第18話 休職命令 2

 休暇をもらえなかった大神であったが、なんだかんだ言って実は特に思うところはなく、黙々と書類仕事に打ち込んでいた。


 ——— まあ、異動したばかりだし、すぐに休暇は流石さすがにないか。いや、待てよ?異動の同じ時期にニーアは1ヶ月休暇取ってなかったか?あの子はまた貰えるのか?


 コンコンと、扉を叩く音が聞こえた。「はーい」と声を上げると恐る恐ると言う感じでヨナが顔を出した。


「どうした?」

「あ、いやさ、さっきの休職命令なんだけど、もしかして…」

「いや、心当たりないな。ティルエールが言ってた通り、しつこい休暇申請が運良く通ったんじゃないか?」

「そんなわけないんだ!」


 突然大声を出されてビクリと体を震わせてしまう。


「あ、ごめん、違うんだ、そんなわけないんだ…」


 細々と声が小さくなり、何を言ってるのか聞き取れなかった。


「あー。まあ、おまえも心配してたし、休暇申請通っただけでも良かったじゃないか。それを喜んでおこうぜ」


 そう返すとヨナは小さくコクリと頷いた。


「そういや、ヨナは休暇中どうするんだ?実家にでも帰るのか?」


 ヨナは一瞬キョトンとして、しばらく目を泳がせ、それから困ったような顔をして見せた。


「私、野良エルフなんだ」


 ヨナはニーアと同じハイエルフで、ハーフエルフのティルに比べて耳が長い。エルフが生まれる方法は3通りだが、ハイエルフが生まれる方法は2通りしかない。精霊の顕現と単為生殖。精霊の顕現として木や岩、泡から生まれた「親のいない」ハイエルフは「野良エルフ」と呼ばれることがある。どうやらヨナは他の2人と違って野良エルフらしかった。


「私はあまり有名じゃない聖霊樹からの生まれで、生まれてから偶然近くに住んでいた人に拾われたタイプだからさ。それから根無草であっちこっち渡り歩いてたところを軍に拾われたんだ」

「なるほど…」


 いるとは知っていた野良エルフだが、そういう出自もあるのかと改めて認識した。彼女の口ぶりからすると、もしかすると拾ってくれた人とあまり良好な関係を結べなかったのかもしれない。あまり深掘りすると良くないと思い、その辺は触れないようにした。


「じゃあ3週間の間、どうするんだ?」

「そうだなぁ…。私はひとまずティルについていこうかなって。友達とか居ないし、ティルについて行った方がなんだか楽しそうだし」

「そっか。いい休暇になるといいな」

「うん…」


 それからしばらく沈黙が部屋を支配した。どちらも何も口を開くことができず気まずい時間ばかりが過ぎていく。


 どうしたものかと思ったところで、突然扉が開け放たれた。


「すっかり忘れてたわ!」


 声の主を見るとティルがいた。


「アンタ、今月末の収支報告書の準備はいいかしら?至急それの準備をしなさい。それから来月は9月だから月末の報告書とは別に上半期の報告書も必要になるの。9月は丸々人がいないからアンタが1人でなんとかしてちょうだい!間違っても休暇中の私が休暇を楽しめなくなるような事態だけは避けなさいよ!分かったわね!

 あら、ヨナ。あなたそろそろ哨戒任務でしょ?こんなところで油売ってていいの?」

「あ!やべ!忘れてた!」


 ヨナは慌てたそぶりを見せてそのまま部屋から飛び出して行った。


「まったくあの子ったらそそっかしいんだから」


 ティルはため息混じりにヨナの背中を見送る。


「まあ、あの子がいてくれたおかげで私も仕事が楽になったのはいいんだけどね…。さて、オオカミ、さっきも言った通り、収支報告書の件、頼んだわよ!」


 そう言って、ティルは大神に背を向けて部屋から立ち去ろうとする。大神は彼女の背を見送ろうと体を向けていた。


「それと…」


 ふと、突然彼女は立ち止まり、大神に顔を向けた。


「…」


 その表情は普段の彼女からは想像がつかないほど、慈愛に満ちているような、とても優しい優しい小さな微笑みだった。


「ありがと」


 そしてそのまま部屋から出て姿を消した。


「…一体なんのこっちゃ」


 大神は彼女がいなくなった後も戸惑ったままで仕事に手がつかなかった。ティルの微笑みが頭から離れないせいで…。

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