第37話 大神真一という男

 本部に呼び戻された大神は軍法会議にかけられて……、などいなかった。軍法会議は大神を本部に呼び戻すための口実に過ぎなかった。そもそも一介の事務職員の避難がうまくいかなかったことをいちいち軍法会議にかけていてはらちがあかない。


 もし本気で今回の件について軍法会議をかけるのであれば、お留守番していた大神にではなく、ブルックヤード泊地をゴッソリもぬけの殻にする命令書を書いたフォスター大佐とそれを依頼したノルマン大佐がかけられるべきである。けれども軍の上層部にはでノルマン大佐を相手取って喧嘩する度胸のある者はおらず、むしろ今回のブルックヤード急襲は意図的な戦力削減に目をつけられたことが原因だろうと厳しくつっつかれてしまったため、結局この話はなあなあにされてしまった。


 そんな大神だが、彼は今、連合軍の情報局情報部に顔を出していた。というのも彼の元々の任務はティルの暗殺計画の噂の真偽を確かめるため、ブルックヤード泊地内の人間を調査することだったからだ。


「これがクロアベル大尉の周辺について調べたものになります」


 情報部長であるリオンスキー大佐は大神から渡された手書きの報告書を受け取り、丁寧にページを送った。


「ふむ…。泊地の駐在員自身には怪しいところはないと…」

「ええ。クロアベル大尉周りで怪しいことを無理やり挙げるとすればやはりブルックヤード泊地をもぬけの殻にさせた命令書とエーデルガイドの侵攻のタイミングの良さでしょう。エーデルガイドの侵攻を見計らって命令書が出たのか、逆に休職命令の情報がエーデルガイドに漏れたのか、はたまた偶然か…」

「これ、偶然じゃないと容疑者君になっちゃうんだよねぇ」

「ですよねー」


 ティルたちの突然の休職命令は、大神が一枚噛んでいた。休暇が取れないティルのためにストレートに上の人に「休暇をあげてちょうだい」と言っても、跳ね返されるだけであることは分かりきっていた。どうやって言い訳を作ろうかと考えた時、「外出してもいい理由」ではなく、「滞在してはダメな理由」を作っちゃえば手っ取り早いのではないかと思ったのだ。そこでリオンスキー大佐宛に暗号通信を送ったのだ。


「ブルックヤード泊地。着服の疑いあり」と。


 そんな連絡があったら調査は当然必要。ただ調査が必要な具体的な根拠は乏しいので、情報部や主計局から捜査員を派遣できない。それなら一度全員を追い出しちゃって、その隙に大神が調査しちゃいましょう、と。


 こうしてティルエール休暇大作戦は施行されたのだ。エーデルガイド帝国軍の侵攻のせいでちゃぶ台をひっくり返されたが。


「ちなみに個人的な意見を聞きたいのだが、今回の件、偶然と思うかい?」


 その質問が出た時彼の頭の中には1人の人物の顔が思い浮かんだ。

 





 ヨナ・アルナヤ。

 





 本名ヨナ・ブルムバーグ。

 





 彼女はエーデルガイドの出身者だった。彼女であれば情報を漏洩するインセンティブはあるし、そもそもティルの休暇を強く勧めたのは他でもない彼女だ。今回の件が偶然でないとするならば明らかに彼女が容疑者の1人に挙がる。


 けれどもユナとの会話を聞いた限り、口裏を合わせてない限りは、彼女は脱走兵らしい。本当にヨナがスパイだったなら彼女たち2人は互いのことを認知していないふりをすればよかったのだ。


 もっとも、ヨナの本当の上司がユナではないまったく別の人物であり、その人物から命令を受けている可能性もあるのだが……。


 ちなみにヨナがエーデルガイドからの亡命者だという情報はどこにも落ちていなかった。藪蛇やぶへびの可能性もあるので、人事局や情報部にヨナのことをストレートに問い合わせなかったというのも理由の一つである。いずれにしても彼女に関する情報は不明瞭なままだ。

 



 彼女は本当に亡命者なのか?

 



 それともスパイなのか?

 



 はたまた亡命者でもスパイでもない別の可能性があるのか?

 



 現時点では何も分からなかった。

 

「グレーですね」


 大神は自分の考えを素直に答える。その言葉を聞いてレオンスキーは「そうか」とだけ返した。


「今回もありがとう。君もしばらく休むといい」

 

 *******

 

 大神によるクロアベル大尉の周辺調査は終了した。暗殺計画問題については引き続き情報部が調査することになるだろうが、大神は情報部の職員でもなんでもないので、これでお役御免になるはずだ。


 ちなみに今回のブルックヤード襲撃の一件も兼ねて、大規模な再編計画が持ち上がったらしい。それに合わせて情報部は本格的にブルックヤードに護衛を派遣する計画を立てたとか。不満は出たものの反対はでなかったらしい。


 正直いえば大神自身はあまりなんの役にも立たなかった。ティルに休暇をプレゼントすることができたかもしれないが、ブルックヤード急襲の混乱を招いてしまったし、護衛派遣のきっかけもエーデルガイドによる急襲が原因で大神の調査によるものではないからだ。


 それでも結果オーライだと開き直り、大神は自分へのご褒美に街中にあるとある店へと赴いた。

 

 Barエルフィン。

 

