4枚目 あるべき未来を取り戻せ!
バラの園は、さっきまでの出来事が嘘みたいに穏やかだ。あのバケモノに壊されたはずのアーチも、何事もなかったかのように元通りだ。
私たちは、バラ園から少し離れたベンチに座っている。私たちの前を歩く人たちは、みんなもれなく楽しそう。この風景だけを切り取れば、さっきの激闘は夢だったんだと思えるんだけど。
「僕はアー。この世界一可愛い女の子が、イーちゃんだよ」
「もうアーくん、恥ずかしいこと言っちゃイ・ヤ!」
目の前に浮いている精霊のような何かが、あの死闘が現実だったと教えてくる。
「それにしても暑いね、イーちゃん」
「大変! アーくん、汗かいてるよ!」
「……私のハンカチ、使っていいから」
私が差し出したハンカチを使って、二人はカップルごっこを始めた。
精霊みたいなカップルがイチャイチャしていれば、注目を集めるのは間違いない。それなのに公園が穏やかだ。どうやら、この子たちの姿が見えているのは、私と鈴村くんだけみたい。
「ほら、アーくん。こうしていれば、いつでも汗を拭けるよ!」
女の子が男の子にハンカチを巻き付ける。
「それで、さっきのバケモノは何者なんだ」
未だに状況を飲み込めない私の代わりに、鈴村くんが聞いてくれる。答えたのは女の子——イーちゃん? だった。
「あれはアスグイって言うんです。人の心につけこんで、
「明日を変える?」
私の問いかけに答えたのはアーくんだ。
「例えばさ、今日、君たちが一緒にいるのは、どうして?」
「それは、水川くんに誘われて」
「それじゃあもし、その子の具合が悪くなって、君たちを誘うことができなくなったら? 今、僕たちと君たちが話している現実は、生まれなかったわけだよね。その子の誘いがなければ、君たちはここに来ていないんだから、アスグイを静めることもできなかった。誰かから遊びに誘われるっていう何でもない出来事が、世界の運命を大きく変えることになる。こんなふうに、世界の命運に大きく関わっているけど、一見は日常に見える出来事のことを、
「アスグイはね、運命点をねじ曲げちゃうんです。人の感情を大きく揺さぶって、本来とは別の行動をとらせようとする。そして、運命点となる出来事が起こらないように仕向けちゃんです。そうなったら、アスグイは、あの世界から現実世界に飛び出してしまいます」
「あの世界って、さっきの、時間が止まっていた世界?」
イーちゃんの言葉に私が反応すると、アーくんがうなずく。
「そう。あの世界は、アスグイを閉じ込めておくための造り物。だから、こっちに帰ってきたら、壊されたものは元通りだったでしょ。でも、アスグイの方から、こっちにやってきたら? 当然、壊されたものは戻らないし、人を殺めたら——」
私の背筋がゾクリと震えた。
「アスグイが現実世界に来るのを止めるには、どうしたらいい?」
こんな時でも平静な鈴村くんの声に、私の身体の震えも収まっていく。
「アスグイがねじ曲げた運命点を、もとに戻せばいいんだよ」
「……つまり、本来起こるはずだった出来事を、その通りに発生させればいい、と」
鈴村くんが話をまとめてくれるおかげで、私もかろうじてついていけている。
「でも、その出来事がなんなのかって、どうやって知ればいいの?」
「それは私たちに任せてください! ね、アーくん」
「そうだねイーちゃん! 僕たちの愛の力で、運命点を修復しようね!」
抱き合った二人は、お互いの頬をこすり合わせている。ハートマークの幻覚が見えた。
アーくんとイーちゃんは、仲睦まじく手を繋いで、プカプカとどこかに飛んでいく。
顔を見合わせた私と鈴村くんは、とりあえず二人についていくことにした。
——二人が飛んでいった先は、大きな池の前だった。池の周りを歩く人達で賑わっている。自動販売機の近くで、アーくんとイーちゃんはピタリと止まった。
「あの人たちが、運命点を起こす人たちだよ」
アーくんが指を差したのは、二十歳くらいの男女——たぶん恋人同士だ。数歩近づいた私たちは、二人の話している内容を聞いてみる。
「だからさ、そうやって他の女の子にもニコニコしてるから、自分のこと好きなんだって誤解されちゃうんだって!」
「俺、そんなつもりじゃ……立ちくらみがしたって、あの女の人が言ったから……」
「具合の悪い人が、あんなにニヤニヤできるわけないでしょ!」
ウエーブヘアーの女の人の声は高く張りつめている。一方で、うつむき気味の、眼鏡をかけた男の人はモゴモゴと口を動かしている。
カップルを指差すイーちゃんが口を開く。
「あの二人は本来、結婚して、子どもを授かるんです。その子が、世界を変える大発明をするんですよ。その未来を、アスグイが変えようとしているんです。あの女性のモヤモヤとした気持ちを増幅させて、喧嘩をさせているんです。そうして二人を別れさせようとしている。本来は、あの二人が仲直りする出来事が起きるんですが、アスグイのせいでその出来事がなかったことにされているんです」
