第4話 開かれた記憶の扉

 私とミアを乗せた馬車が、山の中を進みます。我が家を出発したのが、昨日の話。途中、宿で一泊する以外に何度か休んでいるとはいえ、けっこうな長旅です。


 行き先は、この国の西部に位置する、エルシュタイン侯爵領。

 私たちの住んでる王都とは違い、魔物の出現が多い危険な場所。しかしその反面、領内でとれる資源は豊富で、国内でも有数の発展を遂げていると言われている場所です。


 そんなところにどうして私たちが向かっていくのか。

 それは、私の婚約者と会うため。正確には、婚約者になるかもしれない相手と会って、話をするためでした。


「あの、リリア様。今さらですが、本当にこんな話を受けてよかったのですか?」

「あら。ミアは不満?」

「そりゃ、まあ。旦那様だってそう思ったから、リリア様に伝えるのを躊躇してたんじゃないですか?」


 そうよね。次なる婚約者を必死で探していたお父様のこと、縁談など持ちかけられたら、普通なら大喜びで話してくれるでしょう。

 なのにそうしなかったのは、相手の評判が、あまりよろしくなかったから。


「アーサー=エルシュタイン。年齢は25歳で、リリア様より七つ上。この若さで国内屈指の名家、エルシュタイン侯爵家の当主であり、そこの騎士団の団長も兼任している。一年のほとんどを領地で過ごすが、中央でも強い発言力を持つ。これだけ聞けば、良さそうな方なのですけどね」

「実際そうよ。だから、求婚や縁談の話を持ち出す相手は何人もいて、領地に赴いた令嬢も少なくないわ。ただ、みんな尽く断られたそうだけど」


 この婚約者候補の女性たちに対する扱いが、かの侯爵に対する悪評の理由なの。

 言っておくと、領主としての評価はむしろ高い方なの。領地経営はうまくいってるし、領民たちかの評判はいいと聞くわ。


 ただし、そんな話につられてエルシュタイン領に行った令嬢たちから話を聞くと、その評価は一変。

 とにかく冷たい人で、ろくに話もしてもらえない。中には屋敷の中に入ることなく門前払いを食らった人もいたそうなの。


 中には、多少性格に難ありでも構わないと意気込む人もいたそうだけど、それでもわずかひと月足らずで帰ってきたとのこと。


 よほど人格に問題があるのか、実は女性を愛せないのではないか。そんな噂が流れ、焦ったのは親族たちです。

 当主の悪評など、あって良いことなどひとつもありません。

 誰かと正式に婚約者を結べばこんな噂も消えるだろうけど、それができれば苦労はしない。下手な相手を送っても、また泣かれて帰ってきたら逆効果。

 そんな中、王都にいる親族たちが、私の噂を聞いたのです。


「舞踏会の野獣。そう言われるような人なら、そう簡単に心折れたりはしないかもしれない。まさかそんな理由で縁談を持ちかけられるとは、夢にも思ってなかったわ」


 これが、お父様から聞いた縁談の経緯でした。


 当主であるアーサー様には、新しい婚約者候補を見つけてきたと伝えるので、あとは領地に行って彼の心を射止めて欲しい。それが無理でも、ある程度帰ってこずにそばにいたら、悪い噂も少しは落ち着くかもしれない。とのことでした。


「いくらなんでも失礼すぎません!? リリア様のことをなんだと思ってるんですか! 旦那様が躊躇するのも当然です!」

「そうよね。こんなこと私に伝えなきゃいけなかったお父様も、気の毒だわ」


 当然というかなんというか、お父様は全てを伝えた後、嫌なら断ってもいいんだと、迷わず言ってくれました。

 もちろん私だって、こんな話に乗り気になれるわけがありません。


 ただ、エルシュタイン家といえば国内有数の力を持ったお家。持ちかけてきたのが親戚の方とはいえ、会いに行きもせず無下に断ったら、お父様が困ったことになってしまうかもしれません。

 とりあえず会うだけあってみると言い、ミアと一緒にここまでやって来たのです。


「ミア。あなたこそ、無理に着いてこなくてもよかったのよ」

「いいえ。私は、どこまでもリリア様にお供します。相手が冷酷非道なやつなら、そんなところにお一人でなんて行かせられません」


 むんと気合を入れるミア。

 冷酷非道なやつ。アーサー様がそんな人ではなければいいのですけど、こればかりは実際に会ってみなければわかりません。


 そうして、私たちはとうとうやって来ました。

 エルシュタイン領、領主の屋敷に。


「ここがその、アーサー様のいらっしゃるお屋敷ですか。大きいですね」


 馬車から降り、屋敷の門の前に立ったところで、ミアが声をあげます。

 私の家だって貴族の屋敷。それなりの大きさはありますが、こちらはそれよりもさらに大きいです。

 さすがは、国内有数の名家といったところでしょうか。


 ですが私は、屋敷の大きさ以上に、なんだか引っかかるものがありました。


(あれ? このお屋敷、どこかで見たような……?)


