第15話 ティルの本音

 8月に入り、赤道直下特有の暑い日が続く。


 本土の学校なら今頃夏休みの真っ最中だろう。それでも軍隊も夏休みに入るわけじゃない。ブルックヤード泊地の人員は今日もそれぞれちっちゃな泊地を動かすための仕事についていた。


 大神は事務仕事を、桑田たちは工廠で、ズーウッドは工房で作業を、リラックは医務室で待機をしている。


 そしてティルとニーアとヨナは哨戒艇を動かして島の周辺を哨戒していた。


「相変わらず変わりは映えしない景色だよね」


 ニーアが双眼鏡で周囲を見ながら呟く。この地域の海はあまり荒れず、波は穏やかだ。その上魔物のたぐいもなかなか姿を見せず、平穏な海域と言える。


「そうは言ってもこの間飛竜の群れが現れたでしょ?多分はぐれ飛竜だとは思うけども、もしかすると他にもいるかもしれないからね。ちゃんと見回りはしておかないと」


 ティルは操縦をしながらそう返した。


 ヨナはというとニーアとは反対方向に双眼鏡を向けていた。


「…ん?2時の方向に飛竜複数発見。低空飛行」


 その言葉にティルとニーアは同じ方角を見る。


「あら?誰か騎乗してない?」

「人影は…。ある」


 つまり誰かが騎乗しているということだ。敵勢力がここまで深く入ってくるとは考えられないので、恐らく連合軍が東亜軍所属の飛竜隊だろう。


「どこの部隊かしら?念の為警戒体制で」


 ティルの言葉にニーアが双眼鏡を手元から離さず、空いた手でロッドを握る。


 ヨナが見つけた飛竜たちはまっすぐこちらに向かっているようだった。


「厄介な人たちじゃなければいいけども」


 ティルは手元の無線を握り、ある基地の周波数に合わせる。


「こちら連合軍海軍ブルックヤード泊地所属の第118哨戒隊、クロアベル大尉。所属と本海域への飛行理由を述べよ」


 しばらくすると無線から男の声が聞こえた。


『こちらクルルカ海軍基地所属第332飛竜中隊のラフォード中尉です。先日、本海域でのはぐれ飛竜出現のしらせを受け哨戒範囲を広げました。接触を求めます』


「接触許可。哨戒艇を停止し待機する」


 ティルは船のエンジンを止め、飛竜隊が近づいてくるのを待った。


 飛竜たちの影はどんどんと大きくなり、双眼鏡なしでも人の姿が見えるようになった。


「ラフォード中尉です!接触許可に感謝します!お会いできて光栄です大尉!」


 ラフォード飛竜を空中浮揚させながら敬礼をして大きな声を出した。


「哨戒ご苦労様。捜索範囲を広げる話、聞いてないんだけど」

「でしょうね!今回の哨戒範囲の拡大はクルルカ基地の独断になります!流石さすがにはぐれ飛龍が出たとなれば哨戒の範囲を広げざるを得ませんし、そちらも人員不足でしょう?」

「リリアナの差金ね…。感謝するわ!ただ次回からは事前に連絡してちょうだい!」

「了解です!では失礼します!」


 ラフォードたち飛竜隊はそのままその場を離れて南へと向かって行った。


「いいの?一応私たちの管轄を勝手に飛ばさせちゃって」


 ニーアの言葉に「構わないわよ」とティルが返した。


「人手不足なのはもとより承知。前回はなんとかなったけども、またはぐれ飛龍が現れたら私たちで対処できなくはないけども大変でしょ?手伝ってくれるならそれに越したことないわ」


 ティルはそう言いながら再びエンジンをかけて船を動かした。


「哨戒、彼らに任せて私たちは帰りましょうか」

「え?いいの?」

「別にいいわよ。たまには私もサボりたいし」

「へぇ?サボっちゃうんだ?」


 ニーアがニヤニヤと笑うとティルはただほくそ笑んで見せた。


「問題が起こらないことはいいことだよな…」


 ヨナはただそうポツリと呟いて、飛龍隊が飛んでいった方向に双眼鏡を向けるのだった。

 

 *******

 

 ほぼ無人の泊地ではやることがほとんどない。テレビをつけるかラジオをつけるかサボって釣りをするぐらいだ。事務仕事をさっさと片付けてしまった大神は退屈で退屈で仕方がなく、再び釣りをしていた。