つまり、「仲直りする出来事」っていうのが「運命点」なんだね。その運命点を、アスグイが消しちゃったんだ。
イーちゃんがため息をついた。そんなイーちゃんを横目に、鈴村くんが言う。
「つまり、あの二人を仲直りさせればいいわけか」
「なるほど。それじゃあ、仲直りの方法を、教えてくれるかな?」
私が尋ねると、アーくんとイーちゃんが、ピッタリ同じタイミングで、首をかしげた。
「それは、ミチビキ人である、君たちが考えるんだよ?」
思わず「え?」と間の抜けた声を出す私に、イーちゃんが追い打ちをかける。
「私たちのお役目は、出現したアスグイを静めることです。あの人たちを、本来の明日へ導くのは、ミチビキ人のお仕事なのです。私たちは、ミチビキ人以外には見えませんから、この世界に干渉することができないので」
「だ、だって、僕たちの愛の力で運命点を修復するって」
「僕たちのタロットが、あのアスグイに有効だった——つまり、今回の運命点の修復のヒントは、『THE LOVERS』のカードが示しているってわけ」
……なるほど。ヒントはタロットカードってことだね。そして、解決方法は私たちに丸投げってわけか。
「タロットの意味か……あまり詳しくないからな」
顎に手を当てて考え込む鈴村くんの適応力、SSSランクはありそうだ。こんな非日常に誘われても、声のトーンが変わらないのは才能だと思う。
『THE LOVERS』のタロットがヒントになっているなら、まずはカードの意味をおさらいしないとね。
「『THE LOVERS』のカードは、蛇に誘惑される前の、アダムとイヴを描いたカードなの。名前の通り、大切な存在とか、すてきな出会いとか、恋愛に関する意味をあらわすことも多いんだけど。もっと広く、協力とか、繋がりって意味もあるんだよ」
「そうなのか。今回はどの意味になるんだ?」
「……分からない」
私と鈴村くんは同時に肩を落とした。
タロットカードの魅力は、占われる人によってカードの持つ意味が変わるところ。その特徴が、今においては敵になっちゃってる。あのカップルに合っている意味はどれだろう?
考え込む私たちをよそに、アーくんとイーちゃんは頭をなであっている。顔だけを私に向けたアーくんが言う。
「アスグイの攻撃を、よく思い出して。アスグイは運命点を壊す立場。だからアスグイは、運命点の修復に必要なものは捨てているってこと。つまり、アスグイに欠けていたものこそ、運命点の修復に必要なものってわけさ」
アスグイの攻撃……? 腕を振り回していたことしか覚えてない。
なんの手掛かりも見つけられない私の横で、鈴村くんが口を開く。
「戦っている時も疑問に思っていたんだが……あのアスグイは『必ず片腕ずつで攻撃してきた』んだ」
「片腕ずつ?」
「あれだけの体格差があったんだ。両腕を同時に振り下ろされていたら、対応できなかったと思う。こっちにとっては良かったが、どうして両腕を一緒に使わなかったのかが不思議だ」
言われてみると納得する。
アスグイの手は、片方が女の人で、もう片方が男の人の顔だった。つまり、それぞれの人が、バラバラに行動しているのが「弱点」ってこと?
「……それなら、今回の場合、恋人のカードは『協力』って意味じゃないかな。ふたつの腕が協力していれば、私たちを倒せたのに、それをしなかった……あのアスグイには『協力』って言葉がなかったんだと思う」
私の言葉に、鈴村くんがうなずく。
とりあえずキーワードは分かったけど……
「でも、あの男の人って、もうみんなに優しくしてるんだよね、たぶん。それが、女の人にとってはモヤモヤの種になっている、っていう話なんだから……」
さっきの会話の内容を整理すると、こういう意味のはず。だからもう、男の人は、じゅうぶん協力的なんだよね……
「それなら、誰かに協力するといいっていうのは、男の人でなく、女の人に対して言っているんじゃないか。あの女の人が、誰かに手を貸しているところを、男の人に見せればいい」
鈴村くんにタロットカードの知識はないはずなのに、やすやすと結論を出せちゃうあたり、地頭のよさがにじみ出ている。
女の人が誰かを助けているところか……たぶん、本来は何かしらの事件が起こるはずだったんだ。それで、事件に巻き込まれて困っている誰かを、女の人が助けてくれるはずだった。だけど、その事件をアスグイが食べちゃったんだ。
それなら、代わりの事件を用意しないといけない。でも、そんなに都合よく事件は転がっていない。ぽかぽかの太陽に照らされている公園で物騒なことが……いや、アスグイは出たけど。
……あのカップルは主役なんだ。世界を動かすヒーローとヒロイン。それなら私は、そんな主人公を引き立てる脇役なんだ。
すうっと息を吸いこんだ私は、背中を丸くして、口をおさえて、ふらふらとした足取りで、主人公たちに近づいた。ハッとしてからついてくる鈴村くんとイチャイチャ精霊二人組。
