオリンピックがあったら金メダル確実だろう。
水川くんは苦笑いをしながら語り始める。
「蒼がずっと月嶋さんを目で追ってるなーと思ってさ。俺の話を聞いてない時もあるしね。で、そんなに気になるなら声かければ? って言うんだけど、しぶい顔してさ。あいつ、奥手で照れ屋なんだよ。俺の方がヤキモキしちゃってさ。蒼が月嶋さんと話すきっかけを作ろうと思ったんだよ。それで月嶋さんたちを誘ったんだ」
そんなのウソだ。だって私は脇役だもん。鈴村くんは主役だもん。
……でも、水川くんの説明を信じれば、たくさんの違和感に納得がいく。
やたら鈴村くんに見られているとは思っていた。その度に、私の顔にご飯つぶがついてるのかなって、あせっていたけど。
公園に行くって決まったのも、「私が」行きたい場所だったからだ。美香ちゃんが望む場所じゃなくて。日程を決める時も、水川くんは、まず「私に」確認をした。
「水川くんは、美香ちゃんと仲良くなりたいはずなのに、どうしてこんなことするの?」って思ったことの全部に、説明がついてしまうんだ。
水川くんが、王子様とお姫様役の投票を、鈴村くんと私にしたことだって、理屈が通ってしまうんだ。
「……まあ、俺のお節介のために、朝比奈さんのことを利用したのは事実だよね。蒼と月嶋さん二人だけだと、話しも弾まないと思ったから、朝比奈さんにも来てもらったんだけど。そういうことしたのは、本当に失礼だったと思っているよ」
「……ううん。水川くんは優しいよ。私、いつも美香ちゃんのおまけ扱いだったけど、それを謝ってくれた男の子なんて、一人もいなかったよ」
私は「あはは」と乾いた笑いを出してしまった。
「朝比奈さん、思いつめてるみたいだからさ。俺にできることがあったら言って。力になるから」
「ありがとう、水川くん」
うなずく私を見る水川くんの目が、一瞬でスッと深くなった。
「だから、蒼のことに、向き合ってあげて。何があったのかは探らないけどさ。あいつ、落ち込んでたから。今日の朝、月嶋さんに呼ばれたって言ったら、分かりやすくあわててるんだもん。クラスのみんなに見せてやりたいくらいさ。じっとしてられなくて、そろそろ登校してくるんじゃないかな」
水川くんの瞳が、朝日を吸いこんできらめいた。そのかがやきは、まるで神様の光みたいだ。罪深い私を責めるみたいに。
私を心配してくれた鈴村くんに、あんなひどいことを言ってしまった。どれだけひどい言葉だったのか、水川くんは分かっているんだ。その場にいたわけじゃないのに理解できるほど、水川くんから見た鈴村くんは傷ついていたんだ。
「うん。ちゃんと謝る」
私の返事を聞いた水川くんは、やっと、いつもの爽やかスマイルを取りもどした。
「ありがとう。それじゃあ俺、クラス委員の朝集会があるからさ」
「私こそ、ありがとう。時間をとってくれて」
コクリと首をたてに動かした水川くんは、手をひらひらさせながら教室を出ていった。
「……アイツ、なんか鼻につくな」
「わっ」
カバンの中から、にゅっと顔を出したデビンに、私は変な声を上げてしまう。
「水川くんはいい人すぎるくらいだよ。美香ちゃんのことも協力してくれるって言ってたでしょ」
「ああいうヤツほど、心の奥にとんでもない爆弾があったりするんだよ」
デビンの声は、思わずぞくりとするくらい低かった。悪魔と爽やか王子じゃ正反対だから、ウマが合わないのかもしれない。
私は教室の角にあるゴミ箱に近づいた。いっぱいになっている袋を取り出して、中身が出ないように縛る。その様子を見ていたデビンは、「はあー」と長い息を吐く。
「そんなの、あんたの役目じゃないだろ。誰も見てないところでやったって意味ない」
「どうせ誰かがやらないといけないんだし」
ゴミ袋を捨てるために、私は教室を出た。
その足はすぐに止まってしまった。
「……月嶋」
太陽の王子様である水川くんとは反対の、月のように落ち着いた王子様。
「鈴村くん」
目の前にいる人は、目尻を下げていて、口をきゅっとつぐんでいて、頬をこわばらせている。その痛々しい表情に、私は、水川くんとお話ししたことを思い出す。
「……ごめんなさい。私、ひどいこと言って。ほら、私って、美香ちゃんみたいな可愛さもないし、鈴村くんと違って取り柄もないから、嫉妬しちゃったんだ。嫌な子だよね」
「あはは」と情けなく笑う私の言葉を聞いた鈴村くんは、目線を左右に迷わせた。そして、子犬に触れるような手つきで、私の持っているゴミ袋を持った。
「自分は、月嶋に憧れていた」
「え?」
私はすっとんきょうな声を出してしまった。主人公である鈴村くんが、脇役の私に?
