3枚目 バケモノと不思議なタロット

 小鳥が陽気に鳴いている、気持ちのいい朝。いつもなら、カーテンを開けて深呼吸をしているところだ。今日はそうもいかない。

 ついに土曜日がやってきたからだ。そう、「王子様とお姫様の親睦会」の当日だ。

 私は黄緑色のブラウスと、クリーム色のスカートを身につけた。全身が映る鏡の前で、髪型を確認する。ヘアアイロンでくせ毛を伸ばす程度だけど。

 財布や携帯が入っているカバンを持って、私は自分の部屋を出る。階段を降りて向かう先は台所だ。お姉ちゃんと大翔が、テーブルの上の白い箱を覗き込んでいた。私は二人に「おはよう」と声をかけて、横を通り過ぎる。

 冷蔵庫を開けた私は、水筒とお弁当を保冷バッグに詰める。お弁当といっても、簡単なおにぎりだけど。

 私が行きたい公園に付き合ってもらうんだから、何かお返ししないとね。

「日景、出かけるの?」

 私の方を見ないで言った。

「うん」

「それじゃあ、叔母さんが買ってきてくれたケーキ、陽詩と大翔の分でいいわね。二個しかなかったから」

 私は答えなかった。最初から二個しか用意されていないケーキ。姉弟きょうだいは三人なのに。

 誰が仲間はずれなのか、お母さんに言われなくたって分かってる。

 お姉ちゃんと大翔が覗いていた箱の中身、ケーキだったんだ。

 主人公たる二人の姉弟は、ショートケーキをかけたジャンケンしている。その様子を後目に、脇役たる私は家を出発した。

 *

 駅に行くには、レンガ道の通学路を通る必要がある。道に沿って植えられた木や花が、お日様の光を浴びてキラキラしている。

 土曜日だから、通学や通勤する人がいなくて、なんだか寂しい。

「お譲さん」

 背中から急に声がした。決して大きい声ではないのに、ハッキリと聞こえた。

 振り返ると、魔法使いみたいなローブを着たおばあさんが立っていた。

 このおばあさん、この間、水川くんと鈴村くんが助けた……!

 びっくりして固まる私に、おばあさんは追加の爆弾を投下した。

「先日はありがとうね。お水をくれて」

 私が水を置いたってこと、知ってるの……?

「あなたになら、これを任せられる」

 おばあさんは、ローブの中から、厚い本を取り出した。高級そうな赤色の本だ。

「困った時は、そこに書いてある呪文を唱えながら、カードにお祈りするんだよ」

 「はあ……」と思わず声が出てしまった。

 本を開いてみると、分厚いわりにページはひとつしかなかった。左のページには横書きで言葉が並んでいる。右側にはカードが入っていた。

 カードを取り出してみると二十二枚あった。枚数がすぐに分かったのは、中央ぬローマ数字がふられていたから。ローマ数字の上には太陽、下には月が描かれている。

 一枚めくってみると、崖の上に立つ男の人の絵が描かれていた。下の方に『THE FOOL』と記されている。

 これって、タロットカード……? だってこれ、どう見ても、大アルカナのひとつである『愚者』のカードだもん。

「あの、これって——」

 私が顔を上げると、おばあさんはいなくなっていた。

 突然、ぶわっと強い風が吹いた。まるで私に、おばあさんの後を追わせないために。

「どうして私に、タロットカードを……?」

 タロットカードを作っている人や会社はたくさんある。だけど、この絵デザインのカードは見たことがない。

「……って、急がなきゃ遅刻しちゃう!」

 今日のメイン行事を思い出した私は、鞄に本をしまってから、小走りで駅に向かった。

 *

 駅前には、お休みを満喫しようとする人たちが、老若男女問わずに入り乱れている。

 その中でも、一際ピカピカとしている三人組がいた。三人の脇を通る人たちが、熱のこもった視線を向けたり、上ずった声を発したりしている。

 その三人というのは、私のクラスの主役たちだ。王子二人にお姫様。

 ……私、この三人の中に混ざらないといけないのか……

「あ、月嶋さん!」

 水川くんが腕をあげて手招きをした。ベージュのゆったりとしたシャツだけど、だらしなくないどころか、今っぽいと感じるのは、さすが天性の主人公だ。

 水川くんの隣に立つ鈴村くんは、背中がまっすぐ伸びていて、りりしい立ち姿をしている。紺色のテーラードジャケットが大人っぽくて、高校生と思われてもおかしくない。中学生っぽい要素をあげるとしたら、私を見て目をパチクリとさせているところだ。

