妖精物語
色街アゲハ
その1
「私達の森へようこそ。」
それは、何時もの帰り道。普段なら横目に通り過ぎる、街中でそこだけこんもり盛り上がった森に視線が留まり、どういった気まぐれか足を向け、左右から伸び放題の草が迫り半ば埋もれた形の道を踏み分け、少し開けた場所の手頃な木の根に腰掛け、ボケっと辺りを見るとはなしに見ていた時の事。
目の前の開けた場所のそこかしこで、落ち葉の積もり積もった地面がモコモコと盛り上がったと見ると、人の姿を不格好に模した寸胴の形を取って、その場で腰を浮かせたまま目を点にしていた私に話し掛けて来たのでした。ご丁寧にもめいめいが、頭に被った赤や茶、黄色に橙の帽子を脱いでのオマケ付き。
こうまでに丁寧な挨拶をされてしまうと、思わず返してしまうのはこれも世の常人の常。慌てて立ち上がり、ペコペコ頭を下げながら、口ごもりながらもこちらも挨拶を返すのでした。
彼等に代わりばんこに手を引かれながら、私は森の奥へ奥へと入って行くのでした。木の葉の屋根を透かして、綺麗に濾された光と空気が私達の上に降り掛かって来ると、森は何時しか静寂の中。
ただただ自分の息する音や心音が耳の中で鳴るばかり。歩く音さえ、周りの木々が吸い取ってしまうかの様。
そんな中を私達は歩いて行き、とうとうこの森の中でもいっとう開けた所に出るのでした。
全てが落ち着いて、清浄としていました。数え切れない葉が陽の光を透かし、葉脈の細かい所までくっきりと浮き立たせてみせ、その様は生まれたばかりの光を宿す、緑のランプの様。光は冷え冷えとして肌に心地良く、私の身体を何の抵抗も無く通り抜けていく。
周りを見ると、誰の姿も無く、私一人がこの場に残された格好になっていました。けれども、私は何の不安も感じる事無く、むしろすっかりこの場所に溶け込んで行く様でした。
頭上から聞こえて来る木の葉のサワサワいう音、何か小さな生き物が落ち葉を掻き分ける軽い音などが耳を擽り、そして、地面一杯に広がった根から吸い込まれた水が、空一杯に広がった葉から解き放たれて行く音までもが身体の隅々にまで沁み透って行くのを感じるのでした。
何時しか私は目を閉じていました、これ等の音にもっと寄り添いたいと、私もそんな森の息吹の一つになれるように、と。
……遠くから聞こえて来る小川のサラサラと云う音。いいえ、それは草や木の幹の中を流れる水の音。次第にその音は大きさを増して行き、終いには私を押し流してしまうのでした。
流されるがままに、その流れが気の中を流れる水である事にふと思い当たった時には、既に私の身体は空に舞い上がっているのでした。
陽の光に照らされた私の身体は崩れ、そのまま下へ下へと下って行く……。細かな飛沫となったそれ等は、キラキラと辺りに眩い光を投げ掛けて。綺麗だなあ、と私はそれを他人事の様に眺めるのでした。
再び森の中に戻って来た私の身体は、まるでそれが当たり前とばかりに元の形を取り戻していました、
しかし、先程までとは明らかに違う、不思議と生まれ変わった様な心持でいるのでした。
「これで僕らの仲間だね、さあ一緒に行こう。」
差し伸ばされる手をぼんやり見詰める私。けれども私の口から出た言葉は、彼らの期待には応えられないのでした。
「ごめん、明日はどうしても外せない用事があって。」
それを聞いた彼等は、全身を覆う木の葉をザワザワト逆立てて、地団太を踏みながら怒りの声を上げるのでした。
「何だいっ」
「何だいっ」「何だいっ」「何だいっ」「何だいっ」「何だいっ」「何だいっ」
景色が崩れ、突き飛ばされる様な衝撃を感じ、気付くと私は森の入り口に佇んでいるのでした。入口には念入りにも「立ち入り禁止」の立て看板が、如何にも乱暴に立てかけた様子で斜めに傾いでいました。
頭を掻きながら私は誰にともなく呟くのでした。
「ごめんよ、だけど明日は楽しみにしていた全集の第一巻の出る日なんだ。どんなに素敵な申し出でも、こればっかりは他に代えられないんだよ。」
終
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