第2話 一咲と中野―七月九日

「松下さん?」


 一咲かずさは学校近くのコンビニのデザートコーナーの前で、プリンを凝視していた。声をかけられたので振り向くと、そこにいたのは中野くんだった。


「中野くん、今、見てた?」


「何を?」


「見てないならいい」


「プリン食べたいの?」


「見てるじゃん。違うの。うち、周り田んぼで、そばにコンビニないから。中々買いに行けないから。買おうかどうしようか迷ってたの」


 必死に言い訳する一咲を前に、中野くんは吹き出した。


「プリン好きなんだ」


 実直な笑顔を前に、一咲が余計にうろたえるのには気づかない。


「ちょうど良かった、おれ、松下さんに話したいことがあったんだ。本当は学校で話しかけたかったんだけど、何か松下さん、忙しそうだったから」


 それはきっと、中野くんの存在を意識するようになったら、やけに緊張するようになって、落ち着かなくて避けていたからだ。えっちゃんから、ひやかされたのもよくなかった。


「そういうんじゃないよ。好きとかじゃない。推しだよ、中野くんは。それだけ」


 そう主張する一咲に対し、えっちゃんはにやにやと笑っていた。


「中野を推しているのは、うちの学校で一咲ただ一人だと思うよ」


「そんなこともないんじゃない。隠れたファンがきっとそこらに」


「いないよ」


 いつかの、そんな会話が頭をよぎる。


「半田先生のことなんだけどさ」


「半田先生?」


 二人はコンビニを出て、並んで歩いた。国道を大きなトラックが走っていく。風が無く熱気がこもっている。

 道沿いのバス停に、紙が貼ってあった。近づいて見てみると、『運休のお知らせ』とある。来週の水曜日、ストライキのために一日、バスが走らないらしい。


「バスが走らないんだって」


「へえ。おれ、バス乗らないから別にいいけど」


 一咲もバスは使わないので、特に困ることはない。でもバスが走らないなんて初めてだ。何だかお祭りのような特別さがある。


「今日、卓球部は?」


「火曜日は休み。おれ卓球部ってよく知ってたね」


「卓球部に友達がいるから」


 友達がいるのは事実だが、中野くんの部活は気になって調べたのだった。まさかそんなことは言えないけれど。


「松下さんは部活、何やっているの?」


「生物部。活動は週一しかない。半田先生がどうしたの?」


「昨日さ、半田先生に呼ばれて。水をかけたことをやっぱりおれの両親にきちんとお詫びしたいって」


「えっ」


「あの時は、まるで自分以外が自分の体を操っていたみたいだったって」


「実際、子だぬきに取り憑かれていたから」


 長引いた梅雨の終わりの大雨の日、子だぬきのたぬごろうが半田先生に取り憑いて、中野くんに水道の水をかけた。

 先生は子だぬきに取り憑かれていたことは知らず、自分がやったと思っている。


「おれも悪かったと思って。ごめんなさい嘘をついてました、先生は本当はたぬきに取り憑かれていたんです、信じてもらえると思わなかったから、とっさに先生のせいにしちゃったんですって、本当のことを言ったんだ」


「それで何て?」


「無言。あの細い目でおれをしみじみと見て。ありがとうって、ぽつりと言って終わり。表情変わんないから、今いち感情が分かんないんだよ、先生。でもあれは絶対、信じてない」


「そんな。私からも、たぬきがやったんですって言うよ。そしたら信じてくれるんじゃない?」


「どうだろう。やっぱり逆に心配されて終わるかも」


「どうしたらいいんだろう」


「たぬきが先生の前に出てきて説明してくれればいいんだよな。見れば信じるでしょ、さすがに。あの時のたぬき、どこにいるんだろう」


 一咲は、術が苦手だと言っていたたぬきの生真面目そうな顔を思い出す。


「町内の当番たぬきって言ってたけど、どこにいるのかは知らない」


「どうにかして、連絡が取れるといいんだけどな」


「そうだ、私、手紙を書くよ。それをあの『ブジ前線通過』って手紙のあった場所に置いておく。もしかしたら見てくれるかも。学校には学校たぬきだっているはずだし、そっちが気づくかもしれない」


「おお、それいいかも」


「信じてもらえないかもしれないけど、私からも先生に本当のことを言う。半田先生、いい人だよね。自分は悪くないのに苦しんで、かわいそうだ」


 両手で握りこぶしを作る一咲に、中野くんは目を丸くし、楽しそうににっこりと微笑んだ。


「それなら、先生に言う時はおれも一緒に行くよ。それにおれも手紙書く。明日、一緒に置きに行こう」


 一緒に行動してばっかりだ。一咲の顔が赤くなる。


「いいの、それで?」


「何が? 昼休みでいいかな。最初に先生のところ行こうよ」


「う、うん」


「たぬきにお願いしよう、なむなむって」


 中野くんが歩きながら、目を閉じて両手を顔の前で合わせる。ちょうど前方にあった電柱にぶつかった。


「いてっ」


「大丈夫?」


「電柱があんなとこにあるのがよくない」


 一咲はうつむいてくすくすと笑った。中野が照れくさそうな表情をしていたことは知らない。

 コンビニで、プリンを熱心に見つめる横顔がかわいいと思われていたことも、もちろん知らなかった。 

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