5枚目 脇役、胸を痛める

 待ち合わせ場所だった館の中には、レストランや売店、お花の写真の展示スペースなどがある。お昼時の一番混んでいる時間が終わったからか、館内の人々の姿はまばらだった。

 私たちが中に入ると、ロビーにある二つの人影が動いた。私たちを待っていた王子様とお姫様。二人が持つ眩しい主人公オーラは、屋内にいても変わらない。


「お楽しみだったのは何よりだけどさ、連絡を無視するのはよくないよねー? 一時間も遅刻して、何をしてたのかなー?」

 水川くんの声は穏やかだったけど、目は笑っていない。口の端は上がっているけど。

 水川刑事が鈴村容疑者を取り調べをしている隣で、私は美香ちゃんに話しかける。

「ごめんね、待たせちゃって」

「ううん。大丈夫だよ。鈴村くんと、どうだった?」

「ど、どど、どう?」

 私の声が露骨につまってしまった。毎回ヘマばかりするヘッポコ泥棒みたいな慌てぶりだ。

 「アスグイっていうバケモノを倒すために、タロットカードを使って、運命点を修復したの!」……なんて言ったら、病院にかつぎこまれるだろう。

「ま、まあ、平々凡々……かな? うん。平和っていいよね。ヘイワ、ヘイワ」

「そっか」

 私のロボット言葉にほほ笑んでくれた美香ちゃんだけど、そのまゆ毛は下がっていた。


「美香ちゃん、何かあった?」

 水川くんとは、どうだったのかな?

 そうだよ、それがメインだ。私と鈴村くんは仲介役でしかない。仲介役同士の仲を気にするくらいなら、美香ちゃんには、水川くんのことを考えてもらわないと。

「……日景ちゃん、私——」

「お説教はこのくらいにして、ご飯にしようか。お腹空いたよ」

 パン、と手を叩いた水川くんが、レストランに入ろうとしたのを、私はあせって引き留める。

「あの、一応、お弁当作ってきてて……簡単なおにぎりなんだけど」

 おずおずと水色のバッグを前に出す。水川くんの顔がパアッと輝いた。

「大変だったでしょ? ありがとう! 蒼、よかったじゃん」

 水川くんが鈴村くんに笑いかける。さっきまでのイカサマスマイルと違って、目もしっかり笑っていた。鈴村くんは顔を背けて「ああ」とだけ言った。ちょくちょく鈴村くんに話をふるのは、どういう意図なんだろう。

「あのね」

 美香ちゃんが、私の肩をツンツンとした。

「私も作ってきちゃったの……サンドイッチ」

 困った顔のお姫様を見て、私は思い出した。

 脇役が余計なことをしてはいけない。目立ってはいけないという基本を。

 *

 館から十分程度歩いてきた。木陰の下にレジャーシートを敷いて、私たちは円の形に座った。

 木漏れ日の下を走り回る子どもたちの声で、この空間はにぎわっている。

「遠足みたいで懐かしいねー。小学三年生だっけ? 最後に遠足行ったの」

 私の向かいに座る水川くんが、トマトとチーズのサンドイッチを口に運ぶ。

 私は全自動おにぎりもぐもぐマシーンとなって、自分で作った鮭おにぎりを食べている。

 今日のお出かけは、水川くんと美香ちゃんの交流を深めるためのもの。だから、水川くんのお腹は、美香ちゃんのサンドイッチで満たさないといけないんだ。

「日景ちゃん、大丈夫? 喉につまらない?」

 私の左隣に座る美香ちゃんが、不安そうな眼差しを向けてくる。

「平気、平気。お腹空いちゃって。それにしても、二人はお似合いだねー。まさに王子様とお姫様っていうか」

 水筒のお茶を口にしてから、私は今日の本題に話を持っていった。水川くんが美香ちゃんとお話しするためのきっかけを作らなきゃ。脇役が用意してしまった余計なおにぎりを、黙々と消化してくれている鈴村くんに申し訳がない。


「あ、それ、言いたかったんだけどさ。蒼も月嶋さんも、何で俺と朝比奈さんに投票したの? 王子様みたいな堅苦しい役、俺には合ってないでしょ。朝比奈さんはともかくさ。結局、蒼は将軍役でしょ? そこそこの役に収まっちゃってさ」

 おにぎりを頬張る私の手が止まった。

 そっか。鈴村くんも、美香ちゃんに投票していたんだ。

 やっぱり、鈴村くんだって、美香ちゃんと一緒にいたいよね。美香ちゃんが可愛いと思ってるよね。水川くんを応援するために、私の相手をしてくれているだけで。

 さっきまで一緒に運命点の修復していたから勘違いしていたけど、鈴村くんは主役で、私は脇役だもんね。

「どうして誰が誰に投票したかが分かるんだ」

「それは、字のクセだよ。集計した委員長の特権ってやつ」

「それよりも、水川くん、私の票数を勝手に増やさなかった? ちょうどいい、って」

 私は論題をすり替えた。

「あれは俺の分の票だよ。たまたま俺と同じ投票をした人がいたから、あのタイミングで俺の分を数えたってだけ。ちゃんと平等選挙をさせてもらったよ」

 水川くんは肩をすくめる。

 あれは職権乱用じゃなかったのか。でも、どうして私に入れようと思ったんだろう。そもそも、最初に入れた人は誰?