 私はこれまで、エルシュタイン領に来たことなんてありません。

 当然、このお屋敷を見るのも初めてです。

 なのになぜでしょう。このもんの作りや、後ろに構える建物に、なんだか見覚えのある気がするのです。


(いったいどこで? うっ!)


 よく思い出して見ようと思ったその時、頭に軽い痛みが走りました。


「リリア様、どうかなさいました?」

「いえ。なんでもないわ。それより、誰も出てこないのはどういうことでしょう」


 奇妙な記憶も気になりますが、それ以上に気になるのは、さっきからいくら呼び鈴を鳴らしても、誰も出てこないことです。

 留守でしょうか? ですが、今日私たちがここに来ることは、既に連絡がいっているはずです。


「まさか、すっぽかされたとか?」


 アーサー様の悪評を思うと、ありえない話でないのが恐ろしいです。


 誰かいないか、門にある柵の隙間から中を覗き込みますが、使用人の姿すら見えません。


 するとその時、またも頭に軽い痛みが走ります。

 同時に、頭の中にある光景が浮かび上がりました。


(あの庭を、小さい男の子が笑いながら走り回っていた。そして私は、このお屋敷で働いていた。今の私じゃない、前世の私が)


 浮かび上がった光景は、前世の記憶。私がアリサという名前のメイドだった頃の記憶です。

 私は、このお屋敷で働いていたのでした。

 今までずっと思い出せなかったのに、一気に頭の中に広がっていきます。


 縁のある場所に来た影響でしょうか?

 しかし、蘇った記憶の量があまりに多すぎました。

 頭がクラクラとして、足元がおぼつかなくなります。


「リリア様、どうなさいました!?」

「ちょっと、気分が悪くて。心配しなくても大丈夫だから」

「そんな!」


 急に色々思い出してびっくりしているだけで、少し休めばきっと落ち着く。

 そう思ったのだけど、事情を知らないミアの動揺は止まりません。

 門についている呼び鈴を、何度も何度も激しく鳴らして叫びます。


「お屋敷の方、誰かいませんかーっ!」


 するとようやく、屋敷の戸が開いて、一人の中年の男性がこちらにやってきます。

 ああ、ちゃんと人がいたのですね。そう思ったその時でした。

 急に、私たちの後ろから声が聞こえてきました。


「なんだ騒々しい。俺の家に何か用か?」


 驚いて振り向くと、そこには数人の男の人が立っていました。

 その中の、先頭に立っている方が、声をかけてきた方のようです。


 このお屋敷を指して俺の家と言ったということは、まさかこの方が、アーサー=エルシュタイン侯爵なのでしょうか?


 改めて彼の姿を見た瞬間、私は息を飲みました。


「────っ!」


 彼は一言で表すなら、美しい青年でした。

 凛々しく端正な顔立ち。輝くような銀髪。鍛えているのか、体つきはガッチリしていてたくましい。

 その容姿は、女性からすると、とても魅力的に映るでしょう。


 ですが私が衝撃を受けたのは、彼が美しかったからではありません。


「あ……アーサー様」


 アーサー=エルシュタイン。この名前を聞いた時どうして思い出せなかったのでしょう。


 それは、前世の私アリサがメイドとして付いていた、このお屋敷の坊ちゃんでした。

 さっき思い出した、庭で遊ぶ小さな男の子がそうです。


 そしてその頃のアーサー様といえば、一言で表すなら、天使!

 可愛らしい容姿も、私のことをアリサアリサと読んで懐いてくるのも、綺麗なお花を摘んだと言ってプレゼントしてくれる優しさも、木登りしたのはいいけど降りられなくなって涙目になるというヤンチャぶりも、何もかもが最高でした。

 私は、そんなアーサー様を弟のように可愛がっていました。


 なのにアーサー様の名前を聞いても思い出せなかったとは、一生の不覚。いえ、前世を含め二生の不覚。


 ですが、今はそれを悔いている場合ではありません。

 目の前の彼には、そんな天使な男の子、アーサー様の面影が残っています。


 間違いありません。この人が、アーサー=エルシュタインその人。成長したアーサー様です。


 もちろん、いくら面影があると言っても、当時と比べると大きく変わっています。


 私の記憶の中のアーサー様は、わずか七歳。今の彼は、25歳。人が成長するには、十分な時間です。


 あの幼く天使だった子が、こんなに大きく立派になるなんて。

 そんなものを見て、感激しないなんてことがあるでしょうか。いえ、ありません! 感激が限界突破して、体中から溢れています。


 気づけば、体が勝手に動いていました。


「あ、あ、アーサー様ぁぁぁぁぁっ!!!」


 大声で叫び、アーサー様に抱きつきます。

 アーサー様の背は私よりずっと高く、体つきもゴツゴツしています。かつて、ヒョイと抱っこできるサイズだったのが嘘のようです。


 改めてアーサー様の成長を感じ、またも感動していたその時でした。


「ええい、離せ!」


 そんな声とともに、抱きついていたアーサー様から、ドンと突き飛ばされました。


(えっ?)


 びっくりしてアーサー様を見ると、驚いたような怒ったような、それはそれはものすごい顔で私を睨みつけていました。

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