第2話 武術をはじめた理由
デューイと婚約破棄してからしばらく経ったある日のこと。今日も私は、庭で日課である剣の素振りをやっていました。
「九十八……九十九……百! ふぅーっ、終了!」
予定の回数を終えたところで、大きく息を吐きます。
日課としている武術の鍛錬は素振りだけでなく、この前にも、筋トレや走り込み、剣術の形の確認などをしたばかり。さすがにそれなりに疲れているし、汗だってかいています。
するとすかさず、タオルが差し出されました。
「リリア様、どうぞ使ってください」
「ありがとう、ミア」
タオルを持ってきてくれたのは、我が家に使えるメイドのミア。
と言っても、彼女がこの家に来てから、まだ数日しか経ってないのだけどね。
舞踏会の日、デューイに迫られ、不埒なことをされかけたメイドの少女。それが彼女です。
実は彼女、あの騒動がきっかけで元の御屋敷には居づらくなり困っていたので、それならうちで働いたらと誘ったの。
少し前に若いメイドの子がやめたから、ちょうどよかった。
するとリリアに続いて、庭にやってきた人がもう一人。
この屋敷の奥方。つまりは、私のお母様です。
「リリア。この子、働き者でね。他のメイド達からの評判もいいのよ」
「そりゃもう。助けてもらったばかりか新しい仕事をくださったリリア様のため、誠心誠意働きます」
「あらあら。リリアったら、すっかり気に入られちゃったわね」
お母様の言う通り、懐かれてるって自覚はあります。
もしもミアのお尻に犬のシッポが生えていたら、嬉しそうにブンブン振っているのではないか。そんなふうに見えて、微笑ましいです。
お母様も、そんなミアを微笑ましく見ています。
使用人と雇い主という立場でも、気さくに接して仲良くやっていくのが、我が家の特徴なのです。
「それにしてもリリア様。本当に、毎日武術の稽古をしてらっしゃるのですね」
「驚いた? あまり貴族の娘のやるような趣味でないってのはわかってるのだけどね」
「いいえ。勇敢なリリア様、すごく素敵です。かっこいいです」
目をキラキラさせてほめちぎるミア。そこまで言われると、少し照れてしまいます。
「奥様から聞いた話だと、子どもの頃に、貴族たるものいつ誰から命を狙われるかわからないと言い出して、稽古を始めたのですよね」
「おかしいでしょ。うちみたいなのをわざわざ襲撃するような酔狂な人、いないと言たんだけどね。魔物だって、この辺じゃ滅多に出ないのに」
お母様の言う通り、我が家は貴族ではあるものの、お父様の仕事は、特別敵を作るようなものではありません。もちろん、我が家や家族が襲撃されたことも、魔物に襲われたことも、一度だってないです。
なのにこんな私の望みを聞き、武術をやるのを認めてくれた両親には感謝しています。
お父様もお母様も、貴族には似つかわしくないくらい、おおらかでのほほんとした人なのです。
「初めてそんなことを言い出した時には、さすがに驚いたけどね。いったい何かきっかけで、そんなこと思ったのよ」
「まあそれは……色々です」
お母様の質問に、曖昧な言葉を返します。今までにも、似たような質問をされたことは何度かあったけど、いつもはぐらかしていました。
だって、言ってもきっと信じてくれないから。
命の危険にさらされるような、敵の襲撃。それを恐れるようになったきっかけが、前世の記憶を思い出したからなんて。
実は私は、前世の記憶を持っているのです。小さいころ、この庭にある木で木登りをし、落ちて頭を打ったショックで思い出したのです。
と言っても、その記憶はだいぶぼんやりとしていて、前世の私がどんなだったか、わかっているのはほんの少し。
まずハッキリしているのは、前世の私の名前は、アリサ。そして、とある貴族のお屋敷でメイドとして働いていたことでした。
ミアのことを放っておけなかったのも、彼女と同じメイドだった前世が影響しているのかもしれません。
そのお屋敷には小さな男の子がいて、私のことをとても慕ってくれていました。私もその子を、まるで弟のように可愛がっていました。
仕事にも不満はなく、充実した日々を送っていた。細かいことは思い出せなくても、なんとなくわかります。
だけど、そんな日々は突然終わりを告げました。
ある日、何人もの武器を持った男たちがお屋敷に押し入ったのです。彼らが何者なのか、なんの目的でそんなことをしたのかは、今もわからないまま。
なのしろそれらを知る前に、前世の私はあっさり殺されてしまったのだから。
もっとハッキリ記憶が戻れば、もう少し何かわかるかもしれない。
だけど前世の記憶というのはなかなか思い出せなくなってるようで、いくら頑張っても、わかるのは非常に断片的な情報ばかり。
そのお屋敷がどこにあるのかはもちろん、住んでる人の名前すら思い出せませんでした。
まあ、前世の記憶なんてないのが普通なのだから、思い出せないのは仕方ありません。
だけどそのわずかな記憶は、幼い私にある決意をさせました。
もっと鍛えて、いざという時自分の身を守れるようにしようという決意を。
こんなこと、言っても信じてくれないだろうから、誰にも言ってませんけどね。
なんて前世のことを思い返していると、少しだけ、ミアが沈んだ顔をしているのに気づきます。
「ミア、どうしたの?」
「リリア様が武術をするところ、本当にかっこいいです。あのクソヤローをやっつけてくれて、すごく嬉しかったです。なのに、そのせいであんなことになるなんて……」
ああ。ミアってば、あのことまだ気にしているのね。
これには、お母様も珍しく苦笑する。
ミアを助け、元婚約者のデューイをギッタギタのメッタメタにした舞踏会。
それ以来、私を取り巻く事情は、以前とは少し変わってしまったのです。
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