 そういえば、さっきから美香ちゃんの声が聞こえない。そう思った私は、顔を横に向ける。


 美香ちゃんはうつむいていた。手は空っぽだ。力なく垂れた前髪が、ちょっとした風にも反応して揺れている。

「美香ちゃん、体調がよくない?」

「ごめんね。ちょっと……」

 私に向けて顔を上げた美香ちゃんは、口を手で覆った。肌の色は、いつもの透き通るような白さというより、見ている方が不安になるような青白さだった。

「館の中に入ろうか。熱中症なら、建物に入れば良くなるかも。私、付き添うよ」

「ありがとう、日景ちゃん」

「朝比奈さん、大丈夫? 俺たちも行こうか」

 水川くんの言葉を聞いた美香ちゃんは、私の服の袖を、きゅっとつまんだ。美香ちゃんみたいに大人しくて繊細な子が、質問に対して「無言」で答える意味を、私は知っている。

「少し休めば大丈夫そうだから、二人で平気だよね、美香ちゃん」

 美香ちゃんは、私の言葉には「うん」と答えた。


 私はすっくと立ち上がった。どうせ館の中にゴミ箱があるんだからと、私はみんなの使用済みお手拭きを回収する。新しいものを二人分だけ置いてから、私は美香ちゃんの手を引いて、館に向けて歩き出す。

 館へ戻る道の途中に、大きな噴水が置かれた広場がある。噴水の周りで子どもたちがはしゃいでいる。その子たちの、きゃっきゃっと弾ける声を浴びながら、私たちは足を進める。

「美香ちゃん、水川くんと何かあったの?」

 美香ちゃんは、ぷるぷると首を横にふった。

「何もないよ。水川くんは、明るくて、気が利いて。みんなが言うとおり。だから怖いの」

 美香ちゃんの言葉の意味が分からなくて、私の口は閉じてしまう。

「私、お姫様の役なんてできない」

 美香ちゃんは、自分で自分を抱きしめるように、腕を交差させた。

 私の足がピタッと止まった。突然の告白に、かけるべき言葉が思いつかない——


「おっ! 次のターゲットが見つかりましたー!」

 無駄に大きな声がした。声の高さからして、男の人? 背中から聞こえてきたから、私たちは思わずふり返る。

 男の人が三人に、女の人が二人……大学生くらいかな? ビデオカメラのレンズが、私たちに向けられている。

 えっ、何? 今、撮られてるの?

 隣の美香ちゃんも、あっけにとられた顔で、口をぱくぱくさせている。

 その人たちは、目を大きくして「おおー!」と声を上げた。

「これは、過去最高得点じゃないですかー?」

 得点って何の?

「『美人度に最も差がある二人組を見つけたヤツ優勝!』、コータが過去最高のー、八十点ー!」

 ひゅー! という歓声と、大げさな拍手。

 大学生たちの大声は、周りの人たちの視線を集めるのに充分だった。私と美香ちゃんの格差が、大勢の人にさらされている。

「いやー、下の子も悪くはない、許容範囲だと思うよ? だけどさ、上の子が美人すぎるね!」

「君、何歳? モデルやってる? SNSは?」

 男の人たちが美香ちゃんを取り囲んだ。美香ちゃんは「あの」とか「その」とか、意味のない単語しか言えずにいる。

 私は手をぎゅっとして、地面を見た。誰からも見えないように、唇を噛む。こうしていないと、目から涙が出てきそうだ。

 美香ちゃんと容姿を比較されるのなんて、慣れてるでしょ。いつも通り、何食わぬ顔でいなくっちゃ。

 そう思って歯に力を入れる。

『蒼も月嶋さんも、何で俺と朝比奈さんに投票したの?』

 水川くんが教えてくれた、鈴村くんの本心を、何故か思い出してしまう。

 ……あれ? いつもより、手も、歯も、唇も、力が入らない。


「こういう女っているんだよねー。自分より可愛い友達は作らないタイプ」

「そうそう! そうすれば、自分が一番男子にモテるからーって!」

 キャハハー! と笑っているのは、二人いた女の人たちなんだろう。顔を上げて確かめることは、私にはできない。我慢しているものが飛び出してしまう。

 早く立ち去るべきなのに、身体が固まって動かない。おもりの正体は、悔しさか、怒りか、悲しみか、なんなのか分からない……


「すみません。二人は僕たちの友達なんですけど、何かご用ですか?」

 クリアな声が聞こえてきて、私は頭を起こした。前に立っている女の人たちが、口に手を当てて驚いている。その顔はとろけているようにも見えた。

 後ろを向くと、一年三組の爽やか王子が立っていた。

「二人とも困っているみたいなので……離してもらえます?」

 私はゾクリとした。目が笑っていない水川くんは、さっきも見た。遅刻をとがめられた時。だけどその時は、口角は柔らかいままだった。

 今、目の前にいる水川くんは違った。鋭い口角で周りを凍り付かせている。

 今の水川くんは、王子を通り越して王様だ。

「きゃっ」

 美香ちゃんのか細い声が聞こえた。鈴村くんが、男の人たちをどかして、美香ちゃんの手を引っ張ったんだ。鈴村くんの方に引き寄せられた美香ちゃんは、男の人たちからの脱出に成功していた。

 水川くんを先頭に、私、美香ちゃん、鈴村くんの順で、その場を離れた。大学生たちを置き去りにして。

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