その二

 家の裏の傾斜を登った、国道を一つ挟んだ先にある森では、蛍が出ると評判で(序でに狸も)、その日の夜はその姿を見ようと、大勢の人たちが詰めかけていました。


 さすが人づてに評判になるだけあって、森の中を埋め尽くさんとばかりにそこかしこで飛び廻る蛍の姿に、あちこちで歓声が上がるのでした。


 その幻想的な光景に、私も我を忘れて見入っていたのですが、その内の一つに、何やら人型をしたものが通り過ぎた様な気がして、おや、と目を瞠るのでした。


 それは、ついて来いと言わんばかりに、森の奥へと飛んで行く。誘われる様に私はその後に付き従って、気付くと、周りは私以外誰も居ないのでした。


 戸惑う私の前で、それまで私を誘導していた光は不意に消え、代りに現われたのは目を覆うばかりに弾けた無数の光の群れ。


 小さな身体でよくもこんなと思える程に、様々な楽器を打ち鳴らし、綺麗に整列しながらの行進に、思わずフッと笑いを洩らしていると、その後ろでは綺麗に飾られた舞台が用意され、おや、と思う間も無く緞帳がスルスルと上がり、様々な色に光る彼等の幻燈画。ほんの一時の寸劇の始まり始まり。


 色とりどりの花々で縁取りされた舞台の内側では、陰気な湖の水面と、それを囲む森が広がり、釣り人が一人その中で糸を垂れている様子が。目深に被る帽子の下の表情は見えず、見る者を振り払う様な竿の一振りから伸びる糸の軌跡。その先の針に取り付けられた生餌に焦点が合わさったと見る内に、忽ちの内にそれは目も彩な蝶の姿に変じ、ヒラヒラ頼りなげに飛ぶ姿は、それ胡蝶の夢か。


 蝶の行く先は、一転鮮やかな一面の花畑。芳しい香りが此処まで漂って来そうな翳み掛かった景色に舞い降りる蝶。暫しの間羽を休め、思う様喉を潤すその様は、呆けた様に広がる青い空とも相まって、さながら此の世の桃源郷。


 吹き寄せる風の問いかけにも花々は小首を傾げるばかり。何処から来たか彷徨う熊ん蜂の鈍く唸る羽音が、午睡に誘うかの様に耳元で鳴り、思わず目蓋をしばたたかせると、そんな長閑さを吹き飛ばすがごとく遠くで唸りを上げる竜巻が。


 周りの花々を滅茶苦茶に吹き飛ばしながらそれは、やがて蝶をも巻き込んで。花も蝶も皆散り散りになって舞い上がり、辺りは色の飛び交う花霞。


 羽根の千切れた蝶を追う内に、突如灯が消えたかの様に辺りは暗転し、止まったかの様にゆっくりと落ちて行く蝶の行き着く先は、暗い暗い水面の上。


 広がる波紋を潜り抜け、深く沈む蝶の姿を認める光る眼二つ。ゴボゴボ音を立てながら、蝶に迫る巨大な影は、かの伝説のモビーディックかリヴァイアサンか。


 一口でのみ込みそのまま去ろうと向きを変えた時、暗い水中にピンと伸びる一本の糸。その先はかの海獣の口元まで延びて、がっちり掛かった針が光り、右へ左へ藻搔きながらも敢え無く上へ上へと引き上げられて。


 徐々に明るさを増して行く水中に、煌めく滑らかに並んだ鱗。それは一匹の魚の姿なのでした。グングン引き上げられて行き、遂には勢い余って水面を大きく跳び上がった際に、飛び散る飛沫の光を浴びて七色の光が周囲を彩ると、その先には先の釣り人の姿が再び。


 満足げに上げるその顔は、アッ、あれは私の顔じゃないか、と気付いた所でフッと消える情景と、そこには元の静けさを取り戻した森の中。


 そんな私の前を横切る光の隊列。ピーピードンドンと楽の音が鳴り、列の端から順番に、森の中へと帰って行く彼等の姿。


 やがて一つだけ残った光が宙に綺麗な花文字を描くと、他の大勢と同じく暗い森の中へと帰って行くのでした。ーTHE ENDー。


 静かな森の中に、私の拍手する音だけが森の中に響いていました。パチパチパチ。一人だけの観客。せめてもの感謝を伝えるべく。


 ……この前寝ている時に鼻にピーナッツを詰め込もうとした事は、これでチャラにしてあげようか、と考えながら。


                              終







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