6枚目 ヒロイン、消失
私たちは公園を出た。お客さんの声が、どんどん小さくなっていく。
私は口を開いた。さっきの出来事について考えたくなかった。何でもいいから他のことで頭を埋め尽くしたかった。
「二人とも来てくれたんだね」
「朝比奈さんの体調が良くないっていうのに、俺たちだけくつろいでるわけにもいかないでしょ」
水川くんの雰囲気は、いつもの爽やか王子に戻っていた。
「今日は帰ろうか。具合の悪い朝比奈さんに、無理をさせちゃいけないし」
美香ちゃんのことを一番に考える水川くんは、今までの男の子たちとは、やっぱり違う。
「そうだね」
私は水川くんに感謝していた。水川くんがいつも通りの空気でおしゃべりをしてくれている。そのおかげで、気を紛らわせることができるから。
*
バスで駅に帰った私たちは、水川くんの提案で連絡先を交換した。空が夕焼けに変わる直前のバス停に、人はほとんどいなかった。
「月嶋さん、今日はありがとう。朝比奈さんは、ゆっくり休んでね」
水川くんの言葉に、美香ちゃんはコクリとうなずく。
別れる直前に、鈴村くんと目が合った。
……違う。鈴村くんが見てるのは美香ちゃんだ。
本当は美香ちゃんと一緒にいたいのに、水川くんのために我慢してるんだ。そのせいで脇役に付き合わされて、ミチビキ人のお役目まで押し付けられた。アスグイと戦うことになっちゃった。
私はしょせん、脇役なんだ。それを思い出したから、私は鈴村くんから目線をそらした。
水川くんたちが歩いていった。私は美香ちゃんと二人、取り残される。
「……ねえ、日景ちゃん」
名前を呼ばれて隣を見ると、美香ちゃんはうつむいていた。
「私、お姫様の役、やめていいかな」
美香ちゃんは、どうしてそんなことを言うんだろう。色白で、スタイルもよくて、髪の毛もサラサラで、目は大きく丸くて、声も綺麗で……美香ちゃんほど主役にふさわしい女の子なんて、いないのに。
私の中に、黒いもやもやがわきあがってくる。
「みんなで決めたんだから、美香ちゃんが頑張らなきゃだめだよ」
美香ちゃんが顔を上げた。その肌は青白い。眉は下がっていて、目は見開いている。
「私みたいな脇役と違って、美香ちゃんは主役なんだから。さっきの人たちも言ってたでしょ。私と美香ちゃんじゃ、顔の出来が違いすぎるって」
美香ちゃんの瞳が、どんどん震えていくのは分かっていた。だけど、私のもやもやを抑え付けるダムが、どんどん壊れていって、直らなかった。
「美香ちゃん、ピアノのおけいこだよね。私も用事があるから……気をつけてね」
用事なんてなかったけど、ウソを使ってでも逃げ出すしかなかった。美香ちゃんに、もやもやをぶつけないためには。
私は早歩きで駅を去る。美香ちゃんは心を空に奪われたかのように、ぼうぜんとしていた。
……私、こんなに嫌な子だったっけ? ネチネチしてる人間だったっけ?
自分の中のベタベタしたものを吹き飛ばしてほしくて、どんどん歩くスピードを上げる。最後には全力で走っていたのに、私の心にまとわりつく泥はとれなかった。
*
——週明けの月曜日から、劇の練習が始まった。お昼休み返上で、台本の読み合わせが行われる。
まあ私は、姫のお世話係っていう脇役だから、覚えることも少ないんだけど。
『僕の正体は泥棒なんだよ。だから正しい方法なんて使わない。あなたを盗ませてもらうよ』
水川くんの演技はさすがだった。王子なんてガラじゃないって言っていたけど、いざ演じてみたら、観客を魅了する王子様、兼、盗賊だ。特に、東条さんが王子様に送る視線は熱心だった。
『…………』
クラスの視線が美香ちゃんに集まる。王子の後に続くはずの、お姫様の台詞が聞こえてこないからだ。
「朝比奈さん?」
水川くんが、美香ちゃんの顔をのぞき込んだ。ビクッと身体をはねさせた美香ちゃんは、伏し目になって言った。
「ご、ごめんね。ぼうっとしてて……」
そんな美香ちゃんに、東条さんとその取り巻きたちの舌打ちとため息がとんだ。「しょうがないよ」「主役だから台詞も多いし」なんて、男子が美香ちゃんをかばうものだから、東条さんたちの顔がますます鬼に近づく。
「保健室行く? 俺、付き添っていこうか」
「だ、大丈夫。私、一人で行けるから……」
水川くんの申し出を拒否した美香ちゃんは、おぼつかない足取りで教室を出ようとする。
美香ちゃんを追いかけようかな。
でも、あんなこと言っちゃったし。私みたいな脇役が、主役を代わってあげることなんてできないし。美人のお悩みなんて、私には解決できないし。
衣装担当の子が散らかしたままの布くずをホウキで集めながら、私は脇役に徹していた。
*
——次の日から、金曜日の今日まで、美香ちゃんは学校をお休みした。
「朝比奈さん、大丈夫かな」
一年三組では、八の字の眉で心配する男子と、
「劇の練習が進まないから、困るんですけど」
Vの字の眉でイライラする女子……というか、東条さんたちの冷戦がぼっ発している。お昼休みまでピリピリしているものだから、居心地の悪さが限界突破している。
「日景さんも大変だよね。最後のシーンの練習ができないから」
小道具係の女の子に声をかけられて、私は「うーん」と返事を濁す。
侍女である私の最後の出番は、お姫様の結婚前夜にある。姫の寝室で二人きりになるんだ。そこで姫から、「今まで私を支えてくれてありがとう」とねぎらいの言葉をかけられる。侍女は姫の幸せを願う。こんなシーンだ。
つまりどういうことか。お姫様役の美香ちゃんがいないと、練習できない場面ってことだ。
《連絡―。連絡―。一年三組、月嶋日景さん。職員室までー》
私は天井近くのスピーカーを見た。今呼ばれたのは、間違いなく私だ。
職員室に呼ばれるような罪を犯していたか、記憶を掘り起こしながら、私は小走りで教室を出る。
その時、入口の近くに立っていた鈴村くんとすれ違った。鈴村くんは、相変わらずブレない目線で私を貫いている。
今の私の隣には、美香ちゃんはいない。なのに、どうして?
疑問に思ったけれど、頬のご飯つぶを探す余裕はなかった。
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