 この間もそうだったけど、まじまじ見られると、口元にご飯つぶがあるのかなって慌てちゃうよ。鈴村くんの目線って直線的だから、なおさら。

「日景ちゃん、おはよう」

 そして、私のところに、可愛らしい歩幅で駆けてくるヒロイン。真っ白なワンピースに水色のカーディガン。ガーベラがついた麦わら帽子。絵本の中のお姫様みたいだ。

 私の前に立つ美香ちゃんの、ふわふわでツヤツヤな髪の毛が、お花の香りを運んだ。

「月嶋さん。今日はありがとう」

 水川くんのほほ笑みにはマイナスイオンが含まれてるって、わりと本気で思ってる。

 というか、美香ちゃんを連れてくる餌でしかない私に、お礼を言ってくれた人なんて初めてだ。これが誰にでも優しい主人公の器というものですか。どこまでもヒーローだ。

「ほら、蒼も何か言いなよ」

 水川くんが、鈴村くんを肱で突いた。鈴村くんは困った顔でそっぽを向く。

 美香ちゃんとお近づきになるための協力者である鈴村くんに、水川くんは感謝するべき立場のはず。それなのに、鈴村くんにこんな顔をさせるとは……いや、それだけ二人が仲良しってことなのか。

 結局、鈴村くんが何か言うより前に、バスが到着した。

 *

 花光公園は、快晴プラス土曜日という好条件のおかげか、多くの人で賑わっている。

 白とベージュのレンガ道が、お客さんを色々なスポットへ導いてくれる。大きな池の周りをウォーキングできる場所や、テラス席のあるレストラン。お土産屋さんの入った館に、巨大トランポリンやターザンロープが楽しめるアスレチックゾーン……一日じゃ回り切れないくらいに大きい。

 入園料を払って中に入った私たちは、他の人の邪魔にならないように端に寄った。

 お父さんやお母さんと手を繋いで大はしゃぎしている子どもや、何やら言い合いをしているカップル、杖をつきながらゆっくり歩く老夫婦まで、多くの人が通り過ぎていく。

「それじゃあ、しばらく別行動にしようか」

 人差し指を立てた水川くんが言う。ちらっとスマホを見た水川くんは、口角をなだらかに上げている。

「今が十時前だから、十二時に、あそこの館前に集合でいいかな。ちょうどお昼だし」

 水川くんの提案に、美香ちゃんはおどおど。鈴村くんはだんまり。

 ……これって、私が聞かないといけない空気?

「集合って、いきなり別々で行動するってこと? 最初は四人でプラプラ歩くんじゃなくて……?」

「だって、もったいないでしょ。せっかく大事な時間をもらったのにさ。ね、蒼」

「……」

「そういうわけだから、行こう、朝比奈さん」

 いやいや、鈴村くんは何も答えてないけど。

 水川くんは、美香ちゃんの白い手をとった。美香ちゃんは「はわっ」と小動物のような声を上げる。二人はそのまま人の流れに混ざっていった。

 うわー、完全にドラマのワンシーンだ。キラキラの男の子と、ふわふわの女の子が、手を繋いで公園を歩く。見ている方がニヤニヤするような——

 ——そうじゃないよ! いきなり美香ちゃんと二人きりになる度胸があるなら、私なんて最初からいらないじゃん! まずは友達を介して緊張の糸をほぐしてから、満を持して二人の仲を深めるんじゃないの? 最近の流行は、グダグダせずに、いきなり見せ場が来る話ってことなのかな。脇役には分からない、主人公の心得があるのかな!

 私と同じく置いていかれた鈴村くんは、眉根をよせて、目尻を下げている。

 ほら、鈴村くんも困ってるよ! 友達の恋を応援するために来たのに、なんで唐突に、餌役兼脇役と二人にされてるんだーって顔だよ! 段階踏めよって訴えてるよ!