 釣果ちょうかはというとまったくない。この海域にはそもそも魚がいるのだろうか?そんな疑問が頭をよぎる。


 釣り糸を垂らしながら呑気に欠伸あくびをしていると後ろから声をかけられた。


「白昼堂々サボりとはいい度胸ね」


 声がした方に振り返ると飛行服を着たままのティルが仁王立ちしていた。


「やることほぼなくてな。それよりいつもより帰還が早いじゃないか」

「友軍が哨戒範囲を広げたみたいでね。私たちの負担が減りそうよ」

「それはいい……のか?その分暇な時間が増えるだけでは?」

「私の場合、あんたと違って時間があればあるほど魔力鍛錬の時間が取れるってことだからね。戦闘訓練だってしなきゃならないし」

「忘れてた。エルフは魔法使いだったな」


 ティルはヒト族と違ってエルフだから魔法が使える。技術は使わないと腕がなまるのと同じように、魔法も鍛錬たんれんを怠ると腕が鈍ってしまう。いくら膨大な魔力を持つ彼女といえども慢心はできないということだろう。


 ティルは背筋を伸ばしながら海を見渡していた。彼女の視界に映る波は相変わらず穏やかだ。


 大神はそんな彼女にふと気になったことを尋ねてみた。


「ティルエールは今の生活、どう思ってるんだ?もう休暇も取れてないって話じゃないか」

「あら?無休で働いてるの知ってたの?」

「風の噂で聞いた」


 そう答えるとティルは「なるほどね」と呟く。


「軍属だもの。仕方ないって割り切ってるわ」

「だがこれ以上人数が増える見込みもなければ、休みも取らせてもらえる見込みもなければ、異動する見込みもない。こんな生活、耐えられるのか?」


 大神はついつい聞いてしまった。もしかすると、あまりの暇さに警戒心が薄れてしまったのもあるのかもしれない。本当は自分が尋ねるべき質問ではないかもしれない。むしろ口にしないほうが良かったのかもしれない。それでも彼女にまつわる後ろ暗い噂から彼女の将来が自分ごとのように不安になってしまった。


 ティルは一瞬ポカンとした様子で大神の顔を見る。


 彼女は大神の質問の意図がわからなかった。自分がここで飼い殺されてることは自覚している。けれどもどのような意図で派遣されたのか分からない彼の口からそのことが出てくるとは思わなかった。


 もし彼がどこかしらの間諜であるならその質問をした時点で、間諜失格だ。だから間諜ではないだろう。しかしながら、その辺の踏み込んだ事情を知る立場にあることも確かだ。


 ティルは彼の立ち位置が一体なんなのか疑問に思いながら、けれども彼の質問に答えるように口を開いた。


「不満タラタラに決まってるじゃない。私は軍人よ。天才エルフ兵士よ。連合軍の中でも屈指の魔法使いよ。そんな私が南方の無人島でヴァカンス?バカにするのも大概にしてほしいわ!

 そもそも誰が私をこんなところに縛りつけるって決めたのよ!師匠も師匠よ!可愛い愛弟子がこんなところで縛られてるのを不満に思わないのかしら!さっさとここから引き上げさせてヘルベフォルツのジュノーヴル戦線でも、クルルカでもショアトルでもとにかく最前線に派遣しなさいよ!」


 ティルはが口を開いたかと思えば出るわ出るわ不満の数々。怒り狂った形相に大神は顔を引き攣らせた。そんな彼のことを気にせずティルはまだまだ不満を漏らした。


「休暇なしって何よ!こんな島じゃ娯楽もないのよ!たまにくる補給の羊羹以外に食べるものだってないんだから!たまにはパフェでも大福でも食べさせなさいよ!」


 ひとしきり言い切ったのかフーッフーッと荒い息を鳴らす。大神は顔を引き攣らせたままだった。


「…ごめんなさい。アンタに言うことじゃなかったわね」


 我に帰ったのか、コホンと咳を鳴らして姿勢を正しながら答える。


「色々溜まってんだな…」


 そうは思うが、よくよく考えると10代の少女を大人の政局の都合で閉じ込めてるのだ。そして食事も配給食のみ。腐りにくい羊羹なら運ばれてくるだろうが、アイスクリームの類は運送中の保存が難しいからそういった贅沢もできない。パフェとか難しいし、プリンなんかも食べられないだろう。


「よく耐えてるよおまえは…」


 ポロリと感想が漏れた。


 その感想が聞こえたのか聞こえなかってのか、ティルは何も返さずただただ海の向こうを眺めていた。

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