「すみません、お手洗いは、どちらでしたっけ……?」
聞こえるか聞こえないかの瀬戸際の、か細い声を女の人にかける。先に慌てたのは男の人だった。
「だ、大丈夫? スタッフの人を呼んでこようか」
私はプルプルと首を横にふる。そして、女の人に眼差しを向けた。無言で。
「……私、この子に付き添うから、ここで待っててくれる?」
厳しい表情になった女の人は、男の人に声をかけてから、私の背中に手を置いてくれた。その手で背をさすりながら、お手洗いの方まで、ゆっくりと歩いてくれる。
人々の賑わう声が小さくなった頃合いで、無事に女性用のお手洗いにたどりついた。
「ありがとうございました」
「別に……同じ女じゃないと、ここに入れないでしょ」
女の人はぶっきらぼうな声色で言った。
私を助けてくれるのは、この女の人じゃないといけない。男の人じゃいけなかったんだ。だから「お手洗いに行きたい」って言ったんだ。女性用トイレに行きたいとなれば、確実に、男の人じゃなくて、女の人についてきてもらえるからね。
私の過呼吸(演技)が収まるまで、女の人は私の背中を撫でてくれた。
呼吸をゆっくり整え(る演技をし)た私は、女の人に深く頭を下げる。
「あの、ありがとうございました。だいぶ良くなりましたので、もう大丈夫です」
「それならいいけど……隣にいた彼氏には黙っていたってことは、女じゃないと付き添えないところに行きたいんだろうな、って思っただけよ」
隣にいた彼氏……って鈴村くんのこと?
ここは否定しなければ鈴村くんの名誉が——とは思ったけど、頭にアスグイの姿が浮かんできて、優先すべきことがあったのを思い出す。
「こんなふうに、知らない人に優しくしてくれるお姉さんの恋人は、幸せですね」
女の人は、眉はひそめて、目は丸めてという複雑な顔をしていた。怪しいものを見る視線を残したまま、女の人はお手洗いから出て行った。
……さすがにちょっと強引だったかな。
最後の台詞で私が伝えたかったことが、女の人に通じていればいいけど……
私は特に意味もなく手を洗って、髪を整えて、時間を潰す。十分は経たないくらいの時間を使ってから、私はさっきの自動販売機へと戻った。
自動販売機の前には、鈴村くんとアーくん、イーちゃんしかいなかった。
「あの二人は……?」
「喧嘩をやめて、歩いていった。男の人が、君だって優しいね、そんな君が一番だよ、みたいなこと言って」
私は胸を撫でおろした。びっくりするくらい多くの息が出た。
女の人に私が言った言葉は、そのまま男の人にも当てはまる。誰にでも手を差し伸べる男の人。そんな彼の恋人である女の人も、幸せなんだ。他人に優しくできる者同士、お似合いのカップルなんだ。
「よかったですー。運命点が戻りました」
イーちゃんがほほ笑むと、アーくんとイーちゃんの身体が透け始めた。
「えっ、アーくん、イーちゃん?」
「運命点の修正が終わったら、僕たちはタロットに戻るんだよ」
「ありがとうございました。これで安心してデートできるね、アーくん!」
「うん、イーちゃん! 僕たちの愛はアスグイにも邪魔できないよ!」
二人はぎゅーっとお互いを抱きしめ合って、そして消えてしまった。二人の身体に巻いていたハンカチが、ひらひらと地面に落ちた。
……あのカップルの人生が映画になったら、スタッフロールで流れる私の役名は『公園の中学生』あたりがいいところだろう。
でも、これでいいんだ。私は引き立て役。主役をハッピーエンドに導けたのなら、それでいいんだ。
「月嶋。具合は大丈夫なのか」
鈴村くんの声は不安定にゆれていた。いつもの真っ直ぐな視線は横にそらされていて、頬にふっくらと朱色がのっている。
「うん。さっきのは、運命点を直すための演技だから。元気だよ」
「そうか……あの人に、なんて言ったんだ?」
「えっと、誰にでも優しい人の特別な存在になれるのって、幸せですね、って」
「いや、それも気になったけど……月嶋のこと、彼女って言われたから」
あああああ! 鈴村くんの名誉を守るの忘れてたああああ!
「ご、ごめんなさい! 誤解を解く暇がなくて——」
「謝らなくていいんだけど……」
鈴村くんは手の甲を口に当てて、伏し目になった。鈴村くんでも、こんな顔になるんだ。そんな顔になっている理由は分からないけど。
中学生相応の鈴村くんの表情が、パッともとに戻った。目を見開いた鈴村くんは、ポケットに手を入れる。中から出てきたのは携帯で、鈴村くんはそれを耳元に当てた。
「もしもし……ああ、うん。ちょっと色々。すまない、電話も今まで気づかなくて。いや、具合が悪いとかじゃない。今から行くから」
鈴村くんの声色が、だんだんと深刻になっていくのを聞いて、私はハッと近くの時計塔を見た。
働き者の時計は、一時を刻んでいた。
美香ちゃん達と合流する約束の時間は、十二時だというのに。
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