 鈴村くんの内心を、私がまじまじと考察していたからだろう。鈴村くんの顔が、少しだけ私の方に向いた。

 …………。

「……バラ祭りって、どこでやってるんだ?」

 ぎこちない沈黙を破ったのは鈴村くんだった。

「え? えーっと、バラのそのコーナーだから……左、かな」

 私の答えを聞いた鈴村くんは、外国の彫刻かと思うくらいに長い足で歩き出す。

 足元に転がってきた空き缶を拾って、ゴミ箱に捨ててから、私はその後を追った。

 *

 約八百品種のバラが咲きほこる、バラ祭り。バラで出来たアーチをくぐると、これまた色とりどりのバラがお出迎えしてくれる。

 右も左も綺麗なバラに囲まれて、まるでエデンの園にいるみたいだ。エデンの園は、大アルカナのひとつ、『THE LOVERS』——「恋人」のカードに描かれている場所だ。エデンの園に立つアダムとイヴを表しているタロットなんだよ。

 穏やかな風にのって、ふわりとバラの香りがする。これが私一人か、美香ちゃんと二人で来てるんだったら、すっかりバラに夢中になっているところだけど。

 私はそっと隣を見る。本当の美男子というのは、横顔でも非の打ち所がない。水川くんが太陽の下でマイナスイオンを振りまく好青年なら、鈴村くんは月の下にたたずむ美青年だ。

 水川くんと美香ちゃんが仲良くなるのにあたって、それぞれの友達である私たちも、お話しくらいはできるようにならないとダメだよね……まあ、水川くんの圧倒的主人公的行動力があれば、脇役のサポートなんていらない気もするけど。

「鈴村くん、この間のケガは大丈夫? ほら、野球ボールから女の子をかばったって」

「ああ。本当にたいしたことなかったんだ。爽人が大げさに言っただけで。もとから鍛えているし」

「鍛えてる? 鈴村くんって、なにかスポーツをやっているの?」

「空手。学校には空手部がないから、個人的に習ってる」

 私は首を縦にふった。たしかに、立ち姿がピンとしてるなーとは思ってた。それに、手の形も大きくてハッキリしてるし——

 ——って、どこを観察してるの、私!

 私はブンブンと首を横にふった。

 ……あれ?

 もう頭は動かしていないのに、視界がまだフラフラしてる。なんだか汗がにじんできた。

「疲れた?」

 おぼろげに映る鈴村くんの眉が、わずかに下がっているのが分かった。

 鈴村くんの声は、芯が通っているから、なんだか落ち着いて、安心してしまう。だからつい、本音が出てくる。

「ちょっと、めまいがして」

 私が言ったとたん、鈴村くんの大きな手が、私の背中に回る。私が「え」とか「あの」とか言ってる間に、私は鈴村くんに抱き上げられていた。俗にお姫様抱っこと呼ばれている。

「あ、あああ、あの、だ、大丈夫、歩ける、歩けるから! 大したことないから!」

「熱中症かもしれない」

「本当に大丈夫だから!」

 あああああ周りの視線が痛い! びっくりしてるおばあちゃん、キャーキャー言ってる女子高生、舌を出して高速でシッポをふってる犬。脇役の私には耐えられない視線攻撃。

 お願い、私以外の時間よ、止まってええー!


「わっ!」

 心の中で叫んだ瞬間、私のカバンが、真っ白な光を放った。私はとっさに目を閉じる。

 ……もう、収まったかな……?

 私がおそるおそる目を開けると、空間が固まっていた。人も犬もまばたきひとつしない。バラもまったく揺れない。というか、風もまったく吹いていない。まるで、本当に時間が止まったみたいだ。

