第36話 戦いの終わりに

 ティルが目を覚ますと見慣れない天井があった。天井は鉄でできていて、しばらくしてから自分が船の中にいることに気がついた。


「あ!ティル!」


 聞き慣れた声に顔を動かす。


「あら、ニーア。元気そうね」

「それはこっちのセリフだよ!あんな激しくやり合って!心配したんだから!」


 プンスカと頬を膨らませるニーアに苦笑を漏らしながら、ティルは起き上がった。


「そういえば戦闘の結果はどうだったかしら。記憶にある限りだと、敵はブルックヤードから撤退してくれたはずなんだけど…」


 誰かとの直前のやり取りを思い出しながら呟く。


「そうだよ。ブルックヤード上空にいた空中戦艦も、シェール軍港に向かっていた空中戦艦も全部撤収。ブルックヤードは見事守り切ったの!まあ、基地はボロボロなんだけどね……」


 どこか遠い目をするニーア。これはあまり期待しないほうがいいのかもしれない。


 小さなため息を吐きながら布団から降りる。


「ダメだよ!ちゃんと安静にしなきゃ!」

「大丈夫よ。意識はあるし痛みもない。それよりも私はどれくらい寝てたのか教えて」

「ええっと……、1週間くらい?」


 それを聞いてティルは「そう」とだけ呟く。思っていたよりも長いこと意識を失っていたようだ。


「1週間も寝れば十分でしょ。それよりここはどこ?」

「第4艦隊旗艦、ミサイル巡洋艦ミーニャスの医務室だよ。さっきも言った通りブルックヤード泊地はボロボロだから船を接舷させて仮司令部と仮医務室をここに置いたの」


 第5艦隊の暴走によりミサイル攻撃を受けたブルックヤード泊地は文字通りボロボロで無事な建物など何一つなかった。しかし完全な無人島にするわけにもいかず、第4艦隊が接舷して一時的に基地機能を担っている。


「ああ……、そうだ……、とても大事なことを忘れてたわ……」


 ティルはゆっくりとニーアに顔を向ける。


「オオカミとヨナは無事?」

「うん2人とも無事だよ」


 戦いのどさくさの中、大神とヨナは哨戒艇に乗ってブルックヤード泊地から退避していた。空中戦艦が泊地から完全撤退している頃を見計らって、第4艦隊に救助されたらしい。2人とも大した怪我はなく、無事とのこと。


 それを聞いてティルは初めて安堵の表情を浮かべた。


「良かった…」

「あ、あの…、ティルは本当に大丈夫?」


 恐る恐るという感じで聞いてくるニーアに「何が?」と聞き返す。


「エーデルガイドのエルフ将校との戦い。あの時のこと覚えてるかなあって」

「ああ……」


 ティルは少しずつ思い出していた。空中戦艦を撃ち落としたこと。大神とヨナが無事らしいというのを耳にしたこと。ユナと死闘を繰り広げたこと。そしてユナに負けたこと……。


「私はティルがやっぱり一番強いと思ってるよ!今回はタイミングが悪くて本調子じゃなかっただけで、あんなやつティルならいつでも倒せるんだから!」


 ニーアは拳を握りファイティングポーズを見せる。


 それを見てティルは苦笑した。


「バカね。そんなこと全然気にしてないわ。オオカミとヨナが無事だった。その上ブルックヤードを奪還したのよ。これ以上に嬉しいことってあるかしら?」


 意識を失った時、ユナなら自分にトドメをさせたのではないかとティルは思ったが、自分がこうして無事でいるあたり見逃されたらしい。気まぐれか、それともトドメを刺すほどの体力も残っていなかったのかは謎だ。ただ結果だけ見れば、大層満足のいくものだと言える。


「勝負に負けて、結果を得る。最高じゃない」


 ティルの言葉に「そっか」と安堵するニーア。


「それにしてもオオカミもヨナも薄情ね。ニーアは私が目を覚ますまでそばにいてくれたのに」

「あー」


 ニーアは突然気まずげになった。


「ヨナはフルートの練習しに行ったんだけど、オオカミさんは……、本部に呼び戻されちゃった……」


 聞くところによると、今回の被害拡大の一因は彼にあるのではないかと本部から疑われているとのこと。事務室でちゃんと待機していれば緊急の無線連絡にも対応することができたはずであり、そうしていればブルックヤードから哨戒艇で避難することができたはずだから無理な救援の必要もなく泊地を破壊するほどの不必要な戦闘も起こらなかったのではないかと考えている勢力が真面目にいるらしい。


 知るものからすれば第5艦隊の暴走が原因なのに知らない者には大神が悪く映るらしい。そんな第5艦隊の指揮官だったホフマン・アーチランドは無事生還を果たしたようでシェール軍港侵攻の足止めをしたことを高く評価されたとのことだ。艦隊を壊滅に追い込まれたにもかかわらず。


 ニーアは釈然としない感情を抱いたが、どうもティアは特に思うところがないのか「そう」とだけ返した。


「…心配じゃないの?」

「なんとなくだけど大丈夫な気がするだけよ。戻ってきてくれるならそれが嬉しいけども、きっと彼は別のキャリアだって掴み取っちゃうでしょうから気にしなくていいと思うわ」


 元々経歴が黒塗りの男だ。恐らく、彼には親玉がいて、その親玉が彼のことを守ってくれるはず。そういう期待が、彼女の中にあった。


「まあ、立ち去る前にせめて書き置きくらい欲しかったけども……」

「あ!書き置きならあるよ!」

「え?」


 ニーアは机の上に置いてあった紙を取り出して、ティルに手渡す。


「もうちょっと気を利かせてたくさん書いてあげればいいのにねぇ?」


 手渡された紙には東亜の言葉でただ一言だけ書いてあった。

 





 ありがとう。

 





「わあ!?ティルどうしたの!?」

「え?」


 ニーアが慌てるので何事かと思えば、自分の目元から涙が溢れてるらしかった。


「やっぱりその一言だけってのは気が利かないよね!あとでリリアナさんに頼んでオオカミさんに一喝入れてくるよ!だから泣き止んで!」


 慌てるニーアにけれどもティルは別のことを考えていた。

 



 自分を磔にするためだったが、けれども同時に自分の根城でもあるブルックヤード泊地は破壊し尽くされてしまった。

 



 ユナとの一騎討ちはものの見事に負けてしまった。

 



 オオカミは本部に呼び戻されてしまった。

 



 なんだか今回の戦いでは得るものが何もない。そういう感覚があり、それを無意識に見て見ぬ振りをしようとしている自分に気がついた。




 それをそのたった一言のせいで意識せざるを得なくなった。

 



 得るものは何もなかったはずなのに。

 



 だから今回起きたことについて他人事のように考えようと思ったのに。

 



「ありがとう」の一言で、ティルはあの場の当事者として意識せざるを得なかった。

 



「ありがとうって何よ。私は何もしてないわよ。なんであんたから感謝されなきゃなんないのよ。心配させたんだからせめて言うならごめんでしょ。バカじゃないのあいつ……」


 紙をぐしゃぐしゃに握れしめながら涙を流す。


 その姿を見てニーアは「やっぱヨナの言った通りだなぁ」と小さく呟いた。

 



「オオカミさんが絡むと情緒が不安定になるの」

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