 そう書かれた看板の掲げてある建物の中に入り、地下へとつながる階段を降りていく。一番下に辿り着き、扉を開けると中は女性の声で賑わっていた。


 入ってきた大神の姿を見て一瞬だけ会話は途切れたが、彼を無視するようにすぐに会話が再開した。


 大神はまっすぐカウンターへと進み、空いている椅子に座る。右目に眼帯をはめたエルフのマスターが近づき、「久しぶりだな」と聞いてきた。


「やっと仕事が一段落したんだ。しばらく飲んだくれるよ」

「そうか。で、今日は何にするんだ?」

「なんか適当にウィスキーをロックで。種類は任せる」

「分かった。一番高いやつを入れよう」

「やめてくださいお財布が死んでしまいます」


 くだらないやり取りをやってからマスターは氷の入ったグラスを大神の目の前に置き、ウィスキーを注いだ。


 グラスを手に取り、縁に口を軽くつけ、ウィスキーを舌で舐める。久しぶりの酒の味。仕事が一段落したんだという実感が湧く。


「ああ。そろそろいい加減争いのない楽な仕事に就きたいなぁ……」


 グデンとカウンターの上に体を乗せる。そんな大神の姿をマスターは知らんぷりした。


 1時間ほど過ぎたあたりでお店の扉が開き、店内が静かになる。けれども大神が入ってきた時と違ってガタガタと椅子が動く音が聞こえた。


 しばらくするとまた談笑が始まる。


 そんな周りの様子に知らんぷりをして不貞寝を決め込んでいると。隣の椅子が動いた。軽く顔を向ければ見知った女性が座っていた。


「今回もお疲れ様でした」

「いえいえ。ねぎらいよりも転職先をください。


 大神の語気は自然と強くなっていた。


 大神の運の悪さはピカイチで、毎年一度は物理的な紛争か、もしくは法的な紛争に巻き込まれている。そして残念なことに今年もまた紛争に巻き込まれてしまったのだった。


「今になってみれば例年よりはマシかな?って思いますが、客観的にみれば明らかに1番ヤバかったですよね?」

「大丈夫ですよ。あなたの最悪は毎年更新されてますから」

「ぶっ…」


 危うく下品な言葉がでかけた。


「はあ…。ともかくそろそろ内地でのんびり暮らす仕事を斡旋してください」

「本当に辞めたいんですか?」


 女性の真剣な言葉に大神は一瞬固まり、顔を彼女に向ける。


「エレーナが言っていましたよ。あなたを取り戻したいと」

「ノルマン大佐が…?」


 エレーナ・ノルマン。大神がブルックヤードに派遣される前のそのまた前の部署の上司。今回のブルックヤード派遣からティルの休暇に至るまで、色々と手を回してくれた女性将校だ。そんな彼女が大神を再び直属の部下にしたいと希望を出してきた。


「今回の一件で分かったと思いますが、連合軍は足並みを揃えられないと最悪の場合、部隊や艦隊の壊滅に直結します。『ブルックヤード防衛に成功』は耳障みみざわりが良いですが、実際のところ死者行方不明者1万人以上という甚大な被害を出しただけの戦災に過ぎません。特にクロアベル大尉の敗北は上層部でもかなりショッキングなニュースでこれまで楽観視していた南方情勢を考え直す方々が増えたほどです。ですが連合軍全体を監視し、統率するのは至難のわざ。その中でもあなたという人はかなりバランスよく、的確に仕事をこなしてくれているので、仕事がずいぶん楽になっていると。

 例えばクロアベル大尉の休暇問題は誰もが理解していても見て見ぬ振りをしてきた問題でした。あなたはそれをうまく拾い上げて、批判を交わす口実まで用意した。いろんな部署を巻き込みましたし、ブルックヤード襲撃事件ともタイミングが重なってしまいましたが、それでもやっぱり見事な手腕と言わざるを得ません。彼女に限らず、あなたを評価している人はちゃんと評価しているんですよ」


 女性の言葉に大神は若干むず痒さを抱えた。この手の仕事をやってきて面と向かって褒められることなどなかなかなかったから。


「あなたは確かに必要とされている人です。でも実際働き続けたいかどうかはあなたのモチベーション次第。だからどうしても辞めたいのであれば、ご希望に合わせて次の転職先を用意しますよ。まあ、あなたのあげた条件に確実に合うのだと知り合いのところの神主さんくらいしかないのですが……」

「軍人やって、職人やって、事務員やって、聖職者か……。それはまた面白そうな経歴になりますね」

「そうしますか?」


 彼女は笑みを浮かべているが、けれどもその問いは真剣なものであった。自分の返事ひとつで次の進路が決まってしまう。簡単に首を縦に振れないし、横にも振れない。


 大神はしばし悩んだ。


 そして半刻が過ぎたところで、やっと口を開いた。


「20代で神主やっちゃうと、その次の転職先が味気ないものになりそうですね」

「ふふ。悪くないとは思いますけど」

「ははは。今回は遠慮しときます。純粋な気持ちで俺のことを必要としている人がいるなら、しばらくはそこで働きますよ」


 大神のその返答に女性は「分かりました」と答えた。


「ではエレーナには私の方から伝えておきますね」

「はい。よろしくお願いいたします。んじゃ、俺は帰らせてもらいますね」


 会計を済ませ、女性に手を振ってからお店を出ていく。


 秋の風は心地よく、自分は本当に内地にいるのだと実感させられた。


「さて…。次の仕事も頑張りますか…」


 大神は上機嫌に鼻歌を鳴らしながら宿舎へと向かうのだった。

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