「人の目が届かないところで、誰かのために行動できる。他人が出したゴミを片付けて、汗をかいてうなだれている人に水を渡せる。お礼の言葉も届かないような裏側で、みんなのために尽くすことができる。なんの下心もない気づかいを持っている月嶋が、自分にはまぶしかったんだ」
鈴村くんの目線が、剣みたいにまっすぐになった。それに刺された私は抵抗する。
「で、でも、鈴村くん、お姫様の役に、美香ちゃんを推薦していたでしょ」
「それは……王子役が爽人になるのは分かり切っていたから。その……月嶋と爽人が並ぶのが、何となく嫌で。朝比奈だったら、爽人の負担にもならないと思ったから。爽人はいいやつで、だからこそ、女子のことで悩まされることも多いから。そんな身勝手な理由で投票したんだから、自分も同罪なんだ」
抵抗したつもりが、倍返しをくらってしまった。私は固まってしまう。
「月嶋のことが心配なのは本当なんだ。ウソなんてない。朝比奈に近づくための利用なんかじゃない。むしろ逆だ。月嶋に近づくために、朝比奈を利用したんだ。俺は、月嶋が言うような、立派な人間なんかじゃない」
本当に整った顔立ちの人は、悲し気な顔ですら完璧だ。
「だから、自分で自分を傷つけるようなことは言わないでほしい。月嶋を大切に思っている人まで、胸を痛めることになる」
その言葉に、私の頭はなぐられた。
……そうだ。
美香ちゃんは、一度もそんなこと言わなかった。なのに、私が勝手にヒクツになって、「主役の悩みなんて分からない」なんて突き放してしまった。
水川くんだってそうだ。水川くんに声をかけられた時、「どうせ美香ちゃんと仲良くなりたいんでしょ」って思ってた。今までの男子たちと同じように。そんなこと、水川くんは一言も言ってないのに。私の思い込みのせいで話がこじれちゃった。
そうして話がややこしくなった結果、私は鈴村くんを傷つけてしまった。鈴村くんは一度も、私を脇役扱いなんてしていなかったのに。
私は、自分の胸をきゅっとつかんだ。
人気者の姉弟にはさまれて、綺麗な美香ちゃんと比べられて、どんどんすさんでいった私の心。これ以上みじめな思いをしたくなくて、私は自分で自分を傷つけていた。「脇役だ」「パッとしないんだ」って、くりかえし。
「私はちゃんと自分の立場をわきまえています。だから私を傷つけないでください」ってアピールしていたんだ。まるでハリネズミみたいに、自分を守っていた。
でも、それじゃダメなんだ。「脇役の私にできることなんて、何もないんだもん!」なんて、ひねくれちゃいけないんだ。
舞台のはしっこで、物語が進むのを待っているだけじゃ……美香ちゃんの
ステージの中央に、足を踏み出さなきゃいけないんだ。
自分を守るために、自分を傷つけるのは、もうやめるんだ。
「……ありがとう、鈴村くん」
私は、自分の目線に、鈴村くんに負けないくらいの力をこめた。
「私、もう、逃げない。脇役でいるのをやめるよ。美香ちゃんを助けるために」
鈴村くんはキョトンとした顔つきになった。しばらくして、困ったほほ笑みに変わって、息をついた。
「やっぱり、朝比奈のために、なんだな」
「……ダメだったかな」
「月嶋らしいと思っただけだ。自分も、朝比奈のアスグイを止めるのに協力する」
「ありがとう」
鈴村くんの言葉に、私の顔の筋肉が緩んだのが分かった。それと同時に、鈴村くんが、手の甲で口をふさいで、そっぽを向いてしまった。
その仕草を見た時、私は水川くんの「蒼は照れ屋だから」という発言を思い出した。
……さっき水川くんとお話しした時は、罪悪感でいっぱいだったから、気にしている余裕がなかったけど。
鈴村くんがずっと私を見ていた理由っていうのが、つまり、その、私のことを……
……そう考えたら、ほっぺたがどんどん熱くなってきちゃった。私は思わず下を向く。
「おいお前ら、なにデレデレ合戦してんだよ!」
トゲトゲした声に、私と鈴村くんはハッと顔の向きを正す。
私たちの間に割り込むような場所で、不機嫌なデビンがプカプカと浮いていた。
「あのバカップルじゃあるまいし、朝比奈美香の運命点を修正する方法を考えろ!」
「ご、ごめん」
これは怒られても仕方が無い。余計なことを考えた私が悪かった。
そう思ったのは鈴村くんも同じみたいで、バツが悪そうな表情を浮かべている。
「……とりあえず、歩きながら考えるか」
「う、うん。そうだね」
なんともぎこちない動作で、私たちはゴミ捨て場に向かって歩き出した。
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