第15話 ファングボアの脅威

 早く子どもを村に返す。と言っても、闇雲に急ぐわけではありません。魔物と遭遇しないよう、しても対処できるよう、警戒しながら元来た道を進みます。


 その途中、私たちは進路を大きく変えました。

 村に行くには、直進するのが一番早い。ですがそれだと、アーサー様たち本隊とファングボアが戦っていた場所の近くを通ることになります。

 それに巻き込まれるのを避けるための、進路変更でした。

 しかしそれは、結果的に見ると失敗でした。

 戦いの場所というのは、刻一刻と変化するもの。しだいにズレていき、最終的にはずいぶんと離れた位置で戦うなんてことになっても、不思議はありません。


 そんな戦場の変化は、私たちにとって大きな不運でした。


「まずい。ファングボアがいる。それもかなりの数だ」


 森を抜けるまであと少しというところで、先頭を歩くアインさんが言います。

 その言葉通り、少し離れた場所で、騎士団とファングボアの群れが戦っているのが見えました。


 そして騎士団の中から、一人こちらに向かってやって来る人がいました。

 アーサー様です。


 アーサー様は大きなケガこそしていませんでしたが、着ている服の一部が破れ、汚れ、激しい戦いが繰り広げられたのを物語っていました。


「お前たち、無事だったか。その子が、探していた子どもだな。ケガはないか?」

「はい。それより、どうしてここに? 戦っている場所は、だいぶ離れていたのではなかった」

「ああそうだ。あの場所で戦った結果、俺たちは大半のファングボアを討ち取ることができた。だが途中、生き残っていた一団が逃げ出し、俺たちはそれを追ってここまで来た。最初の頃と比べると減ったとはいえ、あれだけの数を逃すのは危険だからな」


 アーサー様の言う通り、ここにいるファングボアは、それなりの数です。

 また村を襲うなんてことになったら、今度こそ大変なことになるかもしれません。


 ですが、ファングボアは数こそ最初の頃より少ないですが、騎士団の方々は明らかに手こずっています。

 木々の生い茂る森の中では、当初やっていたような集団戦法が使いにくかったのです。


「私たちは、この子を連れて森の中に下がった方がいいでしょうか?」

「いや。ファングボアの足は早い。多少離れていても、巻き込まれる可能性は十分にある。絶対安全な場所、村まで早く送り届けるんだ」


 アーサー様は私たちにそう指示しながら、騎士団とファングボアの戦う様子を確認します。

 できるだけ安全にこの地を抜けられる方法を考えているのでしょう。


 だけど、再び私たちを見た時でした。

 なぜかアーサー様は、ハッとしたように息を飲み、私と男の子を交互に見つめます。


「あの、何か?」

「いや、なんでもない。その子はもちろん、お前自身の身も、しっかり守れ。最初の命令、覚えているな」

「もちろんです。生き延びろ、ですよね」


 森に来る途中、アーサー様に、騎士団長としての最初の命令として告げられたことでした。

 もちろん、命を落とすつもりなんてありません。


「この子も私も、絶対に無事でいます」


 そう答えると、アーサー様は頷き、この場にいる全員に聞こえるよう声を張り上げます。


「行方不明の子どもを保護した! これより村まで逃がすが、決してファングボアを近づけさせるな。一体残らず押さえつけろ!」


 それを聞いた団員たちから「おぉっ!」と声が上がり、今まで以上に動きが激しくなります。


 みんな、この子を逃がすため全力で戦っています。私たちも、その頑張りに応えなければなりません。


「もう少しで村まで帰れるからね。あとちょっとだけ、頑張ることできる?」

「うん。ぼく頑張る」


 男の子の声は震えてたけど、それでもしっかり頷いてくれました。

 それから、私とアインさんとトマスさんの三人で、この子を囲むように並び、走り出します。


 と言っても、全速力というわけにはいきません。男の子の足に合わせて、他の三人は速度を落とします。トマスさんが男の子を背負う案も出ましたが、それだとファングボアがこっちにやって来た時、咄嗟に動くことができないだろうということになりました。


 ですがいくら考え、用心をしても、完璧というものはありません。

 私たちが走り抜けようとしている途中で、ファングボアの一体が、突然大きく吠え、こっちに向かって突進してきたのです。


「くそっ!」


 アインさんとトマスさんが剣を構え、男の子を庇うようにファングボアの前に立ち塞がります。

 ですがいくら二人がかり、そのうち一人は熊のように大きなトマスさんでも、ファングボアだってそれに負けないくらいの巨体。しかも、勢いをつけての突撃です。

 あっという間に弾き飛ばされてしまいました。


「アインさん! トマスさん!」

「ぐっ……だ、大丈夫だ」

「それより、坊主は無事か?」


 大丈夫と言いながら、それでもダメージは大きいのでしょう。二人とも地面に倒れたまま、起き上がれないでいます。

 ですが体を張って庇ってくれたおかげで、ファングボアの突撃はそこで一度止まっていました。男の子は無傷です。


「大丈夫。どこもケガしてません!」


 しかし安心はできません。

 一度は立ち止まったファングボアですが、再び私たちに狙いを定めます。

 アインさんとトマスさんがこうなった今、私が男の子を守るしかありません。


「私があいつを引きつけるから、一人でも逃げられる?」


 男の子の前に立ち、問いかけます。それができたら、いくらか楽になるでしょう。

 ですが、それはできそうにありませんでした。

 目の前で二人が吹っ飛ばされたのを見た男の子は、恐怖で腰を抜かしていたのです。とても、逃げられる状態ではありません。


(まずい!)


 焦る中、ファングボアは、再度こちらに向かって突撃しようと、唸りをあげ重心を低くしました。

 避けようと思えば、避けることはできるでしょう。けどそうしたら、後ろにいる男の子は、間違いなく突撃に巻き込まれてしまいます。かといって男の子を抱えた状態では、さすがに逃げ切れるとは思えません。

 この子を守るためにできることといえばただ一つ。さっきアインさんやトマスさんがそうしたように、私が盾になるしかないのです。


(二人がかりで吹き飛ばされた突撃を、私一人で受け止める。そんなことしたら、無事じゃすまないかも)


 実戦では、命の危険がある。

 アーサー様は、それこそが実戦とそれ以外の決定的な違いだと言っていました。

 今がまさに、その命の危機なのでしょう。


 ですが、臆するわけにはいかないのです。

 私の後ろには、もっとずっと小さく儚い命があるのだから。


(あれ? この状況……)


 こんな時だというのに、ふと頭の中に引っ掛かりを覚えます。

 相手は魔物ではありませんでしたが、小さな子どもの命を守るために体を張るったことが、前にもありました。

 といっても、それは前世の話。私がアリサだった頃の記憶です。

 そしてその直後、私は死んだのです。


「────っ! そんな……」


 よりによって、こんな時に思い出すなんて。

 記憶ばかりか恐怖まで甦り、手が、足が、体中が震えてきます。


 しかしファングボアは、そんなこちらの都合になど構ってはくれません。とうとう、こっちに向かって突撃してきました。


(ダメ。例え吹き飛ばされても、この子は守らなきゃ)


 覚悟を決めた、その時でした。


「やめろぉぉぉぉぉっ!」


 響き渡る絶叫。

 それと同時に、突撃してくるファングボアに向かって、アーサー様が真横から体当たりをしかけてきたのです。

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