「どうなっているんだ、これは……」

 上から降ってきた耳触りのいい声で、私は気がつく。

「私と鈴村くんしか、動けないの……?」

 もっと詳しく状況を知りたい。鈴村くんに抱かれたまま、私は背中を起こして、鈴村くんの後ろを見る。

 大きなバケモノがいた。まがまがしい紫色の。

「ひっ……!」

 私の引きつった声を耳にした鈴村くんは、私をおろして、さっと振り返る。

 バケモノの高さは、学校と同じくらい。横幅も二十五メートルプールと同じくらいある。

 二本の腕が、うねうねとうごめいている。腕の先にあるのは手じゃなくて、人の顔だ。ひとつは男の人、もうひとつは女の人の顔。

「ドウシテ、アタシダケヲ、ミテクレナイノ!」

 私の肩がビクンとはねた。女の顔の部分が、突然喋り出したんだ。キンキンと響く金切り声に、気持ち悪さがこみあげる。

「ボクハ、ホントウニ、キミガイチバン、スキナノニ」

 今度は男の顔が口を開いた。声のトーンは低くなっているけれど、相変わらず、頭の中でガンガンと暴れ回る音だ。

「ウソ、ウソ、ウソ!」

 女の顔が発狂すると、バケモノが、女の顔がついた方の腕を高く上げた。

 そして、バラのアーチに向かって、思い切り叩きつけた。

 グシャ——ッ! と音を立てて、無残な姿になるアーチ。それは、バケモノの怪力を示すのに充分すぎた。

 あんなのに潰されたら、間違いなく死ぬ。私の身体が震える。歯が音を立てる。

 ザッという足音がした。音のした方を見ると、険しい表情の鈴村くんが、私の一歩前に出ている。

「逃げろ、月嶋」

「そ、そんな、鈴村くんは」

「俺が時間を稼ぐから」

「そんなのダメだよ!」

 思わず私の声が大きくなる。これが人生最大の失敗だった。

 バケモノが私たちを見た。私の声が聞こえたからだろう。

 男の顔がついた腕が、ゆらゆらと天に突き上げられる。

 鈴村くんが、左手と左足を引いた。向かってくる男の顔。ひねった身体が戻る勢いを使って、鈴村くんの左拳が、バケモノの腕に当たる。腕の軌道がズレて、何もない宙を切った。

 鈴村くんは歯を食いしばっている。正面から受け止めたわけじゃないとはいえ、あの剛力を相手に、なんの衝撃もないわけがない。

 何とかしなきゃ。助けて、誰か、何でもいいから……!

『困った時は、そこに書いてある呪文を唱えながら、カードにお祈りするんだよ』

 私の頭に、おばあさんの声が降ってきた。

 そうだ、この言葉と同時にもらった、タロットカード……!

 しゃがんだ私は、震える手を使って、息を乱しながらカバンを開けて、本を取り出す。

 さっき私のカバンの中で光ったのって、この本なんじゃ……!

「あっ!」

 地面が揺れて、カードが飛び散ってしまった。ハッと顔を上げると、女の顔がバラの花に突っ込んでいた。鈴村くんの足が高く上がっている。攻撃を足で弾いてくれたんだ。

「お願い、助けて、鈴村くんを……!」

 ほとんどのカードがバラバラになった中、唯一手元に残っていたのは『THE LOVERS』のカード。

 私はカードをバケモノの方に向けて、本に書いてある呪文を唱える。

「世界を象徴せしタロットよ、我に、正しき明日を導く力を与えたまえ!」

 次の瞬間、タロットから、まばゆい光線が放たれた。光がバケモノにぶつかると、ガガガガという衝撃が、私の両手に伝わってきた。私はすべての力を両手にこめる。

 負けるな、負けちゃダメだ、踏ん張れ私……!

 衝撃が痛みに変わり始めて、手が焼けるんじゃないかと思った時。

 大きくて力強い手が、私の手に重なった。

「鈴村くん!」

 鈴村くんは無言でうなずく。うなずき返した私はバケモノに向き直る。

「いっけえええええ!」

 私が叫ぶと、光線の太さと勢いが増した。バケモノがのたうち回る。その身体が、少しずつ粉になって、天に昇っていく。

 そうしてバケモノが完全に消えたと同時に、世界が再び動き出した。

 私は尻餅をついた。隣にいる鈴村くんも呆然としている。地面にはタロットカードが散らばっている。そんな私たちに、周りの人はいぶかしげな視線をぶつけてくる。

 だけどそんなの、私はまったく気にならなかった。

「はじめまして! あなたが私たちを呼んだ、ミチビキびとですね!」

「ちゃんと挨拶ができて偉いね! さすがイーちゃん!」

 私の目の前で、手のひらサイズの女の子と男の子が、プカプカと浮いているからだ。

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